イチロー活躍でよみがえったジョー・ジャクソンの存在
エンゼルス大谷翔平が投打とも華々しい活躍を演じている。足かけ20年間、日本人メジャーリーガーのデビューを数多く目にしてきたが、米国でこれほどのセンセーションを巻き起こすのはイチロー以来ではないかと思う。
2001年にやって来たイチローは、本塁打全盛の当時にあって、技術とスピードで安打を重ねる昔ながらの野球を米国のファンに思い出させた。そして、歴史上の人物をよみがえらせてくれた。「嘘だと言ってよ、ジョー」のシューレス・ジョー・ジャクソンである。
メジャー1年目の最多安打記録は、パイレーツのロイド・ウェイナーが1927年にマークした223安打だった。だが、イチローがこの数字を抜きそうになると、米メディアは通算130打数未満という新人規定を当てはめ、「新人の最多安打記録」を見つけてきた。それが1911年、この年メジャー4年目だったナップス(現インディアンス)のジョー・ジャクソンが放った233安打であった。
ジョー・ジャクソンについては改めて紹介するまでもないだろう。1919年のワールドシリーズを舞台にしてホワイトソックスによって行われた八百長、いわゆるブラックソックス事件で球界から追放された8人のうちの1人である。
この事件の裁判で、裁判所から出てきたジャクソンに向かって少年ファンが涙ながらに「嘘だと言ってよ、ジョー(Say it ain't so, Joe)」と叫んだところ、ジャクソンが「残念だが本当なんだ」と答えたという。
この感動的な逸話はフェイクニュースらしいが、メジャー史上に残る名場面である。ジャクソンはその悲劇の主人公であった。イチローはメジャー1年目に、この有名人の復活させたのだった。「フィールド・オブ・ドリームス」など、この事件に材を取った映画や小説を思い出した人たちも少なくなかったのではなかろうか。
ちなみに2001年のイチローは242安打を放ち、新人の最多安打記録を楽々と更新した。
ルースの2桁勝利&2桁本塁打
さて大谷が呼び起こすのは、メジャー史上最高のビッグネーム、ベーブ・ルースである。メジャーでこれまで2桁勝利&2桁本塁打を達成したのは、13勝&11本塁打だった1918年のレッドソックスのルースのみ。大谷はそれ以来、ちょうど100年ぶりの偉業に挑んでいる。
ルースと言えば忘れられた名前ではない。ただ、われわれが知っているのは1920年のヤンキース移籍後、打撃に専念するようになってからのことである。実際、予告本塁打や病気の子供に約束した本塁打など、有名な「神話」はたいがいヤンキース時代のもので、レッドソックス在籍時の投打二刀流の話はあまり語られることがないように思う。
1918年は第1次世界大戦が終わった年である。同年11月に終わったのだった。米国は前年1917年に参戦し、メジャーリーガーも戦場に駆り出された。1918年のシーズンは短縮され、その影響でワールドシリーズは9月に開催された。対戦したのはエースのルースを擁するレッドソックスとカブス。レッドソックスが4勝2敗で優勝するが、この後2004年まで覇権から遠ざかることになる。
シカゴで行われたこのシリーズの第1戦で、ルースは1-0で完封勝ちを収めている。
実はこの試合で、今につながる伝統の行事が始まった。7回裏を迎える際、軍楽隊が入場して「星条旗(The Star-Spangled Banner)」を演奏し、それに合わせて観客が歌った。国歌に制定されるのは1931年で、当時は愛国歌だったのだが、第1次世界大戦中の国威発揚の意味があったようだ。
これ以前にもこの歌が演奏されることがなかったわけではないとのことだが、定着したのはこの時から。この時をきっかけとして、この歌がメジャーリーグのあらゆる試合で斉唱されるようになったのだという。
試合前の国歌斉唱の起源は、2桁勝利&2桁本塁打を成し遂げた年のワールドシリーズでルースが完封勝利を挙げた試合だったのだ。いつ頃からなにゆえメジャーの試合前に国歌斉唱がなされるようになったのだろうかと疑問に思うことがしばしばあったのだが、大谷のお陰で史実を知ることができた。
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