1936年の第1号から81年の時を経て、NPB通算10万号達成。節目の記録を自らのバットで決めたのは、6月9日の中日戦で、ホームベースの踏み忘れにより来日1号(記録は三塁打)を逃したオリックスのマレーロ選手であった。
【NPB歴代のメモリアルアーチ一覧】
1号→藤井勇氏(大阪) 1936年5月4日
1万号→渡辺清氏(阪急) 1957年7月19日
2万号→井石礼司氏(東京) 1966年7月6日
3万号→基満男氏(太平洋) 1973年5月20日
4万号→ウイリアムス氏(阪急) 1979年6月28日
5万号→仲根政裕氏(近鉄) 1985年4月23日
6万号→広永益隆氏(福岡ダイエー) 1990年9月26日
7万号→駒田徳広氏(横浜) 1997年9月9日
8万号→ペタジーニ氏(巨人) 2003年9月14日
9万号→ブラウン氏(埼玉西武) 2010年4月4日
9月28日の試合で合計8本が飛び出し、10万号まであと4本として迎えた今日の試合。まずは2回表、札幌ドームで楽天・アマダー選手が左翼席への23号ソロ。メモリアルアーチまであと3本とすると、横浜スタジアムで横浜DeNAの戸柱選手が9号3ラン。さらに、オリックス・T-岡田選手がZOZOマリンスタジアムで特大の30号2ラン。自身7年ぶりとなる30号に到達する一発で9万9999号。ついに、10万号にリーチをかける。
そして迎えたZOZOマリンスタジアムの6回表。2死から3番・吉田正選手が死球で出塁し、出番が回ってきた場面。相手先発・成田投手が投じた高めへの直球を迷いなく振り抜くと、打った瞬間にそれと分かる19号2ランに。スタンドインを確信したマレーロ選手はベンチを向きながらガッツポーズを見せ、1塁に向かってゆっくりと走り出した。
勝負の世界に“たられば”は禁物ではあるが、マレーロ選手が6月9日の試合でしっかりとホームベースを踏んでいれば、記録達成は9万9999号を放ったチームメイトのT-岡田選手であったことになる。節目の記録達成のための“踏み忘れ”だったのか…は、神のみぞ知るところだが、今季は悔しい結果に終わったオリックスに明るい光をもたらすNPB通算10万号となった。
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