【オリックス】日本一支えた“口ひげ通訳”藤田義隆さん 助っ人120人と歩んだ40シーズン

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2022.12.13(火) 04:30

2007年2月、入団テストを受けるためオリックの春季キャンプに合流したタフィ・ローズと藤田義隆通訳

 パ・リーグ連覇、26年ぶりの日本一を達成したオリックスには最高の裏方スタッフがいた。球団通訳として尽力し、今オフ、定年退職を迎えた藤田義隆さん(65)。1983年1月に近鉄バファローズに入団。昭和、平成、令和の3時代、通算40シーズンで担当した選手は120人以上。口ひげがトレードマークだったレジェンド通訳が近鉄、オリックスへの感謝とともに、歴代助っ人との日々を振り返った。(取材・構成=長田 亨)

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■「人に恵まれた」

 誠実な人柄らしい、藤田さんの言葉だった。

 「私は人に恵まれたと思っています。歴代の監督、コーチ、選手、スタッフの方々。おなかいっぱい、仕事させていただきました」

 得意の英語を生かしたいと希望していた折、知人から近鉄バファローズの通訳を紹介された。83年1月に入団。今季まで計120人以上の外国人選手を担当した。今も忘れられないのが88年の「10・19(※注)」。当時在籍していたのがラルフ・ブライアントだった。

 「彼はその年の6月に中日から移籍するのですが、とにかく三振が多かった。『なんぼ三振してもエエ。思い切り打撃をしてくれ』とまず、アドバイスをされたのが仰木監督でした。宿舎の一角で、3人で話したことを記憶しています」

 仰木監督の指示通り、74試合で34本塁打と打ちまくった。酒は飲まないが、性格は陽気。当時の遠征は1日ごとの食事代が提供される形式で「焼き肉→ステーキ→ジンギスカン」のヘビーな3日間もいい思い出だ。

 「当時はインターネットもないですから、ホテルの方にリサーチします。彼は基本的に肉。年に1度の札幌遠征でも同じです。『すし、おいしかったな』って、他の選手の会話が聞こえてくるんです…(笑い)」

 優勝を逃した「10・19」の試合後は、都内の宿舎で「残念会」を開催。藤田さんも悔し涙を流した。

 「ブライアント選手だけ『なんで泣くんだ?』と尋ねてきました。気持ちを切り替えていたんでしょうか…。『来年、この悔しさを絶対に晴らしたい。絶対に帰ってきたい』と言っていたのが(ベン)オグリビー選手。チームには帰ってこられなかったですけど、彼も紳士で真面目な選手でした」

■ローズの練習量

 記憶をたどり、穏やかな笑みを浮かべた藤田さんが「努力の人」と証言する1人がタフィ・ローズだ。

 「96年の入団当初は体が細くて無口でした。クリス・ドネルスという選手もいて、サイパンキャンプでも『ドネルスの方がいい』という評価。でもあの時、ローズ選手の手はマメだらけでした。見えないところで毎日、相当な練習をしていたんです。おとなしかった彼が、どんどん変わっていく。55本塁打の大記録もそばで見られ、山あり谷ありの時間を、ともに過ごさせていただきました」

 最も会話した選手はアダム・ジョーンズだった。20年から2年間在籍した大物メジャーリーガー。コロナ前だった1年目のキャンプで、ジョーンズが外野手を集めて食事会を主催した。

 「『今のメジャーではたくさんホームランを打ち、打点を挙げることが評価される。でも、私はそうは思わない。自分がアウトになっても、走者を進める。そういう野球が大事だ』と。最初の食事会で彼が発した言葉は印象的でした」

 退職に際し、球団の計らいでビデオメッセージが届いた。(ブランドン)ディクソン、(クリス)マレーロ、(ステフェン)ロメロら近年の外国人に続き、ジョーンズが登場。「定年、おめでとう。これから家にずっといて、奥さんをイライラさせることだろうけど…」とユニークな言葉で祝福された。

 「選手に信頼されなかったら終わりだと思っています。引き受けた仕事はすぐやる。その場でできることはその場でやる。できないことが続くと、信頼はなくなってしまいますから。今年に関しては、一つ一つの仕事に区切りをつけていきました。後悔がないよう、毎日に全力を注ごうと…」

 26年ぶりの日本一は、近鉄時代に果たせなかった悲願だった。「26歳の時に年齢確認をされてしまって…」と、以来、口ひげをトレードマークとし、球団合併も経て駆け抜けた40シーズン。レジェンド通訳は、いつも不可欠な戦力であり続けた。

※注 1988年10月19日、ロッテとのダブルヘッダー(川崎)に連勝すればリーグVの近鉄は第2試合でロッテの長い抗議もあり“時間切れドロー”。西武の優勝が決まった。

■通訳業は卒業

 〇…藤田さんはプロ野球の通訳業からの“卒業”を決めている。日本人選手からも愛され、60歳の誕生日に贈られたのは赤いちゃんちゃんこ。安達の発案によって、全選手のサインで埋め尽くされた宝物だ。昨年からの2年間は、英語が堪能な中嶋監督と助っ人勢との橋渡し役も全う。今後については「最高の形で、みなさんに送り出してもらいましたから。どうしましょう?」と笑顔で“未定”とした。

■ドン・マネー退団は…

 〇…84年のシーズン途中で近鉄を退団したのがドン・マネー。「自宅にゴキブリが大量発生する」など環境面が理由とされていたが、事実は少々異なるようだ。藤田さんは「当時の移動は電車。神戸のマンションから日生球場まで移動し、中止ならそこから電車で藤井寺に行って練習することもありました」と回想。メジャー通算176本塁打の大物を受け入れる態勢が十分だったとは言いがたく「家族もホームシックになっていたし、いろんな理由があったんだと思います」とフォローした。

 ◆藤田 義隆(ふじた・よしたか)1957年8月12日、兵庫県生まれ。65歳。芦屋市立芦屋高から聖ミカエル国際学校英語科を経て、83年1月に球団通訳として近鉄入団。球団合併により、2005年からオリックス。12年のプロ野球コンベンションでスタッフ部門賞を受賞。定年を迎え、今季をもって退職した。

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