帰ってきた「鷹のプリンス」。福岡ソフトバンクに川崎選手が6年ぶり復帰

パ・リーグ インサイト

2017.4.1(土) 00:00

かつて「鷹のプリンス」と呼ばれ、海の向こうではマイナー契約から這い上がり、所属する先々の球団でファンを魅了し続けた、あの男が帰ってきた。3月31日の試合後、福岡ソフトバンクは川崎宗則選手との入団基本合意を発表。4月1日には工藤監督同席のもと会見を行い、「2日前までアメリカにいました。クビになりました」と笑わせ、2011年以来、6年ぶりの古巣、そして日本球界復帰となった。

2011年までの一軍実働11年で積み上げた通算1343安打、打率.294、267盗塁。日本球界で確固たる地位を確立していながらも、「憧れ」であったイチロー選手(現マーリンズ)とのプレーを求めて渡米し、イチロー選手が在籍していたマリナーズへ加入した。その時のシーズン途中にイチロー選手がヤンキースへ移籍するという事態となったが、その後もアメリカでのプレーを求め続け、トロント、シカゴでは決して腐ることなくマイナー契約からメジャーの舞台に這い上がった。トロントでは現地メディアへの取材に英語で応える姿がファンを魅了。シカゴでは試合出場は限られ、ワールドシリーズのメンバー入りも逃したもののチームに帯同。持ち前の明るさでチームを鼓舞し続け、チームにとっては実に108年ぶり、自身にとっても悲願のワールドチャンピオンに輝いた。

35歳となり、もはや中堅ではなくベテランと呼ばれる年齢となって、チーム、ファンにとっても待望の復帰。しかし現在の福岡ソフトバンクの内野は、川崎選手の移籍後に台頭したショート・今宮選手をはじめ、二塁には本多選手、三塁には松田選手、一塁も内川選手と、レギュラーとして割って入るには厳しい状況と言える。それでも「帰るならばホークスのみ」という思いを貫き、そして「一番に声をかけてくれた」(川崎)という古巣復帰を選んだ。メジャーに残っていても過酷な競争にさらされていたことが予想されるが、同じく日本でも試合に出るために、川崎選手移籍後にポジションを得た選手たちとの競争に臨むこととなる。

しかしメジャーの華やかな舞台とはかけ離れた、アメリカのマイナー生活ですら腐ることなく前向きに野球に向き合い、楽しみ、自らの糧としてきた男が、川崎宗則である。チーム内の「競争」でさえも、川崎選手はポジティブなものに変えてしまうだろう。むしろ競争とすら捉えず、自らが「さらに野球がうまくなるため」の歓迎すべきものと捉えてしまうかもしれない。

さらに川崎選手は見るものを魅了する「エンターテイナー」としての磨きがアメリカでかかった。決して笑い者になるのではなく、見るものを楽しませる存在。野球におけるプレーで全力を尽くして技術に磨きをかけ、飽くなき向上心や求道者としての強い姿勢が好まれる傾向のある日本球界において、「娯楽としてのベースボール」を味わい、そして体現した川崎選手は、かつて日本で見せた姿とは違った存在となるかもしれない。しかしながら、ファンを魅了し、楽しませるということにおいては、今まで以上に存在感を発揮してくれるに違いない。

また、アメリカで人気を集めた川崎選手を追って、日本のプロ野球を見てみようとする海外のファンも増えるかもしれない。彼の加入は、福岡ソフトバンクのみならず、パ・リーグ、日本プロ野球にとって、一つのターニングポイントとも言ってしまってもよい。「常勝」を求められる強者の軍団に、「エンターテインメント」と過酷な競争を勝ち抜いた底知れぬガッツを持ち合わせた、背番号52の、最高の「ベースボールプレーヤー」が加わった。

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