北海道日本ハム田中賢、引退試合前に会見で涙 「すごく幸せな20年間だった」…一問一答

Full-Count 石川加奈子

2019.9.27(金) 14:27

引退会見に臨んだ北海道日本ハム・田中賢介※写真提供:Full-Count(写真:石川加奈子)
引退会見に臨んだ北海道日本ハム・田中賢介※写真提供:Full-Count(写真:石川加奈子)

午後6時からのオリックス戦が引退試合「昨日の夜はちょっと眠れませんでした」

 北海道日本ハムの田中賢介内野手が27日午後、札幌ドームで引退会見に臨んだ。午後6時から本拠地で行われるオリックス戦に出場し、日米通算20年のプロ野球人生にピリオドを打つ。

 主な一問一答は以下の通り。

――今の心境は。

「今までのプロ野球生活であまり寝れないということはなかったのですけど、昨日の夜はちょっと眠れませんでした。今、ちょっと眠たいです」

――昨年12月に引退を表明してからどんな思いでプレーをしてきたか。

「今年1年に限っては、今まで応援してくれた方々や支えてくれた方々への感謝の気持ちを持ってプレーをすると決めた1年でした。今までとは違う野球への取り組み方だったり、気持ちの持ち方をやった1年だったので、毎日毎日が充実しつつ、それと同時に寂しさを日々感じる1年でした」

――周りの方々からどんな言葉があったか。

「ファイターズファンだけではなくて、福岡、大阪、千葉、東京と違うチームの方々も花束贈呈という形で軽いセレモニーをしてくれたことにすごく感謝していますし、野球って、そういう枠を越えて素晴らしいスポーツだなと実感しました」

――今朝、自宅を出る時には家族からどんな言葉をかけられたか。

「子供が2人いるんですけど、上の子は僕がもう辞めるというのは分かっていて、それはある意味これから時間がたくさんできるので、喜んでいるのかなとちょっと思っていたんですけど……(30秒言葉に詰まり涙ぐみながら)今日の朝……寂しそうな感じだったので、ちょっときましたね」

――どんな20年間だったか。

「あっという間に過ぎた20年間でしたし、僕一人では到底できなかったですし、たくさんの方々の協力があって、感謝しています」

北海道は「今では僕のふるさとみたい」

――ここまでできた一番の要因、そして影響を受けた方は。

「数え切れないほどいるので、強いて挙げるのは難しいですけど、本当に場面場面で出会うべくして出会った人たちがたくさんいて、その人たちに支えられながらやれたのはすごく幸せな20年間でしたね」

――その20年間の中でも印象に残っているシーンは。

「2006年の日本シリーズで日本一になった時、これが僕の中で一番大きな出来事でしたし、一番の幸せな時間だったと思いますね。それまで6年間、鎌ヶ谷で2軍生活が続いた中でやっとレギュラーになれて、なおかつチームも僕の入団当時からある意味改革を始め、実を結んだというのが2006年だったので」

――それを移転してきた北海道で成し遂げた意味は。

「あの時、本当にみんな北海道に来て良かったなと思いましたし、改めて北海道にファイターズというチームが根付いた瞬間だったと思いますね」

――北海道はどんな存在だったか。

「最初は右も左も分からず住み始めましたけど、今では僕のふるさとみたいになってます」

――スタンドの賢介コールはどんな風に聞こえていたか。

「この1か月、全国で賢介コールを聞きながら過ごしましたけど、毎回聞く度に寂しい思いになりましたし、それと同時に感謝の気持ちになって。本当に感謝しかないですね」

――ファンへのメッセージを。

「皆さんのおかげでこんなに長くプレーできて、本当に感謝してもしきれないので、これからは後輩たちがこの思いを継いで、強いファイターズをつくってくれると思うので、それはそれで応援していただけたらなと思います」

――この後の引退試合はどんな試合にしたいか。

「元々、涙腺が弱いので今日も泣いてしまいましたけど、たぶん感動して泣いてしまうかもしれませんけど、それも含め、最後いい姿を見せられたらいいなと思います」

(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)

記事提供:Full-Count

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