24年目のキャンプを迎えた。福浦和也内野手が懐かしそうに遠い昔を振り返った。1994年、1年目の二軍キャンプ地は鹿児島県湯之元。今は選手全員がホテルの1人部屋だが、当時は旅館に和室に3人一部屋だった。福浦自身も内野手ではなく投手。右も左も分からないまま飛び込んだプロのキャンプだった。
「緊張していて、本当になにも覚えていないなあ。全く分からないまま言われるままに日々を過ごしていた。とにかく必死だったよね」
高卒ルーキーには、なにもかもが戸惑いだった。そもそも年が離れた選手と一緒に練習をしたことがなかった。最初はコーチかと思っていた人が選手だったりした。ブルペンでは一度も捕手を座らせることが出来なかった。「立ち投げでいい」とコーチから指示をされた。ひたすら、中腰の捕手相手にストレートを投げ込んだ。礼儀、挨拶も厳しく指摘された。挨拶が出来ていないとルーキー全員が先輩の部屋に集められた事もあった。今ではクリーニング業者が全てをまかなう時代だが当時は朝の体操の後に洗濯を終えたユニホームやアンダーシャツなどの衣類を選手、スタッフ別に区分してそれぞれに配るのが新人の日課だった。練習に出発する前、眠い目をこすって作業を行った。
同じ年には立川隆史外野手(現野球評論家)、大塚明外野手(現二軍外野守備走塁コーチ)、小野晋吾投手(現二軍投手コーチ)らがいた。いずれも二軍スタートだった。同部屋の小野晋吾が卒業式参加のため途中でキャンプを離脱した。自身の卒業式は1か月後。たまらなく羨ましかった。
覚えているのは全体練習後の坂道ダッシュ。曲がりくねった道を何度も登った。グラウンドでの練習が終わってからも夕食後は大広間でシャドーピッチングを繰り返した。当時、投手だった福浦は一流のピッチャーになるべく黙々とこなした。
あれから月日が流れた。福浦は投手から野手に転向をし、そこから一流を極めた。出場した試合は2082。記録した安打は1932。プロ24年目を迎え、今年またチームと共にキャンプに参加をするため石垣島に向った。
「昔はキャンプといえば行きたくなかったよね。今は、もうそんな時期か、早いなあという気持ちにはなる。でも楽しみだよ。とにかく若くはないのだから怪我をしないこと」
調整のため二軍キャンプスタート。41歳の大ベテランは18歳の新人と一緒に汗を流している。「あの時のオレと同じ感覚なのかなあ。うわあ、凄いおじさんがいるって(笑)」。そう言って優しい目で高卒新人たちを見つめた。
「このキャンプは強い覚悟を持って取り組んでいる。自覚と覚悟だね。2000本安打という目標は皆さん、期待してくれているし楽しみにしてくれているから頭にはある。でも、一番の目標はもう一度、優勝する事。それもZOZOマリンスタジアムで優勝をしたい。まだ、ここで胴上げをしたことがないからね。ここでその瞬間を迎えて、ファンの皆様に恩返しをしたいという思いが強い。そのためにチームが勝利をすることを優先して生きて行きたい」
2月1日。今年もまた背番号「9」はキャンプインした。ランチ特打で打撃の感覚を確かめた。ロングティーで打球の角度を確認した。長い年月がたった今もまだ目にしていない景色がある。右も左もわからずオドオドしていたあの日の若者は大ベテランとなった今も旅の途中にいる。そして今年も新たな一歩を踏み出した。
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