今でもシカゴで愛される男。千葉ロッテ・井口資仁が得た大きな財産

パ・リーグ インサイト マリーンズ球団広報 梶原紀章

2017.6.28(水) 00:00

千葉ロッテマリーンズ・井口資仁選手 ※球団提供
千葉ロッテマリーンズ・井口資仁選手 ※球団提供

シカゴ ホワイトソックスの本拠地内にある球団事務所には、今でも2005年に在籍した井口資仁内野手の写真が数多く掲示されている。一つや二つではない。至るところに誇らしげに写真は飾られている。事務所内の会議室、廊下、球場内コンコース、記者席。チームを88年ぶりの世界一に導いた栄光のメンバーの一人である日本人の偉業をたたえている。

「彼は特別な存在だ。なにしろ88年ぶりの世界一に導いたメンバーの一人だからね。彼が在籍をしてくれたことは、とてもいい思い出だし、誇らしい事だ。当時の我々はとてもいい補強をすることができたと思っている。ホワイトソックスの人間は今でも彼の事をハッキリと覚えているよ」

ホワイトソックス関係者はそう言って当時を懐かしむ。あれは2005年4月4日。アメリカ国歌が流れ、フィールド全体を覆うような巨大な国旗が登場した。空には空軍のジェット飛行機が飛来し、開幕の時が来たことを祝った。どこまでもスケールの違うアメリカの開幕戦。井口はこの舞台にたどり着いた事を強く実感し、感動を覚えた瞬間だった。

「初めての開幕戦は度肝を抜かれたね。ついにこの舞台に立つことが出来るのだという感動というか、涙が出そうになるぐらいの特殊な感情に包まれた」

2005年4月4日、USセルラー・フィールド(現ギャランティード・レート・フィールド)でのクリーブランド・インディアンス戦。名門・ホワイトソックスの一員として井口は開幕戦を2番・セカンドで迎え、メジャーデビューを果たした。1回裏、ホワイトソックスは先頭のポセドニックがサードゴロに倒れ、1死走者なしで井口に初打席が回る。「最初から積極的に打っていこうと思った」と振り返るように初球は真ん中の球を強振するも空振り。1ボール2ストライクからの4球目、真ん中低めの鋭いカーブにバットが空を切り、空振り三振に倒れた。この日はその後、三邪飛。三ゴロ、三ゴロ。デビュー戦、チームは勝利したものの4打数ノーヒット。初ヒットは4月6日に行われた第2戦までお預けとなった。

メジャー2試合目。初回に四球を選び、その後にメジャー初盗塁を決めると、6回の3打席目にはレフト線へ。これが後にメジャーで494本の安打を積み重ねる中での記念すべき初安打となる二塁打だ。チームも3点リードされた9回に一挙4点を奪い劇的なサヨナラ勝ち。井口にとって忘れられない一日となった。

「初ヒットのボールは今でも大切に飾ってあるよ。あとはランディ・ジョンソンから打った時のボールや、カート・シリングから打った時のボールなどもあるなあ。もちろん、初ホームランもある」

そのメジャー初本塁打は5月3日のシカゴでのロイヤルズ戦。0対2の3回2死1塁でアンダーソンから左越えに同点本塁打を打ち込んだ。第1打席は左前打。第3、4打席は中前打と右前打で4打数4安打2打点の大活躍だった。振り返ればダイエー時代のプロ初本塁打も5月3日の近鉄戦(福岡ドーム)。「5月3日はなにか縁があるんだよね」と、メジャー初本塁打の感動と共に、不思議な気持ちになりながらダイヤモンドを一周した。ちなみに井口は日本球界では17年間で5月3日に52打数19安打4本塁打(満塁本塁打2本)15打点の打率.365。5月3日が特別な月日であるのは間違いないようだ。

その後も井口は名門ホワイトソックスの2番・セカンドとして献身的なプレーを続ける。1番に足の速い選手がいたこともあり、走者が出た場合、基本的に1ストライクは打たないなどの細かい指示もあった。バントという作戦はないなかで右打ちの徹底など自ら多くの犠牲を払いながら、チームに貢献していく。その献身的な姿勢は最後に最高の結果として大きな花を咲かせることになる。1年目にしてワールドシリーズ出場。そして世界一である。テレビでしか見たことがなかった夢舞台。その中心に井口がいた。全世界の頂点を自らの手で体感した。

「パレードは凄かったね。200万人の人。道という道に何重もの人がいて。ダウンタウンの中心に位置する高層ビルも世界一になった夜は部屋の明かりでSOXの文字を作ってくれた。一つや二つではない。沢山の高層ビルがそうして祝ってくれた。あれは感動した」

巨大都市シカゴは熱狂の渦と化した。ファンの祝福の嵐。さらに井口にとってうれしい出来事があった。ギーエン監督が「MVPは井口。彼がいたから世界一になれた」と称賛。翌年の春季キャンプでは70人の選手が集まったミーティングで当時のGMが「日本で30本塁打を打つような選手がこんなに献身的なプレーをしてくれている。この精神は称賛に値する」と全員の前で絶賛。目に見えない献身的なプレーが評価されたことがたまらなくうれしかった。選手冥利に尽きる言葉が胸に染みた。

「いろいろな監督の下で野球を出来た。いろいろな選手と対戦し、いろいろな選手と一緒にプレー出来たのは自分にとって大きな財産。勉強をさせられた。引退をしてからもこういう経験をしっかりと生かして野球のために尽くしていきたいと思っている」

アメリカで過ごした4年間で3つのチームでプレーをして2つのチャンピオンリングを手にした。なにものにも代えられない大きな財産を胸に、井口は2009年1月25日、マリーンズのユニホームに袖を通した。複数球団が獲得に向けて競合する中で、現役メジャーリーガーは「千葉ロッテマリーンズが強くなるためのピースになりたい」と新たな新天地に千葉を選んだ事は当時、衝撃的なニュースとして取り上げられた。あれから8年。その背中に多くの選手が憧れ、目標にし続けてきた。そして6月20日、背番号「6」は今季限りで現役を引退することを表明した。メジャーで世界一、日本ではホークスとマリーンズで日本一を経験した男は多くの喜びと栄光と共にユニホームを脱ぐ。今でもなおシカゴの英雄として扱われるほどのマリーンズの誇るレジェンドをグラウンドで見ることが出来るのは今年限り。そのプレーのすべてを目に焼き付けたい。

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