記憶に残る初出場での失敗と母からのメール
11月30日、福岡ソフトバンクの城所龍磨がヤフオクドームで引退会見を行った。城所は岐阜の中京高校から2003年のドラフトで福岡ダイエー入り。以来15年間ホークス一筋でプレーし、守備と走塁のスペシャリストとして活躍した。
11月4日に球団から戦力外通告を受けた城所は、13日にタマスタ筑後で行われた12球団合同トライアウトに参加。“もう1つの本拠地”で2安打1四球1盗塁と力を出しきったが、ここまで朗報は届かず、自ら現役を退くことを決断した。
会見の冒頭に「本日15年間の現役生活を終えることを決断しました。15年間苦しい時が多かったですけど、家族や両親、ファンの皆様、球団の支えがあってここまでできました。本当にありがとうございました」と挨拶。まだ球界全体で来季に向けた動きが落ち着いていない中での決断について「待ったり複雑な気持ちに耐えられない性格なので、区切りをつけて新たな気持ちで第2の人生をスタートさせたいと思い、家族と相談して決めた」という。
さらに「自分が『野球をやりたい』と思っても受け入れてくれる球団がなければできない。まずは家族のことを第一に考え、(家族も)ボクが決断したことについてきてくれると言ってくれたので……」と続けた。家族と相談したうえで決断を下し、最初に知らせたのは同期入団の2人だったという。城所は「入団の時から一緒にやってきた明石(健志)と金子(圭輔)広報には連絡させてもらいました。明石に2人の思いを託して、少しでも長くプレーする姿を見たいです」と話した。
プロ通算成績は716試合出場で打率.196、8本塁打、42打点、65盗塁。2016年の交流戦では12球団トップの打率.415、満塁弾や2打席連続弾を含む5本塁打、12打点、6盗塁の活躍で交流戦MVPにも輝き「キドコロ活躍中」「キドコロ覚醒中」といった言葉が飛び交った。それでも、一番印象に残る試合はプロ初出場として果たした2005年8月30日の千葉ロッテ戦を挙げた。
「大道さんの代走で出て、本間さんの打球が足に当たって守備妨害を取られました。その日に母から『失敗からのスタートだけど、龍磨らしいね』とメールが来たのを覚えています。失敗からのスタートですけど、やっぱり1軍として初めてグラウンドに足を踏み入れた瞬間ですから」
今後についてはまだ具体的なことは語らず「何か野球に携わっていきたい。前を向いて頑張っていきます」とした。
1軍ベンチに欠かせないスーパーサブとして「キドコロ待機中」のフレーズでグッズも作られた。そして常に多くのファンに愛され続けた選手だった。そのファンに対しては「本当にこんな僕を15年間応援して頂いて、待機ばかりしてきましたがファンの皆さんのおかげで15年間やることができました。これからも野球に携わっていきたいので、城所龍磨を応援してください」と語りかけた。
会見の最後には松中信彦氏と福田秀平から花束を受け取り、深々と一礼した城所。背番号「23」を背負ってグラウンドを駆け巡ったスペシャリストの姿は、これからもきっとファンの記憶の中で生き続けることだろう。
(藤浦一都 / Kazuto Fujiura)
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