165キロ、シーズン216安打、24連勝……平成に生まれた快挙を振り返る

パ・リーグ インサイト 望月遼太

2019.4.29(月) 18:30

大谷翔平選手(C)パーソル パ・リーグTV
大谷翔平選手(C)パーソル パ・リーグTV

 「平成」が幕を閉じる。1989年から30年間続いたこの期間、プロ野球界においてはさまざまな快挙が達成されてきた。今回は、平成のうちにパ・リーグで達成された記録の数々を紹介していきたい。

イチロー氏:NPB史上初のシーズン200本安打超え(1994年)

 今年3月に惜しまれながら現役を退いたイチロー氏は、登録名を本名の「鈴木一朗」から「イチロー」に変更したプロ3年目の1994年に大ブレイクする。驚異的なペースでヒットを量産し、打率.385に加えてNPB史上初の200安打超え(210安打)を達成。当時は現在より10試合以上も少ない130試合制であり、イチロー選手がどれほどハイペースでヒットを積み重ねていったかがうかがえる。

 イチロー氏のその後の活躍は周知の通りだ。7年連続の首位打者、5年連続の最多安打、5度の最高出塁率、打点王・盗塁王と、数多くのタイトルを獲得し、山田久志氏に続いて史上2人目の3年連続MVPに輝く。MLBでも、2度の首位打者、7度の最多安打、盗塁王とMVPに加え、歴代最多のシーズン262安打を記録。通算安打は3000本を超え、日米の球史にその名を刻む偉大な打者となった。

北川博敏氏:代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン(2001年)

 北川氏は1994年に捕手としてドラフト2位(逆指名)で阪神に入団したが、一軍定着できないまま2001年に近鉄へと移籍。新天地でも的山哲也氏、古久保健二氏といった守備力の高い捕手陣に阻まれてレギュラー定着は果たせなかったが、代打として徐々に存在感を発揮する。29歳の誕生日に自身初のサヨナラ打を放つなど随所で活躍を見せ、優勝争いを繰り広げるチームに貢献していた。

 勝てばリーグ優勝となる2001年9月26日のオリックス戦、近鉄は9回表を迎えた時点で3点ビハインド。だが、ここで近鉄打線が無死満塁の絶好機を作ると、梨田昌孝監督は北川氏を代打に送り込む。ここで北川氏はオリックス・ブルーウェーブのクローザー・大久保勝信氏のスライダーを捉え、左中間スタンドへ。「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」となった奇跡の一打は、今なお多くのファンに語り継がれる伝説の名場面となっている。

松中信彦氏:平成唯一の三冠王(2004年)

 2000年代前半のパ・リーグを代表する強打者として活躍した松中氏にとって、2004年はキャリアハイの1年となった。前年に自身初タイトルとなる打点王を獲得すると、開幕からより凄味を増した打棒を披露。主要三部門のすべてで上位をキープし、城島健司氏、小笠原道大氏、和田一浩氏、フェルナンド・セギノール氏といった強打者たちと熾烈なタイトル争いを繰り広げた。

 2004年はアテネオリンピックが開催される年であり、城島氏、小笠原氏、和田氏が五輪出場のためにチームを離れたことも松中氏にとっては追い風に。セギノール氏とのマッチレースが最後まで続いた本塁打王争いが最大の関門だったが、最終的には同数で並んでタイトルを分け合うことに。130試合で44本塁打120打点、打率.358という成績で「平成唯一の三冠王」という称号を手にした。

平成生まれの選手として、初めて勝利を挙げた投手となった唐川侑己投手
平成生まれの選手として、初めて勝利を挙げた投手となった唐川侑己投手

唐川侑己投手:平成生まれの選手として初勝利(2008年)

 1989年生まれの唐川投手は中田翔選手、由規(佐藤由規)投手とともに「高校ビッグ3」と称され、地元球団の千葉ロッテに入団。2008年4月26日にプロ初先発のマウンドを踏むと、7回無失点の好投で見事に初登板初勝利を飾った。NPBでは平成生まれの選手としては初めて勝利した投手にもなり、球史に新たな1ページを刻んだ。

 2年目の2009年から先発陣の一角に加わり、2011年には12勝を挙げるなど主力投手として活躍したが、相次ぐ故障も影響して、2014年からはなかなか本領を発揮できず。2018年も序盤戦は苦しんでいたが、シーズン途中に中継ぎへ転向したことが転機に。短いイニングを任されたことで生命線だった速球の球威が復活してセットアッパーの座を手中に収め、2019年もリードした試合の8回を託され奮闘している。

セ・パの両リーグにおいて卓越した打撃技術を発揮した内川聖一選手
セ・パの両リーグにおいて卓越した打撃技術を発揮した内川聖一選手

内川聖一選手:平成唯一の両リーグ首位打者(2011年)

 横浜在籍時の2008年、右打者としてはNPB史上最高となる打率.378を記録して首位打者に輝いた内川聖一選手は、そこから3年連続で打率.310超の安定した打撃を披露し続けた。球界屈指の好打者としての地位を確立すると、2010年のオフにFA権を行使して福岡ソフトバンクへと活躍の場を移した。

 その打撃力は移籍初年度の2011年から存分に発揮され、統一球導入の影響でリーグ全体の打撃成績が下降する中でも高打率を維持。故障離脱がありながら打率.338を記録し、自身二度目の首位打者に輝いた。両リーグでの首位打者達成は、中日・ロッテなどで活躍した江藤慎一氏以来史上2人目。平成では唯一となる快挙だった。

田中将大投手:開幕から無傷の24連勝(2013年)

 田中投手は2007年の入団から2012年までの6年間で5度の2桁勝利を記録し、楽天投手陣を支える中心的な存在となっていた。そして迎えた2013年、その投球はさらに高い次元へと到達する。田中投手は開幕から無敵の投球を続け、ただの一度も黒星を喫することなく優勝争いを繰り広げるチームを引っ張っていく。

 ついにはレギュラーシーズン終了まで敗戦を経験しないまま最後まで投げ抜き、24勝0敗1セーブ、防御率1.27という史上類を見ない好成績を残した。シーズン24連勝、前年から継続の個人28連勝は、いずれもNPB史上最多。球団創設以来初のリーグ優勝・日本一の立役者となり、このシーズンを最後に戦いの場をMLBへと移している。

シーズン最終戦で日本記録を塗り替える年間215本目の安打を記録した秋山翔吾選手
シーズン最終戦で日本記録を塗り替える年間215本目の安打を記録した秋山翔吾選手

秋山翔吾選手:NPB史上最多のシーズン216安打(2015年)

 現在の球界を代表するヒットメーカーのひとりとして活躍している秋山選手が、その打撃能力を完全開花させたのは2015年のことだった。その前年までシーズン打率.300以上を記録したことは一度もなかったが、この年は開幕から絶好調を維持。6月から7月にかけて31試合連続安打を記録するなど快調にヒットを重ねていき、マット・マートン氏(元阪神)が持つシーズン最多安打記録の更新も射程圏内に捉え始める。

 残り2試合となった段階でマートン氏が記録した214安打まで残り5本と、記録更新は微妙な状況だった。だが、秋山選手はこの正念場に1試合5安打という驚異的な固め打ちを見せ、一気に最多記録に並ぶ。そして、シーズン最終戦で2安打を上積みして新記録を樹立。球史にその名を刻み、リーグ屈指の好打者としての地位を確立する飛躍の1年とした。

クローザーとして上がったマウンドで、NPB史上最速となる165km/hを記録した大谷翔平選手
クローザーとして上がったマウンドで、NPB史上最速となる165km/hを記録した大谷翔平選手

大谷翔平選手:日本最速の165km/h(2016年)

 高校時代に160キロの速球を投じて大きな注目を集めた大谷選手は、投打の両方をこなす「二刀流」として北海道日本ハムに入団。2年目から早くもずば抜けた才能を発揮して投手と指名打者の双方で主力に定着し、NPB史上初の「2桁勝利&2桁本塁打」という記録も達成。球界に旋風を巻き起こし、NPBを代表するスター選手への階段を駆け上がっていった。

 そして迎えた2016年、故障もありながら投手で10勝4敗、防御率1.86。打者では打率.322、22本塁打、67打点と、ともにハイレベルな数字を残してチームの奇跡的な逆転優勝にも大きく貢献。

 そして、あと1勝で勝ち抜けが決まるクライマックスシリーズ第5戦では指名打者を解除して9回のマウンドに上がると、短いイニングということもあって全力投球を見せる。そのボールはNPB史上最速となる165キロを計時し、圧巻の内容でチームを日本シリーズに導いた。史上初の「投手と野手でベストナイン」という快挙に加えてシーズンMVPにも輝き、日本におけるキャリアハイの1年とした。

世界記録に並ぶ、8試合連続2桁奪三振の快挙を達成した則本昂大投手
世界記録に並ぶ、8試合連続2桁奪三振の快挙を達成した則本昂大投手

則本昂大投手:8試合連続2桁奪三振(2017年)

 則本投手はルーキーイヤーの2013年に開幕投手を務めて15勝を挙げ、新人王に輝く鮮烈なデビューを飾る。その勢いのままに快進撃は続き、2014年から5年連続最多奪三振、4年連続200奪三振という快挙を達成。平成を代表する奪三振王のひとりとして活躍している。そんな則本投手の凄味が凝縮されていたのが、2017年4月19日から6月8日まで続いた8試合連続2桁奪三振だ。

 同じく平成を代表する奪三振王として“ドクターK”の異名を取った野茂英雄氏が1991年に記録した6試合連続を上回るNPB新記録で、ペドロ・マルティネス氏とクリス・セール投手が持つMLB記録にも並ぶ快挙を達成。則本投手はこの記録が継続されていた8試合中7試合で勝利投手(残り1試合は勝敗つかず)となっており、まさにエースと呼ぶに相応しい快投を繰り広げた。

圧倒的な剛球を武器に、シーズン最多セーブ記録を塗り替えたサファテ投手
圧倒的な剛球を武器に、シーズン最多セーブ記録を塗り替えたサファテ投手

デニス・サファテ投手:日本新記録のシーズン54セーブ(2017年)

 則本投手が先発としての快挙を成し遂げた2017年には、球界最強の名をほしいままにしていたクローザーも新たな大記録を達成している。サファテ投手は2015年から2年連続でパ・リーグの最多セーブ記録を塗り替えていたが、2017年はより多くのセーブ機会を得てフル回転。防御率1.09という抜群の安定感で、開幕から順調にセーブ数を積み重ねていく。

 自身が持つ年間43セーブというパ・リーグ記録だけでなく、岩瀬仁紀氏と藤川球児投手が保持していたNPB記録の46セーブも上回って日本新記録を樹立。最終的には前人未到のシーズン50セーブを超え、年間54セーブという金字塔を打ち立てた。シーズンMVPと正力松太郎賞の栄誉にも輝くなど、まさに歴史的な1年となった。

2019年4月、前人未到の通算300ホールドを達成した宮西尚生投手
2019年4月、前人未到の通算300ホールドを達成した宮西尚生投手

宮西尚生投手:史上初の通算300ホールド(2019年)

 左のリリーフとして北海道日本ハムに欠かせない存在となっている宮西投手は、2008年にプロ入りしてから11年連続で50試合以上に登板してきた。シーズン防御率1点台のシーズンが4度、同2点台のシーズンが5度と安定感も抜群で、3度のリーグ優勝にも大きく貢献。球界を代表する中継ぎ投手のひとりとして活躍を続けている。

 リリーフ投手は勤続疲労の影響で調子を崩すケースも多い。ホールドが公式記録となった2005年以降で通算200ホールドに到達した選手は過去3人だけという事実からも、勝ちパターンで投げ続けるのは至難の業という事実が浮かび上がる。

 それだけに、毎年安定した投球を続ける宮西投手の頑強さは驚嘆に値するものだ。2018年7月6日に通算274ホールドの歴代新記録を樹立すると、その後も数字を積み重ねて2019年4月13日に前人未到の通算300ホールドに到達。2度の最優秀中継ぎにも輝いた鉄腕は、これからどこまでその記録を伸ばしていくだろうか。


 以上のように、平成のパ・リーグにおいて生まれた印象的なシーンや歴史的な快挙はいくつもあった。令和という新たな時代においても、人々の心を動かすような瞬間が生まれることに期待したいところだ。

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パ・リーグ インサイト 望月遼太

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