元南海の大砲・門田博光さんが急死 アキレスけん断裂も44歳まで現役 プロ野球歴代3位の通算567本塁打

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2023.1.24(火) 19:16

南海時代の門田博光さん(1988年)

 プロ野球歴代3位の通算567本塁打を記録し、南海、オリックスなどで活躍した門田博光(かどた・ひろみつ)氏が24日、死去したことが分かった。74歳だった。40歳で44本塁打のプロ野球記録をマークした左の大砲。44歳まで現役を続けて通算2566安打は歴代4位、本塁打王3度、打点王2度の輝かしい記録を残した。

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 パワフルな打撃から「ポパイ」の愛称で親しまれた大打者が突然、天国へと旅立った。関係者によると、兵庫県内で療養中だった門田さんは、予定された治療に姿を見せず、自宅で倒れていたところを発見されたという。

 身長170センチとプロ野球選手としては小柄ながら王、野村に次ぐ歴代3位の通算567本塁打をマーク。中学、高校時代は本塁打を1本も打てなかったが、「努力することにウソはない」という信条のもと深夜の素振りなど地道な練習で打撃を磨き、3度の本塁打王、2度の打点王にも輝いた。不屈の精神で、野球道を極めた職人だった。

 社会人のクラレ岡山から1969年のドラフト2位で南海(現ソフトバンク)に入団。王を参考に一本足打法にしたプロ2年目に3番でレギュラーをつかみ、打率3割、31本塁打、120打点(打点王)で初のベストナインに選出された。2年目から打率3割超えで頭角を現した。

 79年のキャンプ中にアキレス腱(けん)断裂に見舞われたが、翌年に自己最多の41本塁打。さらに81年に同44本塁打と大けがをもバネにした。不惑を迎えた88年には自身初の全試合出場。40歳の当時の世界記録(現在もプロ野球記録)で自己最多となる44本塁打、同最多125打点の2冠で史上最年長のMVPに輝いた。この年、ダイエーの球団買収に伴いオリックスへ移籍。その後、91年にダイエーでホークス復帰を果たし、44歳までプレーした。

 引退後は野球解説者や評論家を務めたが、現役時代から悩まされた持病の糖尿病や、05年末には脳梗塞で倒れたこともあり一度は、野球業から離れた。ただ闘病中の06年には野球殿堂入りの表彰式でステージに立ち、「まずは体自身を健康に戻さないと。後進の指導には体力がいりますんでね」と宣言。言葉通りに病魔を克服し、09年には関西独立リーグ「大阪ホークスドリーム」の総監督に就任。11年には監督も務めた。

 ◆門田 博光(かどた・ひろみつ)1948年2月26日、山口県小野田市(現山陽小野田市)生まれ。奈良・天理高では3年夏に甲子園出場。社会人のクラレ岡山に進み、68年ドラフトでは阪急から12位指名を受けたが拒否。69年ドラフト2位で南海(現ソフトバンク)に入団した。40歳シーズンの88年に本塁打、打点の2冠王とMVPに輝いた。88年オフにオリックスへ移籍。90年オフにダイエーへ移り92年に引退した。通算2571試合で2566安打の打率2割8分9厘、567本塁打、1678打点。本塁打王3回、打点王2回。06年に野球殿堂入り。左投左打。

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