名球会入りの基準となる通算2000本安打は、プロ野球の打者にとっては大きな目標となる金字塔の一つだろう。これまで数多の好打者たちが活躍してきたプロ野球界においても、この記録を達成したのはわずか52人。年間160安打を毎年続けても2000安打到達までに12シーズン半が必要であるという事実からも、そのハードルの高さがうかがい知れるところだ。
2019年シーズンには達成者が1人も出なかったが、2020年には福留孝介選手(残103本)、坂本勇人選手(残116本)が達成の可能性を持ってシーズンを迎えそうだ。記録ムードが高まる中での試合、そして達成の瞬間は、長年その活躍を見守ってきた関係者やファンにとっては何物にも代えがたいものだ。
そこで、今回は2013年以降のパ・リーグにおいて生まれた、通算2000本安打達成のシーンを紹介していきたい。先述の高いハードルを乗り越えて大記録を達成した名選手たちの歓喜の瞬間を、あらためて振り返っていこう。
井口資仁氏(2013年7月26日)
2013年は、井口氏にとって千葉ロッテに移籍してから迎える5年目のシーズンだった。現役時代からチームリーダーとしてマリーンズを引っ張っていた井口氏は、この年の途中に二塁から一塁にコンバート。守備の負担が減ったことも奏功してか、過去2年間の不振からの脱却に成功する。7月26日の試合前の時点で18本塁打、打率.329と好成績を残し、38歳という年齢を感じさせない活躍を見せていた。
試合前の段階で日米通算1998本と、金字塔が目前に迫った状態で迎えたこの試合。対戦相手の楽天の先発はこの時点でシーズン無敗の13連勝と、圧倒的な投球を続けていた田中将大投手(現ヤンキース)だった。井口氏は第2打席で安打を放っていよいよ残り1本とすると、1対1の同点で迎えた6回表に田中投手の初球を捉える。仙台の空に高々と舞い上がった打球は試合の均衡を破る19号ソロとなり、劇的なかたちで節目の一打を達成してみせた。
田中投手はこの年、最終的に24勝0敗1セーブ、防御率1.27と驚異的な連勝を最後まで継続。212イニングを投げ、打たれた本塁打はわずかに6本だった。この試合で千葉ロッテは最終回に逆転劇を喫し、田中投手に黒星をつけることこそ叶わなかったが、無敵の投球を続けていた田中投手からの本塁打で決めた大記録は、井口氏の打者としての技量の高さをあらためて示す一打にもなった。
松井稼頭央氏(2015年7月28日)
松井稼頭央氏は現役生活を通じて日米通算2705安打という素晴らしい数字を残したが、NPBだけの数字でもその安打数は2000本に達している。ライオンズで1433安打を積み重ねてから海を渡り、ヒューストン・アストロズ時代の2009年8月16日に日米通算2000本安打を達成。2011年に楽天に移籍してからもレギュラーとして活躍を続け、精神的支柱として2013年の球団初となるリーグ優勝と日本一にも大きく貢献した。
それから2年後の2015年にもレギュラーとして着々と安打を積み重ねていき、残り1桁に迫ってからは7月21日からの5試合で8安打と猛チャージ。秋田での試合を前に、大記録に王手をかけていた。そして、この日の第1打席、福岡ソフトバンク・中田賢一投手の変化球を拾うと、打球はセンター前に落ちる安打に。スイッチヒッターとしては柴田勲氏(元巨人)に次ぐ、史上2人目の快挙を達成した。
見事に最初の打席で節目の一打を放ってみせた松井氏だったが、試合後の会見であと1安打というプレッシャーについて問われると「正直ありましたね」と率直に返答。それに続けて、「ファンの皆さんの期待の大きさも含め、あれだけの声援をいただけるのは、選手冥利にも尽きますし、その前でぜひ決めたいと思っていたので」と、あらためてファンの応援に感謝していた。
内川聖一選手(2018年5月9日)
内川聖一選手はNPB史上2人しかいない両リーグでの首位打者という快挙を達成し、2008年から7年連続で打率3割を記録。同じく2008年から9年連続で145本以上のヒットを放つなど、球界屈指の安打製造機として名をはせた。2008年に記録したシーズン打率.378は右打者としてのNPB史上最高の数字であり、これまで刻んできた功績は球史に残るレベルだ。
2018年シーズン開幕前の時点での通算安打数は1975本。シーズン開幕後の早い段階での記録達成が確実視されていたが、4月終了時点で19安打、打率.232と、当代随一のヒットメーカーも思うように安打を記録できずに苦しんだ。5月5日に大記録まで残り1本としてからも2試合足踏みが続いたが、5月9日の試合でついにその時が訪れた。
メットライフドームで行われたこの一戦でも、内川聖一選手は3打席目までは無安打。しかし、8回に迎えた第4打席、左腕の武隈祥太投手が投じた外角球を流し打って逆方向へ。これぞ内川聖一選手という鮮やかなバッティングで節目の一打を放ち、生みの苦しみを乗り越えて打者としてのマイルストーンへと到達した。
福浦和也選手(2018年9月22日)
千葉ロッテ一筋26年の現役生活を送った福浦選手にとって、ケガを乗り越えて達成した通算2000本安打という記録はまさに金字塔だ。1993年のドラフトでの最終指名となる7位でプロ入りした福浦選手は、プロ1年目に投手から野手に転向。そこから2001年の首位打者獲得、ポストシーズンを勝ち上がっての2度の日本一、相次ぐケガとの戦いといった紆余曲折の日々を経て、球団史にその名を残すレジェンドへと成長を遂げていった。
2012年から2017年までの6シーズンにおける福浦選手の年間安打数の数字は、45本、32本、26本、47本、20本、30本。2009年5月に33歳で通算1500安打に到達するも、そこからの500本に約9年の月日を要した。ケガやコンディションの影響もあって出場機会も限られながら、福浦選手は2000本安打達成までの険しい道のりを、少しずつ、しかし着実に進んでいった。大記録まで残り38本で迎えた2018年にも一本一本ヒットを積み重ねていき、9月のホーム8連戦を迎えた段階で残り4本に迫っていた。
多くの人が本拠地での達成を期待する中、最初の4試合で14打数1安打となかなか安打は出ず。しかし、福浦選手は9月19日と21日に2試合連続で1安打ずつを記録して王手をかけ、迎えた22日の第4打席に、地元・千葉のファンの前で待望の一打を放った。球場全体が歓喜に包まれる中で、福浦選手は感謝の気持ちを込め、各方向のスタンドに対して深々と頭を下げていた。
「パーソル パ・リーグTV」では、過去の大記録達成の瞬間をオフシーズンに紹介予定。11月8日に稲葉篤紀氏、11月9日に小久保裕紀氏、11月10日に内川聖一選手の2000本安打達成試合を、それぞれ配信する予定だ。球史にその名を残す偉大な打者たちが金字塔に到達した瞬間を、この機会にあらためてご覧になってみてはいかがだろうか。
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