福岡ソフトバンクの04年ドラフト1位・江川智晃さんは三重で豚肉の販売を手掛ける
三重県の南東部に位置し、伊勢神宮の鳥居前町として「神都」とも称される伊勢市。市内を流れる宮川のほとりで「まるとも荒木田商店」の“キャプテン”として、豚肉を販売している元ドラフト1位選手がいる。江川智晃さん、35歳。2004年のドラフト1位で宇治山田商高から福岡ソフトバンクに入団。15年間の現役生活を終え、1年間のスコアラーとしての活動を経て、昨年から新たな人生を歩み始めた。
福岡ソフトバンクでは和製大砲として期待され、2013年には77試合で12本塁打を放った。2019年まで15年間、プロ野球選手としてプレーした江川氏がなぜ、球界を離れて精肉業に足を踏み入れたのか。転機は今も世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス。2019年シーズンを最後に現役を引退した江川氏はその実直な人柄も買われて球団に留まり、2020年からスコアラーとして働き始めた。だが、同年3月、新型コロナの感染拡大で自粛期間となり、チームの活動がストップ。在宅で1人過ごす時間が長くなった江川氏は連絡を取り合う中で家族の近況を知った。
「家族と連絡を取り合っていて、心配で、どうなんだろうっていうところが始まりでした。思いのほか、母に負担がかかっていて……。(父方の)実家の仕事もあり、農場もあって、車での走行距離も結構走っていて。大丈夫かな、ちゃんと休めているのかな、僕が行くことで軽減されたらいいかな、と。最初はそこから心が揺れていきました」
母・幸枝さんの実家はブランド豚「一志SPポーク」を生産する養豚場「一志ピックファーム」を営んでいた。幸枝さんの兄で江川氏の叔父である荒木田斎蔵さんがかつて代表を務めていたが、体調を崩したため、母の幸枝さんが代理で代表に。生産から販売までを手掛けることになり、幸枝さんは多忙を極めていたという。
江川氏を精肉の世界に向かわせた叔父の夢と願い
現役の頃から「賞も取っていたし、生産には自信があった。この豚をどんどん広めていきたい。それをやってほしい」という叔父の夢と願いを聞いていた江川氏。現役時代の自身の役割を「レギュラーじゃなくて保険のような選手だった」と称するからこそ「頼られることが嬉しかったですし、やってみたいという思いがありました」。コロナ禍で、母を気遣う想いも相まって、人生の大きな決断を後押しした。
江川氏が販売する「一志SPポーク」は、他の豚肉よりも脂身の融点が低く溶けやすい。この脂はサッパリとしていてくどくなく、赤身はコクが強いのが特徴な絶品の豚肉だ。幼少期から食べ親しんできた江川氏も「福岡はすごく食が美味しいですし、遠征先でもいろんな美味しいものを食べました。その中で、うちの豚肉ってやっぱり美味しいんだなと思いました」と改めて実感し「この豚肉を広めていきたい」という思いも芽生えた。
当然、わずか1年でスコアラーを辞め、球団を離れることに葛藤はあった。「正直こういう辞め方をしたら、もうプロ野球界には戻れないでしょうし、福岡に戻れる機会っていうのはなかなかないなと思ったので。そこを断つのは、めちゃくちゃ勇気がいりました。スコアラーも凄く大事な仕事ですし、せっかく球団に入れてもらったので……。だけどこっちのことも気になるし……。ただ、悩んでる時間があってズルズルといくより、変わるなら早い方がいいと思いました」。2020年シーズンを最後に退団することを決め、2021年1月に故郷に戻ってきた。
地元に戻ると、まずは、もともと小さな販売店だった「荒木田商店」をテコ入れした。「スーパーとかに行ったこともなくて、豚肉がいくらで売られているのかも知らなかった」という男が、自ら足を運んで知識を得た。肉のカットなどを自分達でできるように保健所などの許可を取り、商工会に赴いて補助金の制度がないかも調べた。加工用の機材も納入し、それと同時に豚の勉強も進めた。イチから準備を進め、半年後の6月に「まるとも荒木田商店」をオープンさせた。
「プロ野球選手全員そういう風だと思われたくない」
今の業務も多岐に渡る。“社長”的な立場だが、「まともに社会人もやったことがないのにおこがましい」との理由で、肩書きは野球に引っ掛けて「営業部キャプテン」。精肉のカットや包装、新たな販路拡大のための営業活動、商品の配達など、事務以外のほぼ全ての業務を自ら行う。今は手一杯だが、将来的には生産の分野にも力を入れたいとも考えている。
慣れない新たな環境に「作業も大変ですし、メンタル的にもしんどいことはあります」と漏らす。そんな自分を突き動かすのは“元プロ野球選手”としての思い。「僕が今ここで、弱音を吐いていたら『プロ野球選手だから、社会がキツいんだろ』と言われてしまう。僕1人だけがそう言われるのはいいんですけど、プロ野球選手全員そういう風だと思われたくないので。僕はみんなの代表だと思って、彼らの顔を思い浮かべながらやっています。僕がちゃんとして『やっぱり底力あるんだな』と思われたらいいですね」という。
事業を開始して以降は福岡ソフトバンクの後輩である柳田悠岐外野手や千賀滉大投手、中村晃外野手らがSNSを通じて「一志SPポーク」をPRしてくれた。「本当にありがたいですし、嬉しいですね。やっぱり彼らの影響力って凄い。僕も彼らのことが大好きですし、毎日会っていたのが当たり前だったんですけど、こうやって離れてみるとやっぱり寂しいなと思います」。盟友たちと離れ、地元で奮闘する江川氏を後輩たちも手助けしようとしている。
今後の夢を「やっぱり1人でも多くの人に、この美味しい豚を知ってもらいたいという思いはすごくあります。まだ認知度も低いですし、まずは三重県で一番美味しい豚として多くの人に食べてもらって、ゆくゆくは日本一の豚にしたいです。牛肉だと松阪牛とか佐賀牛とか、いろいろありますけど、豚肉でそういうブランドにしたいです」と言う江川氏。故郷で母のために歩み出した第二の人生。多くの人に「一志SPポーク」を知ってもらうため、今日も汗を流している。
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