ケガと自律神経の病気により福岡ソフトバンクを退団
昨オフから未契約の状態となっていた福岡ソフトバンクの川崎宗則選手が、故障と自律神経の病気を理由に退団を表明した。NPBで13年、MLBで5年のキャリアだった。
川崎宗則選手は「松坂世代」の一学年下。鹿児島工から1999年のドラフト4位で福岡ダイエーホークスに入団。甲子園経験はなかったが、身体能力の高い内野手として注目され、2003年には鳥越裕介氏に代わって正遊撃手のポジションを獲得、以後、リーグ屈指の遊撃手として活躍した。
打っては積極的な姿勢で、鋭い打球を左右に打ち分ける広角打法。足も速く、盗塁王1回。30盗塁以上を5回も記録している。はつらつとしたプレーで人気も高く、2003年から8年連続でオールスターゲームに出場した。
人気、実力ともに備わった2011年オフ、MLBに挑戦を表明。尊敬するイチロー選手の後を追ってシアトル・マリナーズにマイナー契約で入団。
入団が決まった2012年春、東京ドームで行われたMLBの開幕シリーズの段階では、まだキャンプ招待選手であり、マリナーズとアスレチックスとの開幕戦には出場できなかったが、3月26日の巨人とのエキシビションゲームでは、9番遊撃手で先発。試合前にはイチロー選手とキャッチボールする姿が見られた。
過酷な環境でも毎年のようにMLB昇格を果たした
米国本土に帰って4月8日にはMLBとメジャー契約を勝ち取り、この年は61試合に出場した。7月にイチロー選手はニューヨーク・ヤンキースに移籍。チームメイトだった時間は3か月余りだった。
川崎選手もオフにFAとなりトロント・ブルージェイズに移籍。以後、毎年のようにFAとなってキャンプ招待選手からMLB昇格を果たした。
MLBでは非力で、打者としては好成績を挙げられなかったが、内野手としては遊撃だけでなく、二塁、三塁の守備も無難にこなした。ブルージェイズはMLBでは数少ないドーム球場のロジャーズ・センターが本拠地で、内野には人工芝が張られていたことも大きいが、NPB出身の内野手の多くが、MLBでは守備で苦労する中、川崎選手はよく適応したと言えるだろう。
また物おじしない言動とハッスルプレーは現地のファンに愛された。特にブルージェイズではそのキャラクターが絶大な人気を誇った。2012年を除いて毎年、AAAでプレーをしたが、マイナーの過酷な試合環境にめげず、楽しみながらプレーする姿は日本でも度々報じられた。
カブスで1シーズンプレーして、昨年復帰したが、正遊撃手には2010年に入団し、今やリーグを代表する選手に成長した今宮健太選手がいたため、川崎選手の出場は二塁手がほとんど。さらにケガもあり42試合に出場したにとどまった。
川崎選手は30歳でMLBに移籍した時点で1343安打。2010年には、13年・長谷川勇也選手が198安打を打つまでの福岡ソフトバンクのチーム記録だった190安打を打つなど、リーグ屈指の安打製造機だった。NPBに残留していれば、2000本安打も夢ではなかっただろう。
以下はホークスの通算安打数10傑。
1野村克也 2813安打
2門田博光 2317安打
3広瀬叔功 2157安打
4松中信彦 1767安打
5小久保裕紀 1670安打
6堀井数男 1513安打
7飯田徳治 1410安打
8河埜敬幸 1384安打
9柴原洋 1382安打
10川崎宗則 1376安打
福岡ソフトバンクが福岡に移転してからの選手としては、松中信彦氏、小久保裕紀氏、柴原洋氏に続く4位。2018年開幕時点で、松田宣浩選手が1371安打で11位につけており、今季早々にもベスト10から外れるが、強豪・福岡ソフトバンクを代表する選手であるのは間違いない。
また通算盗塁数は、267個で歴代6位だった。川崎宗則選手は日米で「記憶に残る選手」になったが、記録面でも立派な成績を残していたのだ。
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