2005年高校生ドラフト1巡目でのプロ入りから数々の栄光を手にし、日台の野球ファンを魅了し続けてきた陽岱鋼選手。現在はオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに所属し、プロ21年目のシーズンを戦ってきたが、7月27日に現役引退を表明した。
前編では、オイシックス新潟の若手選手たちへの思いや、ベテランならではのコンディショニング、そしてかつての同期である武田勝監督ら同級生たちへのリスペクトについて語ってもらった。
(前編はこちら:日台の架け橋・陽岱鋼の軌跡 進化する野球への挑戦と、同期へのリスペクト)
後編となる今回は、年々増加している台湾人選手の日本球界挑戦への思いや、かつて自身も最前線で背負い、近年国際大会で目覚ましい躍進を見せる「台湾代表」への熱い誇りに迫った。
日本球界に挑む台湾の若手たちへ
現在、パ・リーグには11名の台湾人選手が所属している。母国から日本球界へ挑む後輩たちのトレンドについて、陽選手は先駆者としての信念を語った。
「海外で野球をやる上で一番大事なのは、その国の言葉を覚えることだと思っています。周りとどんな会話をしているのか、自分からコミュニケーションを取ろうとする姿勢がないといけない。僕もアメリカへ行った時にそれを痛感しました。英語が上手くなくても、一生懸命チームメイトと会話しようとすれば、向こうも『こいつ一生懸命やっているな』と認めて教えてくれます。それが一つのチームになるということだと感じました。
日本に来る選手たちには、まず日本語を覚えてほしいですね。通訳さんに助けてもらうのはもちろん大事ですが、選手同士が直接言葉を交わすことで『戦友』として戦えるようになる。それが仲間として大事なことだと思います」
この3年間、ファームの公式戦では孫易磊投手(北海道日本ハム)など、同郷の若手選手たちと実際に対戦する機会もあった。バッターボックスから見た彼らの姿に、確かな頼もしさを感じている。
「孫投手は年々体が大きくなっていますし、『絶対に日本で活躍してやるぞ』という覚悟や姿勢が見えてきました。去年対戦して、今年また彼を見て、『自分の進むべき方向がしっかり決まっているんだな』という雰囲気を感じましたね」
台湾代表の誇りと、躍進を支える「裏方」の力
陽選手といえば、2013年のWBCなどで見せた気迫あふれるプレーが今も日台のファンの語り草となっている。彼にとって「台湾代表のユニフォーム」は、自らを突き動かす特別な意味を持っていた。
「台湾代表に限らず、ファイターズ、ジャイアンツ、アメリカのチーム、そして今のオイシックスもそうですが、ユニフォームを着る以上は大きな責任感と使命感があります。このブランドを背負って戦っているんだから、下手なことはできないぞ、と。
ただ、台湾代表の時は僕一人で戦っているわけじゃなく、『台湾全体が一緒に戦っている』という感覚がありました。勝てばみんなが喜んでくれて、負ければみんなが悔しがってくれる。それが一つのチームなんですよね。その責任感はすごく大事にしてきました」
近年、台湾代表は国際大会で目覚ましい躍進を見せている。かつて代表を背負ったOBとして、後輩たちの活躍の裏にある「組織の成長」を独自の視点で見つめている。
「選手の能力が上がり、一生懸命努力して成長しているのはもちろんですが、僕が一番感じるのは『裏方』の力がすごく出てきたなということです。スカウティング、データアナリスト、トレーナーといった方々がしっかりサポートしてくれる体制ができている。チームが強くなるには、選手だけじゃなく、裏方も一体となることが絶対に必要なんです。今、代表チームにそういった環境が整ってきているのは、本当に素晴らしいことだと思いますね」

異国の地で苦闘した若き日の経験から、今の台湾球界の躍進を支える裏方への感謝まで。陽選手の言葉の端々には、野球というスポーツへの深い敬意と、関わるすべての人への愛情が溢れていた。
最後に新潟の地で見せた背中と、後進の光となり続けた「日台の架け橋」としての誇り。彼がグラウンドに残した情熱と数々の言葉は、これからも日台の野球ファンの胸に深く生き続けるはずだ。
文・パ・リーグ インサイト編集部
