福岡ソフトバンクホークス甲斐野央投手は「毎回ビビってる」。まだまだ進化の途中

パ・リーグ インサイト

ドラ1右腕が学生時代に語った「不安」

 東洋大学スポーツ新聞編集部の学生記者として、筆者が初めて甲斐野央投手を取材をしたのは、甲斐野投手が大学3年次の2017年11月26日のこと。その日は甲斐野投手のほかにも取材予定の選手がいたのだが、こちらの手違いで2選手が東洋大学寮内のトレーニング室に来てしまう事態に。焦る筆者に「2人同時でもいいですよね?」という甲斐野投手の救いの一声で、申し訳ない気持ちを抱えつつ、同時取材を行うことになったほろ苦い思い出だ。初めて取材した印象は“よく話す関西人”(笑)。そこから甲斐野投手の“番記者”になろうとは、そしてその約1年半後にドラフト1位でプロ野球界に飛び込むとは、その時は思いもしなかった。
 
 番記者として甲斐野投手を1年間取材してきた中で感じた魅力は、最速158キロのストレートでも鋭く落ちるフォークボールでもなく、切り替える力。大学時代は試合後に決まってと言っていいほど、「今日は良かった。でも、明日は明日。しっかり切り替えてまた抑えるだけ」「悪かったところは考えるけどしっかり切り替えて明日に臨みたい」と口にしていた。メディアを通じたコメントを見る限り、この姿勢はプロ入りをした今も変わっていないと思う。

 プロ野球のスカウト陣が毎試合足繁く通う中、全試合で好投を披露できたわけではない。今でも忘れることができないのは、4年次秋季リーグ戦の3戦連続救援失敗。3戦目の終了時にはバスに乗りこむ直前で「プロに行くのは無理かもしれない」とつぶやき、表情を曇らせていた。かける言葉がないとはこのことだった。甲斐野投手は卒業前に当時のことを「すべてがうまくいってなかった」と振り返った。
 
 最後の秋を負け投手として終えた2日後に、「2018年 プロ野球ドラフト会議」を迎えた。当日を東洋大学白山キャンパスで中川圭太選手(オリックス)、上茶谷大河投手(横浜DeNA)、梅津晃大投手(中日)と共に待ち、先に上茶谷投手が横浜DeNA、東京ヤクルトの競合指名で名前を読み上げられた時には「『か』って言われて思わず反応した。それと同時に何となく自分の1位指名はないと思った」と一言。だがその後、福岡ソフトバンクからドラフト1位指名を受け、同球団に入団を果たした。

 東洋大学からは歴代最多の4名が指名。喜びに沸き、希望に満ちた全体会見後に、個別取材をすべく甲斐野投手のもとへ向かうと、出てきた言葉は「不安しかない。でも、与えられた役割で頑張る」。こうして激動の1年間を番記者として追ってきたが、甲斐野投手は2019年3月23日に東洋大学を卒業し、新たな一歩を踏み出した。

甲斐野投手の取材ノートは1年間で4冊になった。
甲斐野投手の取材ノートは1年間で4冊になった。

 筆者は筆者で、甲斐野投手ら東洋大学の先輩たちの新たな挑戦に背中を押されるように(そして彼らの活躍を追いたくて!)、パ・リーグの公式メディアである「パ・リーグインサイト」で学生記者をするようになり、縁あって、神宮での凱旋登板前の甲斐野投手へのインタビューが叶った。

 約半年ぶりとなるインタビュー形式の取材前日。大学時代と変わったのは甲斐野投手ではなく、自分自身だった。緊張のあまりまったく眠れないのだ。何もせずにいるのは落ち着かず、1年間の取材を振り返るために過去の取材ノートに目を通しながら録音を聞き、ひたすらに時が経つのを待つ。こうして“また甲斐野投手に取材できる”という喜びを噛み締めた。

 取材場に着いて甲斐野投手と再会し、一番に感じたのは甲斐野投手の身体つきの変化だ。福岡ソフトバンクの球団公式Twitterに上がっていた上茶谷投手との2ショットで大胸筋が大学時代よりたくましくなっていると思っていたが、たった半年で全体的にひとまわりもふたまわりも大きくなっていたことに驚いた。さぁ緊張の取材が始まる。

甲斐野投手が「あの人は天才」と呼ぶ人

ーー今季ここまでを振り返っていかがですか?

まだ26試合ですけれど、簡単に言うと本当にいろいろありました。最初は右も左もわからない状況で、ガンガンいけていました。途中で連続無失点が途絶えて、一回くじけて、その後また調子が上がってきて。ここまで本当にいい経験をさせていただいています。後半戦はもっと緊張する、しびれる場面で投げることもあると思うので、そこへの準備も考えていきたいですね。まずは一軍で生き残ることが第一優先。先輩からアドバイスをいただきながら、生き残るためにしっかり投げて抑えたいと思います。

ーーよくアドバイスをもらう先輩は?

特定の選手というより、みなさんからです。スター軍団なので、投手だけでなく野手の方からもアドバイスをいただいています。野球以外のことでもです。何を聞いても僕にとって必要なことを教えていただいています。

バッテリーを組む甲斐さんからは、普段はいじられたりと、かわいがっていただいています(笑)。でも、野球となると別です。僕は今までショートイニングばかりの登板ですが、「とりあえず先頭切ろうな」とか。僕の性格をわかってくださっていて、試合前は考えすぎないようにメンタル的な部分をフォローするような言葉をかけていただいています。それで試合が終わったら「ここがこうだったね」みたいな技術的な反省の話をしてくれますね。まだ2,3カ月ですけど、すごく僕のことをわかってくださっています。

ーーそのような先輩に囲まれて戦ってきましたが、これまで26試合で投げ、印象深い試合はどの試合ですか?

今のところは開幕戦ですね。オープン戦でもいい成績を残していたので、試合の初めのほうから準備はしていましたし、投げる機会があれば期待に応えたいという一心でやってやろうと思っていました。相手も去年優勝した西武だったので、本当にがむしゃらに、自分の力を出すだけだと思っていました。それがああいう結果につながって(2回無失点初勝利)。あの時のファンの方からの応援や、ベンチに帰ったときの先輩方からかけていただいた声がすごく印象に残っています。

ーーパ・リーグは強打者揃いですが、どのような心境で投げていますか?

本当に怖くて、毎回ビビりながら投げています(笑)。でも僕はプロに入ってからサインに対してまったく首を振っていない。それくらい甲斐さんや高谷さんを信じて投げています。要求通りに投げられるコントロールがあるかというとわからないですが、でもそれもわかった上でサインを出していただいていると思うので。僕はしっかり腕を振って自分の球を投げるだけです。

ーーオールスターゲームのファン投票の中間投票では2位でした。ファンの期待や声援がプレッシャーになることは?

いや、それは全然。もちろん最初は「抑えたい」と力んだこともありましたけれど、毎回毎回応援してくださるのが本当に嬉しいことだなと今は思っています。オールスターに関してはまったく意識はしないですね。1年目でいろいろ初めてだし、テレビで見るくらいだったので。自分がそこに出るという感覚がわからないですけど、もし出させていただけるならそれもいい経験になるとは思います。

ーーここまで多くの球場で投げましたが、投げやすい球場、苦手チームなどはありますか?

ヤフオクドームですね。ホーム球場なので観客の方の雰囲気が一番ですし、慣れなのかもしれませんが。体のメカニズム的にも一番投げやすいと感じています。苦手なチームはあまりつくりたくないですけれど…… 成績的に楽天はよろしくないですよね。記録が途絶えたのも楽天ですし、負けがついたのも楽天。僕の技術不足です。

ーー球場が変わると、調整方法にも変更があるからでしょうか

今までやっていた遠投ができない球場もありますからね。でも、そういう時でもプレートから少し下がって投げたりと、工夫をして調整をしてます。あと、大学時代は調子のバロメーターとしてブルペンである程度球がバラついてる日の方が良かったんですけど、プロに入ってからはそれだと心配になりますね。

ーーそのブルペン調整の面で、プロに入ってから変わったと思うところはありますか?

準備の面では、最初はどんどん腕を振って高めてマウンドに向かってたんですけど、「それじゃシーズン長いからもたないよ」と言われて。なので、今はその日の調子によって差はあるんですけどある程度肩をつくったら時間を置いて、「行くぞ」と言われてから3,4球思い切り投げてからマウンドに向かっています。そういうところもプロに入ってから変わりました。

ーー大学までの野球生活と変わった点だと春季キャンプもあると思いますが

キャンプは本当にきつかったです。プロのキャンプってこんなにきついんだ、と一番思いました。第二クールまでは結構びっくりするくらいものすごく走りましたし……これも含めていい経験をさせていただいていると感じます。

ーー大学時代のキャンプ地は千葉県の鴨川でしたが、福岡ソフトバンクは宮崎で行なっています

大学のキャンプは本当に寒かったんですけど、宮崎は暖かかったですね。もちろんプロですから設備や環境面はとても快適だったので、辛かったのは本当に走り込みだけ……(笑)

ーー相当しんどかったんですね(笑)。ほかに学生時代から“変わった”と感じるところはどういうところでしょうか

身体が強くなったことですかね。大学のときは弱かったんです。すぐに痛いだのかゆいだのって(笑)。プロに入ってトレーニングをきっちりするようになって、トレーニングの方法もそうですが、治療の方法もプロに教えていただいたり、実際に治療をしていただいて、疲れがたまらない体になっています。その部分が技術的に伸びたと言えるかと。

ーー同じパ・リーグには東洋大学同期でオリックスで活躍している中川圭太選手もいますが対戦したいですか?

対戦したいというか、したら抑えたいという感じ。したくないよりはしたいですけどね。大学時代の通算対戦成績は本当に悪くて、5の4くらいで打たれてるんじゃないかな。しかもそのうち3本はホームランだと思う。今、ホークス戦で結構打ってるのは腹立ちますね(笑)*。でも、あの人は天才なんで。もし対戦することがあったら、ガンガンインコースに直球投げて攻めていきますよ。

*編集部注:7月4日時点で対福岡ソフトバンクとの打率を.400としている。

ーー今日から学生時代に慣れ親しんだ明治神宮球場での3連戦です

大学で立った神宮球場とプロで挑む神宮球場はぜんぜん違うと思います。オープン戦では投げてはいないんですが、一応神宮球場は経験しました。投げてみたいという気持ちはあります。プロ野球選手として神宮球場のマウンドに上がった時にどんな感覚になるのか気になるので。でも、マウンドに上がることがあればまずはスワローズのバッターを抑えることだけです。

ーー今日スワローズの予告先発は、高校・大学の先輩の原樹理投手ですね

僕が先発なら投げ合いとかになって良かったんですけどね(笑)。僕は1イニングだけなので。樹理さんもそんな意識してないんじゃないかな。ブルペンに入るタイミングが違うので、挨拶も行けないと思いますが、もし会えるようであればダッシュで行きます!

ーー最後にこれからのシーズンの意気込みを聞かせてください

まだシーズンは長いですけれど、僕は先のことを考えたらダメなタイプ。あまり先のことは考えずに、怪我をしないということを第一に。その上で目の前の試合の1イニング、1アウトを取ることをいかに全力でできるかじゃないですかね。そのことだけを考えてますし、その積み重ねだと思うので、大きい目標をつくろうとは思っていないんです。

慣れ親しんだマウンドでの第一歩

「オープン戦ぶりの神宮球場。大学時代とプロ野球の神宮球場は違うと思う」とインタビュー時の甲斐野投手の言葉を反芻しながら3塁側内野席へ。甲斐野投手のレプリカユニフォームに袖を通して戦況を見守り、ようやく9回裏にその瞬間が。「ピッチャー甲斐野」と神宮球場に238日ぶりにその名が告げられると、大学時代とは比にならない大声援を背に受けながら甲斐野投手がマウンドに向かい、大学当時から変わらぬ手順で投球練習を始め、打者と対峙する。

 やはり、神宮球場への凱旋登板で意識するところがあったのか。走者を許すも2死までなんとか漕ぎ付け、対する打者は山田哲人選手(東京ヤクルト)。暴投で2人の走者をそれぞれ進塁させると、3塁側の客席からは「甲斐野頑張れ!」と大きな声援が飛ぶ。なんとかあと1人! 抑えてくれ! と球場にいた福岡ソフトバンクファンが祈るも実らず、投じた6球目が外れ押し出しの四球となり、交代を告げられ初セーブとはならなかった。

 チームの守護神・森唯斗投手が怪我の影響で戦線を離脱し、新守護神の誕生が待ち望まれる福岡ソフトバンク。この日は本来の投球を披露することはできなかったが、今後のクローザーとしての活躍に期待したくなる一戦となった。

 いわゆる「プロ注(プロ注目株)」「プロ1巡目指名は確実」と呼ばれ、大学球界屈指の投手として注目を浴びていた甲斐野投手。メディアで取り上げられる活躍からも今の様子を想像していたが、再びインタビューをして、前評判に応えて着実にスターダムへの階段を駆けていることを実感し鳥肌がたった。次に取材できるのはいつだろう。中川選手を打ち取った時か、新人王の時か、はたまた優勝の時か。その時には僕も、もっといい記者になりますから。先輩、また会いましょう。

文・須之内海

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