BCリーグから台湾プロ野球へ──台湾プロ野球首位の統一ライオンズブルペンを支える36歳右腕、髙塩将樹

パ・リーグ インサイト

2025.5.29(木) 17:00

統一セブンイレブン・ライオンズ 髙塩将樹投手 【写真:CPBL提供】
統一セブンイレブン・ライオンズ 髙塩将樹投手 【写真:CPBL提供】

 5月19日現在、台湾プロ野球(CPBL)前期シーズンの首位を走る統一セブンイレブン・ライオンズ。その統一ライオンズのブルペンを支えているのが、異色の経歴を持つ36歳の日本人右腕、髙塩将樹だ。

 トルネード気味に身体を捻り、左手を高く掲げてから、真上から投げ下ろすフォームが特徴の髙塩は、直球の制球力と、フォーク、カーブなどの変化球のコンビネーションで、今季ここまで、主に「勝ちパターン」のリリーフとして12試合に登板。回またぎの厳しい場面も任せられながら、ブルペン専任ではチーム最多となる19回1/3を投げ、2勝1敗1セーブ、防御率2.33、1投球回あたりに何人の走者を出したかを表すWHIPは0.78(2025年5月19日現在)と、非常に安定した成績を残している。

試合終了直後、捕手と握手する髙塩投手【写真提供:CPBL】
試合終了直後、捕手と握手する髙塩投手【写真提供:CPBL】

 髙塩は2012年から2016年までBCリーグの富山サンダーバーズと福島ホープスにて5年間で37勝をあげた。髙塩は2チームで共に主戦投手をつとめており、BCリーグのファンを中心にこの時代の髙塩についてご存知のファンは一定数いるだろう。ただ、それ以降、2017年から現在まで、台湾における歩みを知る方は限られているかもしれない。

 海外球界に挑戦する日本の野球選手は増えているが、髙塩のようなキャリアを歩んでいる選手は稀だ。BCリーグ入りから渡台、台湾社会人チームでの7年半、そしてCPBLドラフト会議を経て統一ライオンズに入団するまでの歩みについて、ご本人のインタビューをまじえて紹介しよう。

BCリーグ時代:独立リーグでの活躍と初の海外挑戦

 BCリーグ入りはふとしたきっかけだった。神奈川県の高校球児だった髙塩は、神奈川大進学後は野球を続けず、リーマンショック以降の景気悪化で就職がなかなか決まらないなか、2010年、リフレッシュを兼ねてクラブチームの横浜金港クラブに入団した。同年最後のクラブチームの大会で、初めてスピードガンのある球場で投げたところ、当時の自己最速となる141km/hを計測、本人いわく「ブランクがあるなかでこんなに出るんだ」と欲が出てBCリーグのトライアウトを受験したところ、富山サンダーバーズからドラフト1巡目指名を受けることとなった。

 富山では3年連続で100イニング以上投げ、2014年はリーグ2位の10勝、BCリーグ選抜にも選ばれ、クライマックスシリーズを控える読売ジャイアンツの一軍相手にも投げた。2013年のオフ、来日したボストン・レッドソックスのテストをきっかけにABL(オーストラリアン・ベースボール・リーグ)を知った髙塩は、海外球界への興味を覚えるようになった。2014年はABL参加を目標にプレーし、オフにはブリスベン・バンディッツでプレーをすることができた。

 2015年、2016年は福島ホープスでプレー。この時期、「建前上」はNPBを目指すという気持ちもあったというが、三十歳を迎える前に海外でプレーしたいという気持ちが芽生えていたという。

 髙塩はこの時の心境について、「リーマンショックがあったときに、日本で就職するのは難しいという固定概念が自身のなかであった。何も資格ももっていない自分が、野球をやめたときに、就職して何ができるのか。今更、資格の勉強をするにしても時間がかかるので、考えたときに『言語』かなと思った」と振り返る。

 アメリカ独立リーグでのプレーにも興味をひかれたが、ビザ取得が厳しいことから断念。ちょうどこの頃、髙塩は25、6歳。友人たちは社会で次第に活躍するようになっており、海外出張、特に中国に行く友人が多かった。そして「中国語や英語を覚えたら将来使えるな」と考えた髙塩に、台湾でのプレーの機会が訪れることとなった。

台湾社会人時代:7年半の鍛錬と覚悟

 髙塩は2016年の年末、CPBLが中部・台中で開催した戦力外トライアウト兼外国人テストを受験、CPBL球団からのオファーはなかったが、帰国後、このテストを視察していた台湾の強豪社会人チーム崇越隼鷹(現・全越運動)から連絡が入った。

 実はこの直後には、複数の関係者を通じ、イタリアやオランダからのオファーも届いた。独立リーガーからすると魅力的な待遇であったが、「金額よりも最初に連絡をいただいた台湾にしよう」と筋を通し、台湾行きを決断した。

 そして、2017年2月に崇越隼鷹入団。当初は「1年後、もし違うところにいきたいと思えば、違うところを探したらいいし、自分なりのステイタスやキャリアを積んでいければいいな」という感覚だったという。ビザの期間は1年。ただ1年勝負という気持ちではなく、自分が後悔しないように1日1日を過ごそうということだけ考えていたといい、髙塩は「気づいたら今に至る」と語る。

 入団翌月の2017年3月、アマチュア球界を代表する主要大会、大学・社会人の春季リーグがスタート、この大会で、いきなり防御率3位という好成績を残した髙塩は、大会後、練習中に監督から「来年どうするんだ」と聞かれた。「何も考えていない」と回答したところ、「来年もどうだ?」と聞かれたため、「よろしくお願いします」と答えたものの、あくまでこれは口約束。髙塩自身、当時は台湾についても会社についてもよくわかっておらず、会社側も自分がどういう人間かをわかっていないと思われるなか、「いつリリースされてもおかしくない」というマインドでいたという。

 中国語(台湾華語)習得も、台湾でのプレーを決めた動機のひとつであったが、当然、渡台当初はちんぷんかんぷんであった。「当時はコンビニで『あたためますか?』という質問に対して何もわからなくて、ずっと指をさしたり……。僕の英語も通じないですし、どうしようと泣きそうでした。でも、ここを頑張れば、きっといい景色が見られるのではないかと考え、YouTubeや日本から買ってきた本を使って必死に実戦で学んできました。台湾人に台湾風の発音を直してもらったり、実践で学ぼうと、無駄に買い物をしに行ったり。『タピオカミルクティー、ひとつください』という言葉をぶつぶつ反復しながら、ナイトマーケットでひとり買い物したり」と振り返る。

 髙塩は、統一に指名されプロ野球選手となった現在は立場が違うと前置きをしたうえで、「当時は上を目指すことよりも、契約していただいたこの会社(崇越)にどれだけ貢献できるのかということだけを考えていた。それプラス練習時間が日本と比較して短く、午前だけで午後は空いていたので勉強に充てようと。この時間を絶対に無駄にしないようにしようと思っていた。おそらく、もし野球だけやっていればいいやという気持ちであれば、今の私はいないです」と断言する。
 
「話せたら格好いい」というモチベーションもあり、チームの主戦投手として活躍しつつ、かつて読売ジャイアンツでプレーしたチームメイトの姜建銘(現・監督)や、日本留学経験のある選手らのサポートも受けながら根気よく中国語学習も続けた髙塩投手。ようやく聞き取れるようになったと感じたのは、入団から約1年半後であったという。現在は、ファンの間でも評判の流暢な中国語を操る。

 チーム名は崇越隼鷹から安永鮮物と変わったものの、髙塩は依然、チームのエースとして君臨していた。2021年の年末、CPBLはドラフト制度において歴史的な改革を行った。台湾の中学、高校、大学に一定期間就学した外国人留学生及び、台湾居住5年以上で、かつ社会人チームで3年以上プレーした外国人選手について、外国人枠とせず、ドラフト指名の対象とする、事実上の外国人選手への門戸開放である。

CPBLドラフト:史上初の“外国人指名”

 髙塩は翌2022年、CPBL入りをめざしドラフトに初参加、台湾メディアは、社会人野球の日本人エースのドラフト参加を大きく報じた。髙塩は、指名資格を得ていない選手やスカウトにアピールしたい選手が参加する新人トライアウトで結果を残したものの、指名はなかった。

「年齢、年齢って言われちゃう。当時32とかだったので。そこはまあ、僕のなかでコントロールができないので、興味がある球団があればいいなあと思いながらドラフト指名を待ったんですけど、名前は呼ばれませんでした」

 髙塩はプロ入りを目標に、もう1年間頑張ってみようと決意するが、2023年7月のドラフト会議ではまたも指名漏れとなった。こうしたなか、翌8月に楽天モンキーズが、NPBの育成選手にあたる「自主培訓選手」での契約を提示した。しかし、CPBLは、外国人選手を外国人枠外で獲得するためには、ドラフト会議での指名を経る必要があるとして、この契約を無効とした。

 2年連続の指名漏れに加え、オファーを受けながら規則に阻まれるかたちとなった髙塩だったが、古巣は「戻ってこいよ」と歓迎、引き続きプレーの場が与えられたことから、気落ちすることはなかったという。むしろ、前年の2022年は指名回避の理由とされた「年齢」をひとつ重ねたにも関わらず、CPBL球団から評価されたことから、逆に「もっと能力をあげてやろう」とモチベーションが高まったという。

 そして、さらに1年間鍛錬を重ねた髙塩は、主要大会で奪三振トップ3に入り、ドラフト会議へ直接する参加する権利を手にした。そして、2024年6月28日に実施されたCPBLドラフト会議で、統一から6位で指名を受け、外国人選手としてドラフト指名第1号選手となった。35歳での指名については、嬉しさよりも驚きが上回ったという髙塩に、「外国人初の快挙なのに、落ち着かれていて、ご自身を俯瞰していますね」と問うと、「30代ですからね。正直、20代だったら浮かれていたと思います」と笑った。

 昨年7月中旬に統一に合流した髙塩は、今、話題の古林睿煬(北海道日本ハム)とも、約半年間、チームメイトであった。古林は、髙塩がたまに行っている、スピンを確認するための「かまぼこ板」を投げる練習に興味をもち、一緒に練習したこともあるという。

髙塩投手の投球フォーム【写真提供:統一ライオンズ】
髙塩投手の投球フォーム【写真提供:統一ライオンズ】

 鍛え抜かれた身体に甘いマスク、流暢な中国語、何より安定感抜群の投球内容で、既に多くの統一ファンの心をつかんでいる髙塩将樹。マウンド上ではポーカーフェイス、グラウンド外では穏やかだが、日々黙々と努力を重ね、壁を突破してきた人物らしい意志の強さを感じる。35歳でつかんだ台湾プロ野球の舞台、今後のさらなる活躍を応援したい。

文・「パ・リーグ インサイト」編集部

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