「やっと打者と戦えるようになった」 千葉ロッテ3年目右腕が解き放たれた“球速”の呪縛

Full-Count 佐藤直子

2019.12.20(金) 11:47

インタビューに応じた千葉ロッテ・佐々木千隼※写真提供:Full-Count(写真:佐藤直子)
インタビューに応じた千葉ロッテ・佐々木千隼※写真提供:Full-Count(写真:佐藤直子)

16年ドラフト1位の佐々木千隼、思い描くストレートが投げられず…「なんで?と」

 プロ野球選手になって、3シーズンが過ぎた。

「自分が思い描いていたような成績が出せていなくて、自分の中でモヤモヤしたものが、この3年間ずっとあります。そこを脱せられるように、とは思っているんですけど……」

 この3年間を振り返る時、千葉ロッテ佐々木千隼は少し声のトーンを落とした。表現するのが難しいモヤモヤが、胸の奥につっかえているのが良く分かる。佐々木をモヤモヤさせる原因は何か??。それは、大学時代に最速153キロを計測したストレートが鳴りを潜めてしまったことにある。

 エースだった桜美林大時代には、ストレートは何度も時速150キロに達した。だが、いざプロの門を叩き、マウンドに上がってみると勝手が違った。甘くない世界だと覚悟はしていたが、なぜか納得のいくストレートが投げられない。「投げられないっていうか出ない。なんで?と。そこから、1年目は速い球を投げることに囚われ過ぎて、自分で自分を許せるボーダーラインが高くなりすぎたのかもしれません」と振り返る。

 2016年のドラフト1位入団。「こんなもんかって思われるのは嫌じゃないですか」。焦る気持ちが「なぜ?」という思いに拍車をかけ、ピッチングは思い描く理想からどんどんかけ離れた。「結局、自分が自分にプレッシャーをかけているだけで、周りは別に何とも思っていなかったかもしれない。自分でハードルを上げて、自分で自分を悪くしていたんです」とバツが悪そうに話し、こう続けた。

「今から考えると、バカだな、と思いますね(笑)。もっと楽にやっていれば良かったのに」

 負のスパイラルの中でもがいた佐々木を変えたのは、2年目の2018年7月に受けた右肘手術だった。必然的にボールを投げられない状況に置かれ、少し広い視野を持って自分を見つめられるようになった。「いろいろ考える時間があった」中でたどり着いたのが、「球速が出ないなら、今、投げられる球で何とかしないといけない。今の球で最善を尽くそう」という「割り切り」だったという。

「自分を許せるようになったというか、これでやるしかないんだって割り切ることができた。そうなると、マウンド上でもちょっと余裕が生まれて視野が広がったんです。1年目はずっと自分と戦っている感じだったのが、やっと打者と戦えるようになったのかな。もちろん、ピッチャーである以上、速さは追い求めたい。でも、そこに囚われ過ぎないように」

母校・桜美林大を首都大学野球リーグで優勝へ牽引「みんなで強くなった」

 もともと、プロ野球は「目指していないです」と笑う。母校の桜美林大硬式野球部は、2008年に準硬式野球部から移行する形で発足。首都大学野球リーグ1部に昇格したのは、佐々木が大学2年の春だった。エースとしてリーグ最多タイ年間7度の完封を記録した4年時には秋季リーグで初優勝。わずか2年でリーグ頂点に立ったのは「仲間に恵まれていたから」だという。

「多分、いわゆる強豪とは少し違う雰囲気だったと思います。学年の縛りもガチガチではなかったし、とにかく自分で進んで練習する子が多かったんです。だから僕も『やらなくちゃ』って思えた。本当に周りに恵まれて、みんなで強くなったという実感がありました。みんながいなかったら、今の自分はないと思います」

 桜美林大では、元巨人の桑田真澄氏、元横浜の野村弘樹氏という2人の特別コーチにも学んだ。桑田氏から「ピッチングの考え方や配球」、野村氏から「投球フォームや体の使い方」を伝授。桑田氏がブルペンで講義しながら自由自在にボールを投げ分ける姿を目の当たりにした時は、「本当にすごすぎて『あぁ、すごいな』しか思えなかったです(笑)」と振り返る。

 大学でメキメキと実力を上げ、プロ球団のスカウトたちの目にも留まる存在となっていたが、プロ入りを意識し始めたのは、大学4年の夏に侍ジャパン大学代表として出場した「日米大学野球」の後だ。それまで桜美林大硬式野球部から野球を続けるために就職先を選んだ例はほとんどなく、佐々木も「硬式野球を続けたいから社会人野球でできたらいいな」と朧気に考えていた程度。だが、本人の思いとは裏腹にプロ球団からの評価は高く、5球団競合の末、千葉ロッテに入団した。

 卒業後、母校に立ち寄った時、硬式野球部の中にプロになりたい学生が何人かいたという。同大学初のドラフト指名選手(育成を除く)として後輩にプロへの道を切り拓いたが、そんなことはおくびにも出さず。「うれしいですよね。僕らの時はそんなことがなかった。プロを目指せる大学になってきたのがうれしかったです」と笑顔を浮かべる。

自己評価は厳しく「あんなへなちょこ球」も、消えることのない向上心

 2019年7月9日、本拠地での北海道日本ハム戦。佐々木は1年9か月ぶりに1軍のマウンドに上がった。結果は7回を投げて1失点。チームに白星をもたらした。「本当にうれしかったです。手術が終わった後も痛みが出たり、リハビリが思ったよりも長かったんで。本当にいろいろな人に支えてもらいました」と感謝の言葉を並べる。ただ、佐々木にとって怪我からの復帰登板は、4月3日の2軍東京ヤクルト戦(戸田)で終わっていたという。

「そもそも1軍でそんなに投げていないので『復帰』と言われてると、逆に申し訳ないな、と(笑)。僕の中での復帰登板は戸田。そこから積み重ねて、1軍でのチャンスをもらった。チャンスを物にしたいという思いでマウンドに上がっていました」

 シーズン後半は先発ローテの一角を担った。今、自分が投げられる球で、いかに打者を抑えるか。自分でハードルを上げて自滅しないように心掛けてはいるものの、「もっといい球を投げたい」という思いは常に持ち続けている。

「今の球で満足していたらヤバイですから。あんなへなちょこ球で」

 自分に対して厳しい視点を持ち続けるのは、自分はもっとできるという自信の裏返しでもあるだろう。「もっとできると思って、もう3年経っちゃったんですけど……」と苦笑いするが、その目に力強さを宿したまま、2020年への思いを口にした。

「いい球が投げられるように。野球が上手くなりたい。本当にそこだけですね」

 就任3年目の来季は「ホップ・ステップの次、ジャンプの年にしたい」と話すように、井口資仁監督は本気で日本一を目指している。モヤモヤした3年間を糧に、25歳右腕はどこまで成長できるか。2020年、佐々木千隼が面白い存在になりそうだ。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

記事提供:Full-Count

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