【日本ハム】加藤豪将1738文字レター入団会見「アメリカ生まれ育ちの、JRに乗ったことのない外国人」

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2022.11.5(土) 06:15

入団を発表し、新庄剛志監督(左)とユニホーム姿でポーズをとる加藤豪将(カメラ・関口 俊明)

 日本ハムのドラフト3位・加藤豪将内野手(28)=前メッツ傘下3Aシラキュース=が4日、都内で異例のレター付き入団会見を行った。幼少期から米国で過ごした“逆輸入”選手は米と日本の野球を「別のスポーツ」と説明し、ゼロから挑戦する強い覚悟を示すため、1738文字で思いを記した。契約金と年俸合わせて推定約1億円。背番号は「3」に決まり、早速練習に合流した。

 「このように見えて名字も加藤なんですけど、完全にアメリカ生まれアメリカ育ちの、JRにも乗ったことのない外国人です」

 加藤豪は冒頭、笑顔で自己紹介した。すると隣の新庄監督が「80%が英語で20%が日本語って言ってるんですけど、俺よりうまくしゃべる」と反応。通訳も同席したが、ほぼ自力で会見をこなした。

 事前に報道陣に配布された2枚の紙には、初めて日本でプレーする決意が1738文字で記されていた。10月20日のドラフト当日について、「カリフォルニアの自宅でいつもの朝を迎えた。目覚ましで起き、携帯にたくさんの通知があることに気づいたのは、その時だった。ベッドから飛び起きた」と回想。メッツからリリース後、大急ぎで日本行きの準備を進めたという。

 過酷な米マイナーで9年間プレーした苦労人。今年4月にメジャー初出場を果たして初安打も放ったが、「夢がかなったという喜びが少しもなかった」。自分が日本人であることへの意識、日本球界への思いが強くなった瞬間だった。

 幼少期、米国の自宅で見られる日本のテレビが「札幌テレビだけ」で、日本ハムの中継を見てファンになった。パドレス時代の同僚ダルビッシュには当時から日本ハムの話を聞いた。運命の糸で結ばれていたかのような入団に「夢のよう」を連呼した。

 背番号「3」のユニホームに袖を通し、米国と日本の野球は「別のスポーツ」と目を輝かせた。ストライクゾーンなどに慣れるため、NPBに申請して異例の秋季キャンプ参加も決定。ハングリー精神あふれる28歳の新たな挑戦が始まった。(片岡 優帆)

 ◆即練習で新庄監督も夢プラン きょう出場も?

 ○…加藤は会見後に東京Dでチームの練習に参加。背番号「3」で打撃練習を行うと、47スイングで柵越えこそなかったが20本の安打性の当たりを放った。新庄監督は「代打くらいならいいかな。ちょっと聞いてみないと」と、5日の侍ジャパン戦(東京D)でデビューさせる夢プランも示唆。イニシャルをとって「『KG』ってどうかな」と新愛称も提案した。

 ◆レター全文

 2022年10月20日、その日もカリフォルニアの自宅でいつもの朝を迎えた。

 目覚ましで起き、その日のスケジュールを携帯でチェック。携帯にたくさんの通知がある事に気づいたのは、その時だった。北海道日本ハムファイターズが自分をドラフト指名してくれていた。しかも3位で。ベッドから飛び起きた。

 こんなに光栄なことはない。

 しかし、メッツと契約中の自分にとって、その全く新しい生活をスタートさせる大きな決断をするには時間と勇気が必要だった。

 自問自答の日々が続いた。

 6歳でイチローさんの野球に出会ってから、自分の夢はメジャーリーガーになることだった。そしてあれから21年後、2022年4月9日、ついにメジャーデビューをすることができた。しかし、なぜか夢がかなったという喜びが少しもなかった。翌日、私の頭の中に一つの言葉が横切った。

 「The man who loves walking will walk further than the man Who loves the destination(歩くことが好きな人は、ゴールを目指している人よりも遠くに歩ける)」

 そのときピンときた。メジャーリーガーになることに喜びは無く、そのために毎日毎日、自分を高めるために夢中になるプロセスに喜びを感じていたのだ。

 自分が野球をやる意味はそこにあった。

 メジャーリーグを目指してのプロ9年を含め21年間、毎日、昨日より上手くなるために、すべてのことにトライしてきた。特にプロになってからは、チームのスタッフからたくさんのサポートをもらい、自分の体を分析し、必要なテクノロジーをすべて使い、できる限りのことをしてきた。その中で自分は日本人というものをさらに強く意識することになる。アメリカ人のスタッフから「君の体は特別」といわれた自分の肉体のタイプは、日本人の体を理解しているコーチやセオリーに合うのではないか?と考え始めるようになっていた。

 私はまだまだ学び続けたい。この道を歩き続けたい。10月20日のドラフト会議以来、自分に問えば問うほど、日本で学んでさらに自分を高めたいと思うようになった。ファイターズのコーチスタッフから何か大事なことが学べると信じられたことで、それが自分の歩き続ける道だと強く思うようになった。

 自分は幼少期からファイターズの試合をいつも見ていた。

 特に、2006年の優勝は忘れられない。多くのファイターズファンがそうであるように、私も当時のヒルマン監督(ヤンキース、マーリンズに所属していた時にお世話になった)、日本シリーズMVPだった稲葉篤紀選手(現GM)、華麗なプレーで感動を与えてくれた新庄剛志選手(現監督)を鮮明に覚えている。新庄選手は、メッツでのデビュー戦で一塁から二塁にタッチアップしたそのガッツと緻密さにも非常に感動したし尊敬した。そのプレーは今でも鮮明に覚えている。

 また、熱闘甲子園で大好きだった栗山英樹監督になってからもファイターズの試合を追い続けた。

 その北海道日本ハムファイターズが自分をドラフト指名してくれた。その喜びと驚きは言葉では表せない。この自分の中にあるわくわくする感覚は明らかだった。

 マイナー生活の間、いろいろな日本の球団関係者、マスコミの方々、日本人のファンの方々が、田舎のマイナーの球場まで足を運んで、応援の言葉をくださった。時には、カップうどん、おにぎり、おもち、日本のお菓子など差し入れてくれる方々もいた。食べ物があまりない時だったので、本当にうれしかった。アジア人の観客もいないような田舎町で、自分が日本人を強く自覚する瞬間だった。今でも大変感謝している。自問自答を繰り返す中で、自分が日本人だということ、日本の野球に触れてみたいという思いがある事に気づいた。

 勝つためにチームに貢献できる選手になりたい。

 このような考えがあり、来シーズン、北海道日本ハムファイター

ズの一員としてがんばる決意をいたしました。

 最後になりますが、遠くまで応援に来てくださったマスコミの

方々、野球関係者の方々、日本人のファンの皆様、本当にありが

とうございました。自分の気持ちが日本に向かった事を皆様

にお伝えしたく、このようなつたないレターを送らせてい

ただきます。

 これからもよろしくお願いします。

 ◆加藤 豪将(かとう・ごうすけ)1994年10月8日、米カリフォルニア州マウンテンビュー生まれ。28歳。3歳で日本に移るも約2年で再渡米。13年ドラフト2巡目でヤンキースに指名、マーリンズ、パドレスを経て今季はブルージェイズとメッツ。今季初出場したメジャーでは8試合で7打数1安打。マイナーでは9年間通算844試合出場で55本塁打、318打点、打率2割5分4厘。185センチ、91キロ。右投左打。

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