
第9回はオリックス・曽谷龍平投手(25)。初めて日本代表に選出された25年3月、同僚の宮城大弥投手(24)から一発勝負で結果を出せる精神力を学んだ。さらに「割り切り」も覚え、WBCの大舞台へたどり着いた。宝刀スライダーの進化に触れ、同じ奈良出身のブルージェイズ・岡本和真内野手(29)と共闘も心待ちにした。(取材・構成=長田 亨)
曽谷はWBC本大会が待ちきれない様子だった。
「一番嫌なのは、不完全燃焼です。ガンガンいきたいです。自分が出せるものを出し切りたいです」
プロ4年目で立つ大舞台。日本代表としての転機は、25年3月6日のオランダ戦(京セラD)だった。
「今までの雰囲気とは全く違ったし、一発勝負の世界を感じられました」
8回に登板するまで、5投手による完全試合。マウンドへ向かう直前、オリックスで同僚の宮城が「完全試合、あるんじゃない?」と笑顔でささやいた。
「あの言葉は、軽いようで重かったですね。めっちゃ重たかったです。これが一発勝負の世界で結果を出す選手の感じなのか、って。経験しないとそういう発言もできないと思う。引くんじゃなく、ガンガン行った方がいい、というマインドになりました」
2回を投げ1安打無失点。チームとしての快挙は逃したが、マウンドで「割り切り」を覚えた。同年11月15日の韓国戦(東京D)では先発し3回を完全投球。
「点さえ与えなければいい、という考えになれました。その考えで、これ以上ない結果を出せました」
最大の武器であるスライダーは、曲がり幅の大きさから「ジェットコースタースライダー」(ジェッスラ)として定着した。名付けてくれた白鴎大時代の友人は今、関東で警察官として活躍している。
「大学3年の時かな。『ジェットコースターぐらい曲がるな』って言われたのがきっかけです。変なヤツなんで…(笑)。でも、僕の後押しを一番してくれたのが彼。マジでプロに行けるぞ、って。その子だけは僕を信じてくれていました。今も仲良しです」
明桜時代は配球のほとんどが直球だった。
「スライダーの曲がり幅だけは自信がありました。でも、引っかけたら嫌、抜けたら嫌、という感覚でした。難しかったですね…」
苦しみながら練習を重ね、白鴎大へ進学した。ここで、ひらめきに近い考えが開花につながった。
「突然、自分におりてきたんです。ストライクでいいんや、という発想が。ストライクが入ればいい、というところから始まりました。もう『曲がれ』と思っていません。『勝手に曲がるでしょ?』って」。
宮崎の強化合宿では、ダルビッシュに褒められた。
「『投げている球は本当にいい』と言っていただきました。僕はデータを見て、きちんと野球をしてこなかったと感じています。ダルビッシュさんからデータを見ることを含め、大事なことを教わり、もっともっと上を目指さなきゃいけない気持ちでいます」
岡本と同じ奈良出身。熱い“大和魂”を秘め、連続世界一へ大勝負に挑む。
「岡本さんは話し方もゆっくりで、自分の『間』がある方。面白いですし、引き込まれます。奈良出身の選手も少ないので、貢献したい気持ちは強いです。自分が一番下手くそだ、という気持ちを忘れずに。今まで支えてくれた人に、活躍して恩返しをします」
◆曽谷 龍平(そたに・りゅうへい)2000年11月30日、奈良県出身。25歳。明桜(秋田)から白鴎大を経て、22年のドラフト1位でオリックス入団。プロ1年目の23年10月9日のソフトバンク戦(京セラD)でプロ初勝利。25年は3月のオランダ戦で侍ジャパンに初選出。シーズンでも自己最多の8勝。通算成績は51試合で16勝21敗、防御率3.25。183センチ、83キロ。左投左打。年俸5500万円。既婚。