苦しんだここ3年は「今後の財産」
福岡ソフトバンクから昨年11月に戦力外通告を受けた攝津正が8日、ヤフオクドーム内で引退会見を行った。
エースと呼ばれた男は、時折笑顔を見せながら最後の会見に臨んだ。26歳でプロに入って10年。「あっという間でしたね。正直、10年やれるとは思ってなかったです。意外にすっきりしています」と攝津。
「才能があるわけではないので、コントロールだけは誰にも負けないようにやってきました」と、10年間同じ背番号「50」を背負い続けた。沢村賞を獲得するようなエースにしては重たい番号だ。それでも「この番号は攝津と思ってもらえるようにやってきました。少しはそういうことができたかなと思います」と語った。
一番印象に残る試合について「去年の初勝利(5月22日の埼玉西武戦)ですね。いろんな感情があって印象的な試合でした」と語る。あの日、攝津はお立ち台で涙を貯めながら必死にインタビューに答えていった。そこにあった「いろんな感情」は本人にしかわからないが、引退会見では「あのライオンズ戦の声援は、今まで味わったことがない素晴らしい声援でした」と改めてファンに感謝の気持ちを示した。
今後については「何かしら野球には携わっていきたい。できればプロでやりたいです。具体的なことはこれからゆっくり考えたい」とした。
和田からのメッセージに感謝
ここ3年は苦しい思いが続いた。それでも「すごい意味のある3年だったと思います。いろんな人と話す機会があった。若い人の相談も聞いた。今からという選手がどう考えているのか、こちらもすごく勉強になりました」と振り返る。そして「この世界はうまくいっていないことの方が多い。今後の財産になると思います」と続けた。
会見場には「攝津へ 本当にお疲れ様 またホークスに戻ってきてください」というメッセージが添えられた花が飾ってあった。贈り主は和田毅。和田は渡米前の2010年に17勝で最多勝利を挙げたが、同年の攝津は38ホールドを記録しており、和田の勝ち星にも大きく貢献した。
翌2011年には和田が16勝、先発に転向した攝津が14勝と2人でチームの優勝に大きく貢献した。2012年に和田は渡米するが、その年の攝津は17勝をマークするなど、和田に代わるエースとして君臨した。
2人が一緒にプレーしたのは和田の渡米前の3年と復帰後の3年。和田からのメッセージを見た攝津は「本当にありがたいですね。偉大な先輩ですし和田さんがいて、この人と一緒に活躍したいと思っていました」と先輩左腕の計らいに感謝していた。左右のエースとしてチームを支え、互いにしのぎを削ってきた経験は、攝津にとってかけがえのないものになったことだろう。
いつか和田の願いが叶う日が来ることを、多くのホークスファンも願っている。
(藤浦一都 / Kazuto Fujiura)
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