「プロ野球人生を懸けて挑んでいく」渡辺久信監督代行決意新た 松井監督無念「もっとやりたかった」
スポーツ報知
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2024.5.27(月) 05:00
西武は26日、松井稼頭央監督(48)が休養し、渡辺久信GM(58)が27日付で監督代行に就くと発表した。GMは兼任し、28日の中日戦(バンテリンD)から指揮を執る。シーズン途中の監督交代は球団3例目で、45試合目は球団最速となる。松井監督が就任した昨季は5位に沈み、今季もここまで15勝30敗の最下位と低迷。2008年に日本一に導いた渡辺GMが11年ぶりに再登板して再建を図ることになった。
交流戦前最後の一戦に逆転勝ちした西武に、激震が走った。試合後、球団が松井監督の休養と、渡辺GMが監督代行を務めると発表。球団施設で会見した同GMは「チーム全体を見る立場として非常に申し訳ない。責任を感じている」とした上で、「プロ野球人生を懸けて挑んでいきたい」と抱負を口にした。
松井監督は現役時の17年オフ、渡辺GMに請われる形で西武に復帰。日米2705安打を記録して18年限りで引退した後は2軍監督、1軍ヘッドコーチを経て、昨季から監督に就任した。2年目の今季は12球団最低のチーム打率2割1分4厘、リーグ最下位の118得点。4月23日のオリックス戦(京セラD)では中村剛を2番に置くなど、45試合で42通りの打順を組んだが結果は出なかった。1点差試合は6勝16敗と接戦に弱く、18日には自力優勝の可能性が消滅。レギュラーに定着する若手の台頭も乏しく、15勝30敗の最下位に低迷していた。数日前から球団と指揮官が話し合い、26日の試合後、正式に松井監督の休養と渡辺GMの再登板が決定した。
シーズン中の監督交代は西鉄時代の69年(中西→鬼頭=109試合)、14年(伊原→田辺=53試合)に次ぐ球団3例目で、45試合目は同最速。2年以上の複数年契約を結んでいた指揮官の休養は事実上の解任といえる。謝罪の言葉とともに選手に休養を伝えた松井監督は「結果につなげることができなかったのは私の責任」と受け止めた一方、「もちろん、もっとやりたかった」と本音もこぼした。
13年以来11年ぶりの復帰となる渡辺監督代行は、背番号72で28日の中日戦(バンテリンD)から指揮を執る。試合後に選手らに就任を伝え、「現場には戻らないつもりでいましたけど、こういう状況で自分がやるしかないと思っている。現実的にAクラスを考えている。ファンが応援してくれる限り全力で戦う」と決意を示した。コーチ陣は全員残留。「負けるのは嫌い」という監督代行が08年にリーグ優勝、日本一へ導いた手腕で再建を目指す。
◆渡辺 久信(わたなべ・ひさのぶ)1965年8月2日、群馬県生まれ。58歳。前橋工から83年ドラフト1位で西武入団。最多勝3度など黄金期を支え、98年ヤクルト移籍。99年から台湾で選手兼コーチを務め、01年引退。04年から西武2軍投手コーチ、2軍監督を歴任し、08年、1軍監督就任1年目で日本一。13年限りで退任。同年オフからシニアディレクター(SD)、19年からゼネラルマネジャー。通算は125勝110敗、防御率3.67。右投右打。愛称はナベQ。
◆松井 稼頭央(まつい・かずお)1975年10月23日、大阪府生まれ。48歳。PL学園から93年ドラフト3位で西武に入団し、投手から内野手に転向。MVP1度、盗塁王3度などを獲得。04年に大リーグに移籍し、メッツなど3球団でプレー。11年に楽天入り。西武に復帰した18年に引退し、2軍監督、1軍ヘッドコーチを経て23年から監督。日米通算2705安打。177センチ、85キロ。右投両打。
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