今季限りで引退へ、黄金期のホークスを支えたバイプレーヤー
スター軍団、強豪ホークスを支えたバイプレイヤー。走攻守のすべてにおいて卓越したプレーはまさに玄人好みだった。本多雄一。勝つために欠かせない男、背番号「46」には多くのこだわりがあった。
4番打者やスーパースターなどを揃えても、チームが強くなるとは限らない。目立たなくとも、自分の役割を把握し確実に遂行できる存在が必要不可欠である。そういう選手は必ず大事な局面でも期待に応えてくれる。本多雄一はそういう選手だった。
本多が在籍したホークスはまさに黄金期。野手では小久保裕紀、松中信彦、多村仁、内川聖一、松田宣浩。投手は杉内俊哉、和田毅など周囲にはNPBを代表するスター選手が溢れた。その中でキーマンと呼ばれるセカンドのポジションをしっかりと務め上げた。常に横にいたのは、メジャーでも大きな存在感(プレーとは別の意味もあったが……)を示した川崎宗則。センターラインそして打線でも1、2番でコンビを組み大きな影響を受けた。川崎のメジャー移籍後は、それまで以上にチームでの役割は重要なものとなった。自身の成績はもちろんのこと、チームの柱として今まで以上に元気を出してチームを引っ張った。
またホークスのみでなく、13年WBC日本代表での姿も印象的であった。重要な場面での守備固め、代走。「つなぐ野球」に欠かせない選手としてサムライジャパン入りした。
「まさか自分が日本代表、と最初は思いました。出場機会は少なかったけど、本当にいい経験ができました」
皮肉なことに09年WBCでの川崎と似通った役割。本多がある意味スポットライト浴びたのは、王貞治ホークス会長の始球式で捕手を務めた時だった。しかし大会中、誰よりも大きな声を出し続け、自分に必要とされることを考えた。出場機会には恵まれなかったが、決して腐ることなくチームに献身した。それはジャパンでの初打席でセーフティバントにトライしたのにも現れていた。
「自分の原点は身体を大きく使うこと」
「僕は中軸を打つタイプではない。だからバントやチームのための打撃をしっかりやりたいと思っている。自分で決めようとはほとんど思わなかった。後ろがしっかりしているので、つないで行こう、と思う時が多かった。その時の最善を尽くすことしか考えなかった」
チームでの役割から、「縁の下の力持ち」的イメージの強い選手であった。しかしプロ入り入団会見で、「セールスポイントは打撃だ」と語る。身体は決して大きくないが、打席では常に強いスイングをすることを心がけた。そこにはバットマンとしての大きな誇りも見えた。
「僕はやっぱり逆方向への打球を意識している。逆方向へ強い打球を打てる時の方がバランスは良いのかなと思う。インコースはその中で身体を回転させてバットを出すだけのような感じ」
ショートの頭上へ強い当たり、左中間への二塁打のイメージが強いのはそのためなのだろうか。
「練習からタイミングが合っていないような感覚の時は、逆方向へ強く打ち返せない。そういう時は身体を大きく使って本塁打を打つくらいのイメージで振っている。身体を使って振った結果を見て、そこから修正していく。やはり自分の原点は身体を大きく使うこと。そうした方が身体も言うことを聞いてくれると思う」
時にはノーサインでのバントなどを行うこともあったが、打撃に対するこだわりは強かった。その確固たる気持ちがなければ、レギュラーポジションの奪取などはならなかったのではないか。
そして本多のプレーを支えたのは、やはり持ち前のスピード。リーグ優勝の10年は59盗塁、日本一に上り詰めた11年は60盗塁で2年連続盗塁王。身体は決して大きくないが、身体能力を活かした瞬発力でトップスピードに入るのが抜群に早かった。それは走塁だけでなく、打撃や守備にも好影響を与えていた。
最高のパフォーマンスを発揮するためにギアに対するこだわりが人一倍だった。中でもスパイクシューズに対しては、球界のトレンドに逆行するかのようであった。自らの筋力を最高のパワーに変化させるため、樹脂を使用したアウトソールが主流。そんな中で昔ながらの革製ソールに長くこだわり続けた。
愚直なまでの野球への姿勢こそ才能
「自分の足に伝わってくる地面の感覚を正確に感じたい。そうすることで動きも正確になる。またコンディションが悪い時にはそれを感じ取れることができますからね」
足裏で地面の感覚を得て、足の指5本でしっかり地面をつかんで蹴る。「素足」の感覚を大事にすることが究極の瞬発力を生み出した。またそのためにスパイクシューズの前部金具の後ろ部分のソールに細かい切れ込みを入れ、屈曲性を高めたりもした。出来上がったスパイクシューズ一足ずつ履き比べて、メーカー担当者と徹底的に微調整を加えていたという。
「野球を続けることは難しいことだと思う。簡単なことではない。でも好きな野球をやっているので、良いことは1割。きついこと、辛いこと、練習しなくてはいけないことは9割。それくらいの気持ち、というかある意味の開き直りはあるのかな」
かつて野球に対する思いを語ってくれた本多は、18年限りでユニフォームを脱いだ。引退に向けて語ったのは、FA権を行使せずに最後までプレーを全うした故郷・福岡への思いだった。
「この世界、地元愛だけではやっていけないのは誰しも分かっていることです。だけど、やっぱり福岡がいい。またこのチームで優勝したい。他の球団でプレーする気持ちにはなれなかった」
先日2000本安打を達成した千葉ロッテ福浦和也と同様、少なくなったフランチャイズプレイヤー。FAなどもありチームや契約条件など、どのような環境を選ぶのかは選手自身の権利である。だからこう言った稀有な存在に夢を求める人が多いのかもしれない。
決して球界を代表するスター選手ではなかった。しかしチームに勝利をもたらすため、水を運ぶ役をこなし続けた。そのためには努力を惜しまなかった。愚直なまでにもがいて、あがいた、野球に対する姿勢、それこそが才能であった。存在するだけで周囲に影響を与える選手、それが本多雄一だった。
(山岡則夫 / Norio Yamaoka)
山岡則夫 プロフィール
1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌Ballpark Time!を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、製作するほか、多くの雑誌やホームページに寄稿している。最新刊は「岩隈久志のピッチングバイブル」、「躍進する広島カープを支える選手たち」(株式会社舵社)。Ballpark Time!オフィシャルページにて取材日記を定期的に更新中。
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