戦力外通告の1年前に“引退決断” 元鷹ドラ1を決心させたモイネロに喫した三振

2022.1.26(水) 06:45 Full-Count 福谷佑介
元福岡ソフトバンク・江川智晃氏※写真提供:Full-Count
元福岡ソフトバンク・江川智晃氏※写真提供:Full-Count

故郷の伊勢市で豚肉の販売を手がけている江川智晃氏

 2004年に福岡ソフトバンクからドラフト1位指名を受け、2019年に現役を引退した江川智晃氏。引退後は球団のスコアラーを務めたが、1年で退職。現在は故郷の三重・伊勢市で「まるとも荒木田商店」を営み、母方の家業である「一志ピックファーム」が育てるブランド豚「一志SPポーク」の販売を手がけている。球界から離れ、第2の人生を歩んでいる江川さんが現役時代や引退を決断するに至った意外なキッカケなどを明かした。

 2004年のドラフト会議で当時の福岡ダイエーから1位指名を受けた江川氏。ドラフト後に福岡ソフトバンクへと経営権が譲渡されたため、福岡ダイエー最後の1位指名選手として、宇治山田商高から入団した。和製大砲として期待され、2009年、2010年にはウエスタン・リーグで14本塁打を記録。なかなか一軍では結果が出なかったものの、2013年には一軍でキャリア最多の12本塁打を放った。ただ、怪我や若手の台頭もあり、レギュラー定着とはならず。晩年は右の代打としての起用が多かった。

 レギュラーになれなかった選手としては異例の長さとも言える15年の現役生活を振り返り「現役の時はつらいなと思っていたんですけど、今となってみれば、めちゃくちゃいい経験をさせてもらったな、と思います。野球の技術は大して成長できなかったんですけど、いろんな人とお付き合いさせてもらうなかで、人としてすごく成長できたし、楽しかったなと思います」と、かけがえのない時間、財産になっている。

 現役時代は苦しみの連続だった。二軍で打てていても、一軍ではなかなか結果が出ない。“二軍の帝王”とも揶揄された。「自分ができない歯がゆさとか、思い通りにいかないっていうことはすごく多かったですし、常に戦力外と背中合わせでそういうのに追われていました」。いつクビになるか分からない危機感と恐怖心を、常に抱えながら、日々を過ごしていた。

現在は三重で豚肉の販売を手掛けている江川氏※写真提供:Full-Count(写真:福谷佑介)
現在は三重で豚肉の販売を手掛けている江川氏※写真提供:Full-Count(写真:福谷佑介)

プロ4年目の2008年オフには戦力外を覚悟「10年ぐらいはずっと隣り合わせ」

「怪我をして離脱したら、チャンスはまた遠のきますし……。朝起きると、まず痛いところがないか探すのが毎日のルーティンになっていました。野球の夢もよく見たんですけど、ボールが投げられなくなるとか、当たらなくなるとか、そういう夢ばかり見ていましたね。精神的に結構きてたのかもしれません。成功する夢はなかなか見なかったですし、どこかに恐怖心を抱えていたのかもしれません」

 2005年に入団し、2019年までプレーした江川氏だが、2軍で打率.193、6本塁打と打撃不振に陥った4年目の2008年オフには戦力外を覚悟したという。

「せっかくプロ野球に入れたのに、教えてもらうことが多い反面、自分で『こうしたい』というのがなかったんです。その時に、こんなプロ野球生活でどうなんだ、と。何一つ自分で選択していないのに、クビになるのは嫌だな、どうせクビになるんだったら自分の思う通りにやって後悔のないように日々過ごしたいなと思ったんです。そこから10年ぐらいはずっともう戦力外と隣り合わせだと思っていました」

「いつその時が来てもいいぐらい、日々、毎日をちゃんと過ごそうと思いました。それが出来ていたら、後悔とかはないと思ったので。辞めた後にグダグダ、何かのせいにするのとかは、すごく嫌だったので。思い切ったことをしたいなと思ってやっていました」

 もちろん潜在能力も高く評価されていたが、日々、このように全力に取り組む姿勢が球団にも届いていたのだろう。その後、10年間、現役を続けた江川氏だが、実は、戦力外通告を受ける1年前に引退を決心する出来事があった。

チームメートだったモイネロとの対戦で決断した現役引退

 この年、2軍で打率.295、8本塁打をマーク。一軍でもわずか5試合の出場だったが、5打数3安打1本塁打と結果を残し「2018年はすごくバッティングの調子がよくって、自分のMAX出せた」というのだ。ただ、なかなか一軍でチャンスは巡ってこずに「これでもう戦力外だな、と思いました」と覚悟した。

 身の振り方まで思案していた。現役を続けるか、それとも退くか。「他球団でチャンスがあるなら挑戦しようか、それとも辞めようか、と」。そんな時に、ある機会が巡ってきた。クライマックスシリーズに向けた一軍の調整のための実戦練習だった。対戦したのはリバン・モイネロ投手。江川氏は「絶対これだな、と思ったんです。今日で決めようと」と、この対戦に臨んだ。

「多分、他球団に行ったら、モイネロとも対戦することになるだろうと思ったんです。2軍だから打てていただけかもしれないので、本物の投手と対戦して決めよう、と」。結果は三振。踏ん切りはついた。「これじゃ多分、他球団に行っても迷惑をかけると思いましたね。2軍にいるときにはちょっと自信はあったんですけど、無理だと思って、オファーが来ても辞めようと思いました」。結果的にこのオフに通告を受けることはなかったが、これが1年後の決断にも影響を与えた。

 翌2019年も2軍では打率.272を記録したものの、一軍での出場は11試合に終わり、日本シリーズの出場資格者40人からも外れ、予感した。「何の前触れなく電話はかかってきます。ただ、シリーズの出場資格メンバーに入らなかった段階で(戦力外だと)分かっていましたね。まあ、その前から分かっていましたけど……」。10月20日に電話が鳴った。球団事務所に来るように、という連絡で全てを悟った。

「こんなに清々しい顔してくる選手初めて」球団幹部も驚いた戦力外通告の瞬間

 球団事務所の会議室には三笠杉彦GMら編成を担うフロント陣が待っていた。来季の契約を結ばない旨を伝えられると、江川氏は即答したという。「現役はやりません」。実は他球団からのオファーはあった。ただ、1年前のこともあって現役を退く意志を固めていた。「『こんなに清々しい顔してくる選手初めて』と球団の方にも言われました」。引退試合の打診も辞退した。

 気持ちは晴れやかだった。「今だから言えますけど、もうやりたくなかったんですよ。あと1年やるのはきついなと思っていたんです」。セカンドキャリアをサポートしている球団からは、スコアラー転身のオファーを受けた。野球に携わり続けられる仕事で「ずっと福岡でお世話になりたいなと思っていた」と福岡への愛も強く、断る理由はなかった。家族とも相談した上で転身を決めた。

 これほどまでにスッキリと戦力外通告を受け入れられる選手も珍しい。江川氏も「なかなかいないですね。口では結構辞めたいとか、もう嫌だとか言ってる人もいますけど、やっぱりなかなか踏ん切りがつかない人も多いですし」と言う。そう思えたのも毎日を100%全力で過ごしてきたから。「本当にできることをやろうと思ったんで、やり残したことはないですね。あの時の自分の全力というのはそれなので、全く何のせいにもできないぐらいに自分の中でやりました」と、今、振り返っても後悔は全くない。

 この生き方はフィールドが全く違う現在も変わらない。「まるとも荒木田商店」を営む上でも「その日できることはその日のうちにやるようにしています。今まで雇われる側だった時は、暇でラッキーだと思いますけど、今はそういう暇がめちゃくちゃ怖いですよ」と柔らかな表情を浮かべる。プロ野球の世界での経験を糧に奮闘する江川氏。精肉業という新たな人生でも、日々全力投球で生き抜いている。

(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

記事提供:Full-Count

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