オリT-岡田&埼玉西武浅村、同日1000試合出場は10例目 過去には驚きの記録も

Full-Count 広尾晃

2018.5.8(火) 14:37

オリックス・バファローズ T-岡田(左)と埼玉西武ライオンズ・浅村栄斗選手
オリックス・バファローズ T-岡田(左)と埼玉西武ライオンズ・浅村栄斗選手

福本&大橋は同じ試合でチームメートとして達成、初出場も同じ試合

5月6日、オリックスのT-岡田と、埼玉西武の浅村栄斗が、揃って1000試合出場を果たした。NPB史上490人目と491人目だった。

NPBの選手表彰項目の中で、最も多くの選手が受賞しているのが「1000試合出場」。しかし、NPBの1軍の試合に出た選手は6600人を超えているから、それでも7%強の選手しかテープを切ることができない記録だ。

達成時のコメントを見ると、野手は1000試合出場を果たすと「1人前になった」と感じる選手も多いようだ。初めて1000試合出場を果たしたのは1948年9月12日の坪内道則(名古屋=現在の中日)。以来70年間で491人が記録した。

2人の選手が1000試合を同じ日に迎えたのは、これで10例目

1966年7月23日 河合保彦(西鉄)、古葉竹識(広島)
1977年8月5日 福本豊(阪急)、大橋穣(阪急)
1988年6月14日 水上善雄(ロッテ)、古屋英夫(日本ハム)
1992年7月1日 佐藤兼伊知(ロッテ)、駒田徳広(巨人)
1998年8月25日 飯田哲也(ヤクルト)、谷繁元信(横浜)
2000年5月7日 久慈照嘉(中日)、鈴木健(西武)
2004年7月16日 真中満(ヤクルト)、木村拓也(広島)
2012年7月14日 平野恵一(阪神)、今江敏晃(千葉ロッテ)
2013年9月29日 小谷野栄一(北海道日本ハム)、田中浩康(東京ヤクルト)
2018年5月6日 T-岡田(オリックス)、浅村栄斗(埼玉西武)

同時代の選手という以外には、あまり共通点がない顔ぶれが並ぶ。偶然の産物だ。

しかし、1977年8月5日の福本と大橋は同じ阪急の選手。西宮球場での近鉄戦で同時に達成。この試合で1番を打った福本が史上192人目、9番だった大橋が193人目となった。

驚くべきことに、福本と大橋は、初出場も同じ1969年4月12日、西宮球場での阪急-東映戦。ともに新人。大橋は当時は東映の選手。8番・遊撃手として先発出場、阪急の福本はこの試合に代走として出場している。1972年に大橋は阪急に移籍、福本とチームメートになり、ともに阪急ブレーブスの黄金時代を築いた。

達成者には職人肌の選手たちも多数、わき役に与えられる数少ない「勲章」の側面も

1000試合出場選手の中には、守備固め、代走などレギュラー以外の役割で長くチームに貢献してこの記録を達成した選手もいる。1000試合出場以上の最小安打数5傑。

井上修 1035試合245安打
正岡真二 1188試合288安打
山森雅文 1072試合289安打
鈴木尚広 1130試合355安打
行沢久隆 1004試合385安打

職人肌の選手が並ぶ。井上は広島と阪急、正岡は中日のユーティリティプレイヤー。山森は阪急の外野守備の名手。1981年9月16日西宮球場のロッテ戦でのフェンスによじ登ってのホームランキャッチは、アメリカ野球殿堂博物館でも紹介された。

鈴木は2016年まで、巨人で「足のスペシャリスト」として活躍。200盗塁以上では盗塁成功率はNPB史上1位。行沢も日ハムと西武でユーティリティとして活躍した。こうしてみると、1000試合出場はプロ野球のわき役に与えられる数少ない「勲章」であることがわかる。

今季、1000試合出場を達成したのは、青木宣親(ヤ)、T-岡田(オ)、浅村栄斗(西)の3人。さらに、今年中に以下の顔ぶれが1000試合をクリアする可能性がある。

吉村裕基(ソ)、丸佳浩(広)、岩瀬仁紀(中)、藤井淳志(中)、秋山翔吾(西)、大松尚逸(ヤ)、川端慎吾(ヤ)、平田良介(中)、大和(De)

投手初の1000試合出場に迫る岩瀬に注目が集まるが、他の選手一人ひとりにもドラマがある。今季中に1000試合出場は500人に達する可能性がある。注目していきたい。

記事提供:Full-Count

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