伝えたかったのは、この姿だったのかもしれない。今季限りで引退する千葉ロッテ・井口資仁選手が24日、現役最後となった試合で本塁打。2点ビハインドの9回に試合を振り出しに戻し、延長でのサヨナラ劇につなげた。
歯を食いしばり、振り抜いた打球は、バックスクリーン右に飛び込んだ。9回無死1塁、相手守護神・増井投手から、同点に追いつく2ラン。「やっぱり役者が違う。帯同するのではなく、しっかり二軍で練習を積んでゲームに合わせる。さすが井口だ」と、伊東監督もうなった一撃。6月20日に今季限りでの引退を発表。引退試合のため、この日限り一軍に昇格し、6番・指名打者で先発出場。記念の試合というだけではなく、しっかり結果を残す姿に、ZOZOマリンは沸騰した。
井口選手の一撃で延長戦へ突入したチームは、延長12回、執念を見せた。代打の肘井選手が左中間へ二塁打を放つと、1死2.3塁で鈴木選手が右前にサヨナラ適時打。鈴木選手への手洗い祝福、の前に、この日ばかりは井口選手へ大量のウォーターシャワーが浴びせられた。
青山学院大学で輝かしい成績を残し、1996年にドラフト1位で福岡ダイエーに入団。ルーキーイヤーの1997年、5月3日の近鉄戦でプロ初出場を果たし、その試合で満塁本塁打を放つという鮮烈デビューを果たした。2001年に44盗塁でタイトルを獲得するとともに、松中信彦、小久保裕紀、城島健司と4人が30本塁打を達成。このころはその攻撃力が他球団の脅威となり「ダイハード打線」と言われた。2003年には3番・井口、4番・松中、5番・城島、6番・バルデスの「100打点カルテット」が完成。チーム打率.297という記録を残した。
2005年からは夢のメジャー挑戦。シカゴ・ホワイトソックスと契約し、日本人史上2人目となるワールドシリーズ制覇を果たした。チームにとって88年ぶりの快挙に貢献。その後フィラデルフィア・フィリーズ、サンディエゴ・パドレスなど渡り、計4年間大リーグを経験。その後2009年から千葉ロッテでプレーした。
2013年には7月26日の楽天戦で、田中将大投手から本塁打を放ち、これが日米通算2000本安打となった。輝かしい功績は挙げればキリがない。21年間の現役人生に、その数々がちりばめられている。
サヨナラ勝ちの興奮冷めやらぬ中、引退セレモニーが実施された。恩師・王貞治氏や、小久保裕紀氏ら、ゆかりのある関係者からのメッセージのあと、ファンへのあいさつ。「常にチャレンジを忘れず、トライし続けてきました。入団当初掲げた『2000本安打』、『メジャー挑戦』、『40歳まで現役』。ほかの選手では経験できないことを経験させていただき、宝になりました」。時折、口を真一文字に結ぶシーンはあったものの、言葉は力強く、最後は満面の笑顔だった。
チームは今季、開幕から振るわずに最下位に低迷し、伊東監督も退任を表明するなど、苦しい日々だった。井口選手はあいさつの中でチームメートに向けてもエール。「来シーズン、この悔しさをぶつけて、マリンスタジアムのポールにチャンピオンフラッグを立ててください」。チームの奮起を期待するメッセージ、そしてその思いは、ホームランにも込められていただろう。
セレモニーには一軍登録されていない二軍選手たちも参加し、最後はホームベース付近で7回の胴上げ。「小さいころからの夢だったプロ野球選手は今日で終わりますが、次の夢、目標に向かって頑張ります」。選手は終わっても、野球人生は続く。最後に描いたアーチは、自身を祝福するような花火にも見えた。
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