【ロッテ】新加入のブルペン捕手がエース小島と“再会” 仙台育英高時代に甲子園で名勝負「球を受けられるのはすごい幸せ」
スポーツ報知
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2024.7.26(金) 05:30
今年4月からロッテに前ENEOSの小林遼氏(29)がブルペン捕手として加入した。仙台育英高(宮城)3年時に夏の甲子園1回戦で、浦和学院(埼玉)の当時2年生エースだった小島和哉投手と大熱戦を演じており、プロの世界での“再会”に「僕は鮮明に覚えてるので、すごく光栄です。あの時よりさらにレベルアップした球を受けられるのはすごい幸せです」と、感慨を込めた。
11年前の夏。甲子園1回戦のセンバツ王者・浦和学院戦は、2時間59分の死闘となった。1点ビハインドの初回の攻撃で先発・小島から一挙6点を奪ったが、3回に8点を失い、4回終了時点で6ー10と大きく試合が動いた。6回には、失策と4本の安打で同点に。酷暑にも負けずに投げ続けてきた小島だったが、10ー10で迎えた9回裏2死一塁となったところで球数が182球となると、左足がつるなど限界に達して降板。直後に1番・熊谷(現阪神)のサヨナラ二塁打で、仙台育英が劇的な勝利を飾った。
小林氏の脳裏に焼き付いているのは、同点で迎えた8回裏の第5打席だ。無死満塁の絶好機を作ったが、すでに150球を投じていた小島の前に、4番・上林(現中日)からのクリーンアップが直球で3者連続三振にねじ伏せられた。3人目の6番打者だった小林氏は「たしか高めのボール球の真っすぐ。あの日一番いいと思うぐらい、伸びて、ホップした。小島の威圧感に押されましたね」と、悔しそうに振り返った。
高校卒業後は、富士大を経て、JX―ENEOS(現ENEOS)に入社。5年目となった22年には、度会隆輝(DeNA)らと共に都市対抗で優勝を果たした。だが、同年末には事実上の戦力外となり、23年の1年間は社業に専念。「都市対抗で日本一になったので、これが区切りだと思った。でも、辞めて気付きました。野球がしたいなって。その気持ちがどんどん大きくなって、それで今に至りますね」。関係者の縁もあり、今春のロッテ加入が決まった。
今季はブルペン捕手として1軍に帯同し、24日に行われたオールスター(神宮)にも参加した。小林氏について、今やロッテの頼れるエースに成長した小島は「(小林さんは)キャッチングが中日(前ロッテ)の加藤匠さんに似てて、めちゃめちゃうまいし、投げやすいです」と、野球技術をべた褒め。ブルペンでの相性は抜群だといい、さらには「めっちゃかっこいいし、優しいし、なんかコミュ力も高いし。僕は暇人なんですけど、最近は遼さんのご飯の予約が取れなくなってきました。人気者です!」と、絶賛の嵐だった。
選手としては、かなわなかったプロ野球の夢は、裏方として形になった。投手陣を陰ながら支えた前半戦を終え、小林氏は「(試合中は)主にリリーフを受けさせてもらって、試合前の緊張感など、そういうのも全て味わえて、人生の財産になってます」と充実感。「まずはチームのリーグ優勝、そして日本一に微力ながら貢献できるように頑張りたいです」と、新たな夢を語った。
(竹内 夏紀)
◇小林 遼(こばやし・りょう)1995年5月27日、秋田市生まれ。29歳。幼少時に秋田・潟上市へ移住。天王小3年時に野球を始め、天王中では秋田潟上リトルシニアに所属。仙台育英では3年時に春夏連続で甲子園に出場。富士大では1年秋からレギュラーで、17年は主将を務め、大学日本代表に選出。ENEOSでは入社1年目から正捕手としてプレーした。173センチ、75キロ。右投左打。
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