「2000」以外にも盛りだくさん。千葉ロッテ・福浦選手を読み解く9つの数字

パ・リーグ インサイト 藤原彬

2018.9.23(日) 10:50

千葉ロッテの福浦和也選手が9月22日の埼玉西武戦で史上52人目の通算2000安打に到達した。ヒットにまつわるエピソードは事欠かず、そのプロ野球生活では他にも多くの数字にまつわる物語を生み出している。ここでは、様々な数字をキーナンバーとして“幕張の安打製造機"の足跡を振り返りながら、新たに樹立された大記録に華を添えたい。

「3」
近年は指名打者や代打での出場がメインだが、一塁手として三井ゴールデン・グラブ賞を3度(2003年、05年、07年)受賞している。通算での14373守備機会に対して失策は73、守備率.995と堅実そのものだ。打力が求められるポジションだけに、2000安打到達者のうち、主に一塁を守った選手は12人と多い。福浦選手は20代でわずかながら外野を守る機会もあり、レフトを24試合、ライトを57試合こなしている。

「10」
走塁のイメージがあまりないように、通算10盗塁は2000安打到達者で最少。次に少ない阿部慎之助選手(巨人)の13盗塁を追い抜けるかは、ファンにとっては新しい隠れた楽しみかも。ちなみに内野安打は110本で、168併殺打を喫しているのは打球の速さも関係している?

「19.4」
鋭い打球を広角に飛ばして外野手の間を割る。ツーベースの多さは福浦選手の打者としての大きな特徴だ。03年には50本、04年にも42本と2年連続でリーグ最多を記録している(02年も40本で、3年連続40本以上は史上最長)。プロ入り後に放った388二塁打は全安打の19.4%を占め、これは2000安打到達者でも6番目に高い割合であり、トップの稲葉篤紀氏(19.8%)と比べても遜色ない。

「25」
在籍25年は球団最長記録。湯浅禎夫氏の保持する出場記録(48歳1カ月)更新にはあと5年が必要だが、今年の12月に43歳となる福浦選手が来季にヒットを放てば、若林忠志氏が持つ安打記録(43歳4カ月)を塗り替えることになる。二塁打や本塁打、打点なども同様だ。

「70」
1993年ドラフト7位でロッテに指名されて着用したのは背番号70。投手としては肩の故障もあり、1年目途中から二軍でも登板機会がないまま打者へ転向した。一軍デビューを果たした翌98年からは現在の9を背負う。背番号変更前は一軍での67試合で63安打を放ち、二軍では4年間で116安打を放っている。

「72」
2003年にリーグ4位の72長打を記録した。とはいえ先述のように内訳の大半が二塁打で、福浦選手はパワーヒッターではない。通算118本塁打と長打率.395は2000安打到達者52人で、ともに48位だ。通算打率.284と三振率13.7%はいずれも32位と、大打者に交じっても中位に位置していることは、歴代屈指の巧打者であることの証左だろう。

「.346」
“イチロー後"として誰が首位打者を獲得するか注目を集めた01年に、リーグトップの打率.346をマーク。9月14日時点では打率.326と、打率.344の小笠原道大氏(当時日本ハム)にリードされたが、最後の13試合で10度(3安打3度、4安打1度含む)のマルチ安打を記録してつば競り合いを制した。翌年以降も打率.300(リーグ8位)→.303(15位)→.314(9位)→.300(11位)→.312(5位)と推移し、6年連続で打率3割をクリアしている。

「477」
プロ入り25年で477人の投手からヒットを記録した。最多は西口文也氏からの37安打(本塁打4本、二塁打11本含む)だが、通算対戦打率.268は福浦選手の通算打率.284を下回っている。次いで、岩隈久志投手(マリナーズ)からは24安打を放っており、来季には8年ぶりの対戦が実現するかもしれない。

「2162」
今季、4月10日の埼玉西武戦(ZOZOマリンスタジアム)で球団通算最多となる2162試合目の出場を果たす。通算2000安打の先輩でもある榎本喜八氏の記録を塗り替えた試合に「7番・指名打者」でオーダーに名を連ねると、7回には左線横に落とす二塁打を放ちチームの勝利に貢献した。通算76犠飛と93死球も千葉ロッテの球団最多記録で、榎本氏の403二塁打まで15本に迫る。

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パ・リーグ インサイト 藤原彬

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