「育成落ち」は終わりではない。支配下登録を勝ち取り、躍進した7選手を紹介

パ・リーグ インサイト 望月遼太

2019.10.23(水) 12:00

2番手マリーンズ・チェン 3イニング無失点の投球で今季初勝利
2番手マリーンズ・チェン 3イニング無失点の投球で今季初勝利

支配下から育成に契約を切り替える選手は、毎年存在するもの

 レギュラーシーズンが終了し、今季も多くの選手が球界を去る寂しい季節が訪れた。その一方で、支配下から育成契約への移行を打診され、来季から契約を切り替える選手も存在する。ケガや手術の影響でリハビリに時間がかかる場合や、支配下登録の枠に余裕を持たせる場合など、その理由はさまざまだが、そこから再度チャンスをつかみ、支配下登録を勝ち取って一軍の戦力として活躍した選手は、これまでにも数多く存在している。

 そこで、今回はドラフトで支配下選手として指名されながら、一度育成契約への切り替えを経験した後に、支配下への返り咲きを果たして一軍の舞台で存在感を発揮した選手たちを紹介。各選手の経歴を紹介するとともに、苦境を乗り越えた男たちの諦めない姿勢を振り返っていきたい。

中村紀洋氏(元・近鉄、オリックス、中日、楽天、横浜DeNA)

 中村氏は、支配下から育成契約に切り替わり、そこから這い上がって復活を果たした最初の選手といえる存在だ。近鉄の主砲として本塁打王1度、打点王2度と大活躍した中村氏は、シドニー五輪の日本代表や大リーグでのプレー経験もある、球界を代表するスター選手だった。しかし、2006年オフにオリックスを自由契約となると、年内までに移籍先は見つからず、翌2007年の2月末に中日と育成選手として契約を結んだ。

 近鉄時代は代名詞の豪快なフルスイングを武器に華々しい活躍を披露していた中村選手だったが、中日では背番号3桁からのスタートに。それでも飽くなきアピールを続け、3月には支配下登録を勝ち取る。シーズンに入ってからは三塁手のレギュラーとして20本塁打、打率.293という数字を残し、規定打席にも到達。クライマックスシリーズを勝ち抜いて臨んだ日本シリーズではチームを日本一へと導く大活躍を見せ、シリーズMVPにも輝いた。

チェン・ウェイン投手(元・中日)

 先述の中村氏とは中日時代の同僚でもある、チェン・ウェイン投手も育成契約を経て躍進を果たした一人。台湾出身のチェン投手は2004年に19歳で中日に入団し、翌2005年には10試合に登板してプロ初セーブも記録。しかし、2006年に負った大ケガの影響で長期離脱を強いられ、2007年は育成契約という立場でリハビリに励んだ。翌2008年にケガが癒え、支配下に復帰すると、先発・中継ぎの双方で活躍。39試合で7勝6敗12ホールド、防御率2.90とブレイクを果たした。

 続く2009年には先発投手としてさらなる進化を遂げ、防御率1.54というすばらしい数字で最優秀防御率を獲得。2010年には初の2桁勝利となる13勝(10敗)を挙げ、防御率も2.87。2011年にも8勝ながら防御率2.68と安定感のある投球を続け、2011年オフに米球界へと挑戦した。新天地のオリオールズでも主力投手として4シーズンで46勝を挙げる活躍を見せ、大リーグの舞台でもその実力を証明してみせた。

チェン・グァンユウ投手(元・横浜DeNA、現・千葉ロッテ)

 そんなチェン・ウェイン投手と同姓で同じ台湾出身、同じ左腕のチェン・グァンユウ投手も来日後に育成契約を経験している。台湾の大学から2011年に横浜(現・横浜DeNA)に入団するが、2012年に育成選手に移行。同年8月にはトミー・ジョン手術も受けたが、2014年に支配下登録へと返り咲く。しかし、一軍では1試合の登板で防御率11.57と振るわず、同年オフには自由契約となってしまう。

 しかし、千葉ロッテのテストに合格して入団を勝ち取ると、新天地で迎えた2015年は14試合で5勝4敗、防御率3.23と先発として存在感を発揮する。その後も貴重な左腕として毎年一軍での登板機会を得て、2017年からは主にリリーフとして活躍。ロングリリーフもいとわずに奮闘を続け、2019年は自己最多の44試合に登板。勝ちゲームからビハインドまでさまざまな起用に応え、防御率も3.63とキャリアハイの1年を過ごした。

柳瀬明宏氏(元・福岡ソフトバンク)

 龍谷大学から2006年にプロ入りした柳瀬氏は、プロ1年目からリリーフとして10試合に登板し、プレーオフでは2勝を挙げる活躍を見せる。2年目の2007年には44試合に登板して4勝1敗9ホールド2セーブ、防御率3.33とリリーフ陣の一角として奮闘し、続く2008年にも30試合に登板。若くして一軍の舞台で実績を積んでいたが、2009年は3試合の登板に終わると、2010年にはトミー・ジョン手術を受けることに。同年オフには育成契約へと移行した。

 その後、柳瀬氏は長いリハビリを乗り越えて2012年に支配下登録を勝ち取り、3年ぶりとなる一軍登板も経験。35試合で15ホールド、防御率1.63と素晴らしい投球を見せた。復活を果たした柳瀬氏は2013年に44試合で防御率1.52、2014年に40試合で防御率2.67と安定感のある投球を続け、強力ブルペンの一角として2014年のリーグ優勝と日本一にも貢献している。

近藤一樹投手(元・近鉄、オリックス、現・東京ヤクルト)

 日大三高で夏の甲子園の優勝投手となり、オリックス時代の2008年には25歳でシーズン10勝を達成。翌年も9勝を挙げてローテーション投手の座を確立したかに思えたが、2011年から4年連続で右肘を手術するなど、相次ぐ故障にも悩まされて登板機会は大きく減少し、2014年オフにはリハビリのために育成契約に。2015年の4月末に支配下へと復帰するが、その後も成績は上がらず。2016年7月、トレードで東京ヤクルトへの移籍が決まった。

 このトレードが、近藤投手にとっては大きな転機となった。オリックスでは先発としての登板が大半だったが、東京ヤクルトではリリーフに転向。2017年には防御率4.72ながら54試合に登板して14ホールドを挙げると、2018年にはNPB歴代15位タイの74試合に登板し、7勝4敗35ホールド2セーブと大車輪の活躍を見せる。かつてケガに苦しめられた右腕は、時を経て球団史上最多タイのシーズン登板記録を打ち立てる鉄腕となり、自身初タイトルとなる最優秀中継ぎ投手にも輝いた。

久保裕也投手(元・巨人、横浜DeNA、現・楽天)

 久保投手は2003年のプロ入り以来、巨人で主力投手として長年活躍し、2011年にはクローザーとして20セーブ、防御率1.17とすばらしい成績を残した。しかし、股関節の手術やトミー・ジョン手術を行った影響もあり、2012年から2年間でわずか2試合の登板にとどまる。2014年には48試合に登板して復活の兆しを見せたが、翌2015年には一軍での登板機会は一度もなく自由契約に。2016年は横浜DeNAと契約したが、ここでも結果を残せず、2年連続で自由契約となってしまう。

 その年のオフに自身3球団目となる楽天と契約し、2017年には27試合に登板して防御率3.60と復活の兆しを見せた。だが、シーズン終盤に血行障害を発症し、オフにはリハビリのために育成契約に切り替えることに。それでも久保投手は折れることなく再起し、2018年5月には支配下へと返り咲く。この年は一軍で25試合に登板して防御率1.71と抜群の安定感を見せると、2019年にも22試合で防御率2.82と好投を継続。節目の通算500試合登板も達成し、38歳になった今もなお、その実力を見せつけている。

原口文仁選手(阪神)

 原口選手は2009年のドラフトで支配下選手として阪神入りするが、一軍出場のないまま2012年オフに育成選手契約に移行。その後3シーズンを育成選手として過ごしたのち、2016年の4月末に支配下へと復帰する。この年に一軍デビューを果たすと、107試合で11本塁打、打率.299と活躍。捕手ながら優れた打撃成績を残し、オールスター出場も果たす飛躍の一年とした。

 その後も打力を武器に一軍の舞台で躍動し、2018年には代打での打率.404という素晴らしい数字を記録。シーズン通算でも82試合で打率.315と活躍したが、2019年の1月に大腸がんであることを公表。闘病生活を経て6月に一軍復帰すると、43試合で打率.276と再び活躍を見せる。自身2度目となったオールスターでも、2打席連続本塁打を放って復活をアピール。大病を乗り越えて奮闘を続けるその姿は、敵味方を問わず多くの人々の胸を打った。

育成契約からの返り咲きを経験した選手たちは他にも

 2018年に月間最多タイの18試合登板を記録した山田修義投手(オリックス)も、2014年にトミー・ジョン手術を受けて育成選手への切り替えを経験している。2019年には前年の30試合を上回るシーズン40試合に登板し、防御率3.56と好投。貴重な左のリリーフとして活躍した。

 最速158km/h左腕として将来を嘱望されながら、相次ぐ怪我に苦しめられた川原弘之投手(福岡ソフトバンク)は、2016年から2019年3月末までという長い期間を育成選手として過ごした選手だ。今季開幕前に4年ぶりに支配下登録へ復帰し、19試合で防御率2.66という数字を記録。来季以降のブレイクに向けた足掛かりをつかんだ。

 石橋良太投手(楽天)は2017年オフに支配下から育成契約に変更されたが、2018年途中に再び支配下に。今季はリリーフとして開幕から一軍に帯同すると、シーズン途中からは先発ローテーションの一角に定着。28試合で8勝7敗、防御率3.82と活躍し、チームのAクラス入りにも貢献している。


 以上のように、一度支配下選手登録を外れた選手たちの中にも、その後復活して活躍を見せた先人たちが多数存在している。今オフに支配下から外れて育成契約に移行する選手たちの中からも、後に同様の躍進を見せてくれる選手が一人でも多く出てきてくれることを願いたい。

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パ・リーグ インサイト 望月遼太

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