【西武】ライオンズ一筋43年 還暦迎えた名物スタッフの誇り「選手、チームのためにやってきた」

スポーツ報知

2025.2.17(月) 11:00

還暦を迎えても元気に仕事をこなす西武・後藤明美1軍用具担当(カメラ・秋本 正己)

 人生の節目を迎えても、普段通りに黙々と仕事をこなした。2月12日。西武の後藤明美・1軍用具担当チーフは宮崎県日南市の南郷スタジアムにいた。打撃練習で使うボールなど用具のチェック、練習の準備を手際よくこなすと外野でウォーミングアップをする選手に優しいまなざしを送った。「ありがたいよね。まだ、仕事があるんだもの」。この日が60歳の誕生日。一般企業であれば定年退職になる年齢だ。1983年の入団以来、様々な役職を経ながらライオンズ一筋43年。今年もチームのために働ける。そんな喜びが全身からあふれ出ていた。

 秋田県出身で名は明美。秋田美人をほうふつさせる名前だが185センチ、85キロのごつい体格の元投手。頭髪はさすがに寂しくなってきた。「明るく美しいという意味でしょ。名前でいじめられたことはないけど、ゴルフ場に行ったら女子用のロッカーを用意されたこともあった」と笑う。生まれ育った県南の雄勝郡稲川町(現湯沢市)は1月の降雪量が200センチを超える豪雪地帯だ。近隣の増田高に進むが、甲子園出場はなし。それでも右腕からの速球を評価され、1982年のドラフトで西武から6位指名を受ける。入団当時は広岡達朗監督。第1次黄金期のまっただ中だった。2年間、米国の1Aチームに派遣されるなど将来を期待されながら1軍のマウンドを踏むことなく90年限りで引退。打撃投手になったが肩、肘を痛めて2軍用具担当から広報担当に転じた。「広報の言葉はライオンズとしての発言として取られる。だから勉強のために言葉遣いの本とか、自己啓発本、小説とかいろいろ読んだ」。99年は“平成の怪物”松坂大輔が入団。それまではテレビ、ラジオ、通信社、新聞など10人ほどの担当記者が相手だったが、松坂が入団すると顔を知らないメディアが多数押し寄せて苦労した。春野キャンプでは大物ルーキーの“影武者”を登場させて、ファンの目をかわしたこともあった。「移動の新幹線にメディアが乗り込んできたのにはビックリした」と振り返るが、ここからファームディレクター、1軍マネジャー、若獅子寮寮長など多種多様な役職に就いてきた。「後藤だったら現場を知っているから任せられるかな、というのでは。そう思っている」。気がつけばスタッフとしての年数の方が長くなっていた。

 シーズン中、本拠地ベルーナDで午後6時開始のナイターが開催される時は午前10時くらいに球場入り。家路に就くのは決まって一番最後。1日のほぼ半分を球場で過ごす。「心配性なんですよ。最後まで片付けて見ていかないと」。用具の管理、準備以外にも試合前の打撃練習ではファーストミットを手に“守備につく”。一塁、二塁のベースに立ち外崎、源田ら守備練習をこなす内野手の送球を受ける。どの選手も試合を想定しているから、手を抜かずに目一杯送球してくる。時に送球がそれることもあり、打球や思わぬ方向から飛んでくるかもしれないボールにも気をつけなければならない。現役時代は投手で内野手の経験はない。年々、動きもにぶくなるはずだが軽やかな動きで送球をさばき、エラーした選手には大声でゲキを飛ばす。「こわいけど必死にやらないと仕事がなくなる。(送球を)捕れなくなったら終わり。腰がひけると選手が気を遣って投げてくるから、人によってはイップスになることもある。だから軽く捕ったふりをして『下手くそ』とか言わないと練習にならない」。50歳を超えると肉体仕事が体にこたえるようになってきた。日課のウォーキングで現役時代と変わらない体型をキープする。

 誕生日の練習後、球団スタッフから赤いキャップとTシャツ、健康器具をプレゼントされた。「そこも赤にするのかと(笑)。秋田で60歳をイメージするとすごいおじいちゃんだけど、ここまでやれるのも選手のおかげかもしれない。会話にしても行動にしても、若い人たちと一緒にやれているから。気を遣ってもらうと反対にやりづらいよね」。年上だからといって驕ることはない。常に選手の目線で物事を見ることが老け込まない秘訣なのだ。

 入団してから17度のリーグ優勝、9度の日本一と歓喜も味わったが一方で2度の最下位も。昨季は球団ワーストの91敗を目の当たりにした。天国も地獄も酸いも甘いも味わってきた。契約は1年更新。選手同様、日々の仕事は常に真剣勝負だ。「選手、チームのためにやってきたつもり。家族には迷惑かけていると思うけど、協力的なので好きなようにやらせてもらっている。言いたいことあるんだと思うけど…」と感謝の気持ちを持ち続ける。ドジャースの名将トミー・ラソーダは「俺の体にはドジャーブルーの血が流れている」という名言を残したが、後藤の体の中にはライオンズブルーの血が脈々と流れている。還暦を迎えても、まだまだ若い。明るく、美しく。再びの黄金期へ、チームを裏から支えていく。(秋本 正己)

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