シーズンオフの話題といえば、FA権を持つ選手の動向だ。今オフ、パ・リーグでは北海道日本ハムの増井浩俊投手、大野奨太捕手、埼玉西武の野上亮磨投手がFA権を行使し、それぞれオリックス、中日、巨人へ移籍することが決まった。そして選手の去就が決定すると、次に注目が集まるのは「人的補償」についてだろう。
フリーエージェント規約には「他の球団(旧球団)に在籍していたFA宣言選手と選手契約を締結した球団(獲得球団)は当該選手の旧球団に対し金銭及び選手を補償する(『FA補償』)。これはFA宣言選手の当該年度の参稼報酬の額に基づく旧球団におけるランク付けに従い行う。当該FA宣言選手が最初に権利を行使する場合、獲得球団は旧球団に対し、旧球団の選択によるところに従い、『選手による補償』または『金銭補償』のいずれかの補償をする」という旨が記載されている。
旧球団が選手による補償を求める場合は、獲得球団が保有する支配下選手のうちで、外国人選手及び獲得球団が任意に定めた28名を除いた選手名簿から、FA宣言選手1名につき各1名を獲得することができる。これが「人的補償」と呼ばれるものだ。ここでは、FA移籍に伴う人的補償で、パ・リーグの球団に加入した選手たちのことを振り返ってみよう。
・川邉忠義氏(1995年、巨人→日本ハム)
人的補償による移籍第1号の投手である。1989年にドラフト2位で巨人へ入団。日本ハム移籍後の1996年に一軍初登板を果たし、プロ初勝利も挙げている。
・ユウキ氏(2001年、近鉄バファローズ→オリックス・ブルーウェーブ)
1997年ドラフト5位。2001年オフ、加藤伸一氏の人的補償として近鉄からオリックスへ。移籍1年目の2002年から13試合に登板し、7勝1敗、防御率1.93とブレイクする。2006年から中継ぎに転向し、自己最多の34試合に登板。11ホールドポイントを記録した。
・江藤智氏(2005年、巨人→西武)
1988年ドラフト5位で広島に入団し、本塁打王、打点王を獲得する活躍。1999年オフにFA権を行使して巨人に移籍し、2005年オフ、豊田清氏の人的補償で西武へ移籍した。「FAで移籍」した選手が「人的補償で移籍」するのは日本球界では史上初のことだった。
・岡本真也氏(2008年、中日→埼玉西武)
2000年にドラフト4位で中日に入団。2004年には自己最多の63試合登板、防御率2.03で最優秀中継ぎに輝いた。2008年、和田一浩氏の人的補償で埼玉西武へと移籍し、その年のチームのリーグ優勝と日本一に貢献している。
・高濱卓也選手(2011年、阪神→千葉ロッテ)
2007年ドラフト1位で阪神へ入団。プロ入り3年間は一軍未出場。2011年、小林宏之氏の人的補償で千葉ロッテへ移籍した。2014年、イースタン・リーグ首位打者、最高出塁率、技能賞を獲得。来季は一軍で定位置をつかみ取りたい。
・馬原孝浩氏(2013年、福岡ソフトバンク→オリックス)
2003年に福岡ダイエーホークスに入団し、守護神として活躍した。2007年にはセーブ王に輝いている。2012年は怪我の影響で一軍登板なし。すると翌年、寺原隼人投手の人的補償でオリックスへの移籍が発表される。故障を抱えていたとはいえ、スター選手の「電撃移籍」として野球ファンに衝撃を与えた。ただ移籍2年目の2014年には自己最多の55試合登板。33ホールドポイントを挙げて、華麗な復活劇を見せた。
・脇谷亮太選手(2014年、巨人→埼玉西武)
2005年に大学・社会人ドラフト5位で巨人に入団。2011年に怪我の影響で育成選手となるも、そこから這い上がってきた。2014年に片岡治大選手の人的補償で埼玉西武へ移籍する。そして2015年に古巣・巨人へ復帰。これは「人的補償で移籍」した選手が「FAで移籍」する初のケースだった。
・金田和之投手(2016年、阪神→オリックス)
2012年ドラフト5位で阪神に入団。2016年オフ、糸井嘉男選手の人的補償でオリックスへ移籍した。移籍1年目の今季は、34試合に登板して4勝1敗、6ホールドポイント、防御率4.15の成績を収めている。来季は勝ちパターン入りを目指したいところ。
人的補償選手と言うと、旧球団がFA移籍選手の補償として獲得することのできない「任意に定めた28名」から外れていることもあり、ネガティブなイメージがあるかもしれない。しかし、思わぬ形で球団・リーグを越境することになった選手たちの中で、これをチャンスと捉えて飛躍を遂げた選手も少なくなかった。近いうちに増井投手、野上投手、大野選手の移籍に伴う補償内容が発表される。まだまだストーブリーグから目が離せない。
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