「70歳の打撃投手」千葉ロッテ・池田寮長兼打撃投手の「原動力」

パ・リーグ インサイト マリーンズ球団広報 梶原紀章

2016.5.2(月) 00:00

5月1日、汗ばむ陽気の中、池田重喜寮長兼打撃投手はいつものように二軍の本拠地であるロッテ浦和球場のマウンドに上がった。若手選手相手に74球。「打者に打ちやすいように」といつも同じテンポで、そして求められたところにボールを投げた。打撃投手としての職務を終えると、フッと深呼吸をして、ベンチに戻った。この日は70歳の誕生日。雲一つない五月晴れの空を眺めながら、充実した表情で汗を拭った。

「物心がついた時からずっとボールを握っているからね。まさかこんな年までユニホームを着ていられるとは思っていなかったよ。まずはこんなに健康に産んでくれた両親に感謝だよ。そしてこの仕事をさせてくれている球団に感謝だね」

節目の70歳に本人は無関心を装う。しかし、周囲はそうはいかない。古希ながら、寮長という球団の重責を務めながら、打撃投手の名刺も持つ池田氏。この日もテレビカメラ2台が密着マークをした。本人は照れながらも、しかしこの年までプロ野球のユニホームを着ていられる幸せに浸っているように見えた。

産まれたのは戦後翌年の1946年。大分県の津久見高校で2年夏に甲子園出場を果たした。1967年にドラフト4位で大洋に入団。1971年にロッテに移籍し、1977年まで投手として現役でプレー。通算成績は155試合に登板をして13勝12敗。その後はコーチや裏方としてロッテを支え、2000年に寮長に就任した。コーチ時代も、寮長になってからも練習では若手選手に投げ続け抜群のコントロールを披露した。ならばと2012年より二軍打撃投手を兼務。そして、ついにこの日、70歳の打撃投手が誕生した。

「たいしたことはないよ。ただ投げているだけ。おれの人生、不器用でできることがこれしかなかっただけだよ」

周りからどんなに持てはやされても、本人はひたすら謙遜をする。しかし、スピードこそ100キロ満たないまでも、ストライク率は9割を優に超える。四十肩とは無縁で一日腹筋500回と1万5000歩以上歩くことを日課とする男はとても古希とは思えない。何よりも生きるレジェンドが今なお、球界の第一線にてドラフト1位ルーキーで18歳の平沢大河内野手(仙台育英高校出身)らこれからのプロ野球界を背負って立つ選手たちの成長を願い、普通に投げている事実が尊い。あの伝説の名打者・田淵幸一氏のプロ1号本塁打を甲子園で打たれた男。そして日本球界の誇るONとも対決したことがある投手が今なおマリーンズのユニホームを着てマウンドに立っているという現実は、高齢化社会が問題となっている今の日本において大きな希望となるはずだ。

誕生日前日の4月30日。まだ二十歳になったばかりの若い選手たちと雑談をしていた。若い選手が「自分はアンラッキーですよ」とぼやいた時、声を大にしていった。「オイ、運は平等ではないぞ。運を逃がすような男になるな。掴むんだ。呼び込むんだよ。そんなことを言っているから、運は逃げていくんだ」。それは打撃投手ではなく、寮長の声だった。人生で失敗した、結果が出なかったと嘆くことはあっても、運のせいにしてほしくはない。長い経験が知っていた。運は勝手に人に寄ってきたり、離れたりはしない。自分が呼び込むもの。それを若い選手に伝えたかった。「だから日頃の行いが大事なんだ。練習もそうだし、日ごろの生活もそう。部屋が汚いと運も寄ってこないぞ。人の姿勢、生き方が運を呼ぶんだ」。口酸っぱく言っていることだ。70歳の寮長の言葉には重みがあった。

「元気の秘訣をよく聞かれるよね。正直、分からないよ。でも、一つだけ言えるのはこの若い選手たちに活躍して欲しい、頑張ってほしいという気持ち。そして選手たちが活躍した時の嬉しい気持ちが活力となっていることかな」

今季、寮生でプロ3年目の二木康太投手が5月2日現在で先発として2勝を挙げている。入団した頃は体が細く、弱々しく見えた若者が毎日、寮でしっかりと食事をとり、努力を積み重ねたことで今、マリーンズの注目選手となっている。池田寮長はプロ初勝利後、二木が寮に戻ってくるのを待って祝杯を上げようと考えた。しかし、なかなか帰ってこない。やっと戻ってきたかと思うと二木は、手に入れることが困難と言われる自身の地元・鹿児島の地酒を抱えていた。「ありがとうございました」と渡された時、嬉しさがこみ上げてきた。少しだけ飲んで、棚に置いた。「次に飲むのはオマエが5勝する時。それまで取って置くよ」とニッコリと笑った。

今まで関わってきた寮生は100人を超える。その一人ひとりの人生を気にしている。野球界で活躍をするもの、違う世界で頑張っている人。とにかく若者たちが、社会において輝いてくれることを願う。今年も暑い季節がやってきた。寮長兼打撃投手として、いつものように投げ、見守り続ける。すべての原動力となっているのは若者のキラキラと輝く未来。一人でも多くの笑顔を見るため、池田氏は今日も元気にグラウンドに向かう。

マリーンズ球団広報 梶原紀章

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