【オリックス】「奇跡のような」逆転劇で球団45年ぶり3連覇!中嶋監督の親心が築いた黄金時代

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2023.9.21(木) 05:30

胴上げされる中嶋聡監督(カメラ・渡辺 了文)

◆パ・リーグ オリックス6ー2ロッテ(20日・京セラドーム大阪)

 優勝マジックを2としていたオリックスが2位・ロッテを下し、3年連続15度目(阪急時代含む)のパ・リーグ優勝を決めた。2点を追う7回2死から一挙6得点で球団としては初の京セラDで胴上げ。中嶋聡監督(54)にとっては自身が現役だった1995、96年の連覇を超える偉業で、球団では75~78年の4連覇以来、45年ぶりの快挙となった。チームは10月18日から本拠地でクライマックスシリーズ(CS)最終ステージ(オリックスにアドバンテージ1勝)に臨み、連続日本一に挑む。

 選手ファーストの結晶だった。握手と抱擁を繰り返し、中嶋監督が歓喜の輪に溶け込んだ。「ここで胴上げをしたいと思っていた。選手の頑張りだと思う。最高です」。2点を追う7回に「奇跡のようなつながり方」と2死から6得点の逆転勝利。球団では前身の阪急が成し遂げた4連覇以来となる3連覇だ。本拠地・京セラDで初の胴上げは昨季のリーグ制覇、日本一時と同じ5度。至福の無重力空間だった。

 今年のキャッチフレーズは「We can do it!」。3月31日。開幕戦の試合前、全員へ訓示した。「その前に一言だけ、付けます。Only。俺たちにしかできない3連覇、行くよ!」。一人一人の表情を観察し、ニコッと笑った。「悪かったら水本ヘッドが全部、責任を取るから」。同学年の参謀役を盾にし、その場も和ませた。

 看板打者の吉田正がポスティングでRソックスへ移籍。「行かせてやりましょう」と実は球団へ口添えした。自身も97年オフにFA宣言し、メジャー挑戦を表明。最終的に西武へ移籍した経験がある。正捕手格で日本ハムへFA移籍した伏見にも同じ。「頑張れ。遠慮するなよ。その代わり、ヤジるからな」と愛情あふれる言葉で背中を押した。

 攻守の柱がいなくても、西武からFAで加入した森や頓宮が埋めた。最長で4連敗が1度、同一カード3連敗はなかった。3、4月から全て月間勝ち越し。7月9日から首位を守り抜いた。7連勝で迎えた8月26日、就任3年目で初めてマジック点灯。ここ10試合も8勝2敗で、2位に14・5差と戦意を喪失させた。

 130試合で123通りのオーダー。頻繁に1、2軍を入れ替えた。まだ序盤の4月には、山崎颯を京セラDのブルペンへ向かわせた。ミットとプロテクターをつけ、腰を下ろした。WBC帰りで、調整に苦しんでいた右腕のために解禁した奥の手。1日限りで「捕手・中嶋」を復活させた。

 信頼を置く厚沢投手コーチを打席に立たせた。「ちょっと低い。もう少し上からたたくイメージで」。直球とカーブを計10球。動画も頼りに、最適なリリースポイントを探した。守護神の平野佳へつなぐ8回の男もチーム最多の27ホールドと結果で応え、この日は胴上げ投手にもなった。

 山本、宮城の両輪をWBCで抜かれた。開幕投手に1軍登板のなかった山下を抜てきした。「4回ぐらい投げてくれればいい」。気楽に送り出したが、潜在能力を見抜いた眼力は確かだった。チーム防御率2・63はリーグトップ。2連投した救援投手の翌日は休ませた。多くても1試合30球、年間50試合登板が登板の目安。「彼らもロボットじゃない。僕が責任を取る」と球宴の監督選抜からWBC組を外したのも、球界全体を案じる親心だ。

 最後の阪急戦士として8年前まで現役だった。87年の新人時代は1時間以上の走り込みが日課。シートノックでミスすれば、真後ろでマイクを持った上田利治監督にどなられることもあった。「このピリピリした感じを、若い選手に味わわせたいんだよな…」。夏場以降、渡部や野口ら2年目以内の野手を立て続けに起用した。パ最多の96併殺打は結果を恐れず、思い切りプレーさせた証拠。70年代に負けない黄金時代を築く心意気だ。

 「これから、いろいろ考えることがある。あまり言いたくないけど、日本一を目指して頑張りたい」と欲張らずに掲げた目標は、常勝球団の系譜を伸ばすための通過点。オンリーワンの戦いは続く。(長田 亨)

 ◆95、96年のオリックス連覇 95年は1月に阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けるなか、「がんばろうKOBE」を合言葉にしたイチローらナインが躍動。仰木彬監督の下、9月19日に敵地・西武球場で11年ぶりのリーグ優勝を果たした。日本シリーズはヤクルトに1勝4敗で敗戦。翌96年は9月23日の日本ハム戦(神戸)でイチローが延長10回にサヨナラ二塁打を放ち、2連覇を決めた。日本シリーズは4勝1敗で巨人を下し、19年ぶりの日本一に輝いた。翌97年は2位。西武が優勝した。

 ◆中嶋 聡(なかじま・さとし)1969年3月27日、秋田県生まれ。54歳。鷹巣農林(現・秋田北鷹)から86年ドラフト3位で阪急(現オリックス)入団。西武、横浜(現DeNA)、日本ハムと渡り歩き、2007年からバッテリーコーチ兼任。15年限りで引退。19年からオリックス2軍監督。20年途中から1軍監督代行、21年から1軍監督。通算1550試合、804安打、55本塁打、349打点、打率2割3分2厘。右投右打。

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