「選手、チームの変化こそ我々の冥利の一つや」 元オリックス監督が救われた野村克也氏の言葉

Full-Count 橋本健吾

2020.4.27(月) 12:12

2019年の東京ヤクルトOB戦に出場した野村克也さん※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)
2019年の東京ヤクルトOB戦に出場した野村克也さん※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)

背中を押された王監督の言葉「人は必ず変化する。ならば良い変化を。変化、成長には行動が不可欠」

 オリックスは2014年に2位になって以降、Bクラスが続いている。リーグ優勝は1996年から遠ざかっているが、若手投手陣の成長、大物メジャーリーガーの加入など、2020年シーズンはとても期待値が高い。6年前に指揮していた森脇浩司氏の考えにはホークスで仕えた王貞治監督から学んだこと、南海の大先輩である野村克也氏の戦法があった。

 福岡ソフトバンクと最後まで優勝を争った2014年。主砲の李大浩、バルディリスが去り、目立った補強もないチームに当時、評論家からの予想は最下位が大半だった。それでも、“弱者が強者に勝つ”チームを作り上げた。選手もチームも急速な成長を遂げている中、それに対して貢献するには常に自身の向上が責務と考えていた森脇氏。王監督からの言葉もチーム作りの礎となっていた。

「人は必ず変化する。ならば良い変化を。変化、成長には行動が不可欠。その行動には勇気が必要だ。思いの強さが勇気を生む。人生はチャレンジの連続だ。歩みを止めないこと」

 王監督からの言葉は森脇氏の背中を押した。当時の合言葉は「良い習慣は才能を超える」「常に出来る理由を考えよう」。これは前球団でも折に触れ使った言葉だった。

 描くものはただ一つ、人気薄の逃げ馬。他からの評価は低くとも仲間を信じ、知恵を絞り皆で常に先手を打てる準備をする。一日一日を大切に、一瞬一瞬に全てを賭けてその寿命を延ばしていく。これは日本シリーズで勝つことから逆算したホークスでのマネジメントとは真逆のものだった。

オリックスが見せた変化に野村氏からも「選手、チームの変化こそ我々の冥利の一つや」

 この年、思い出深い試合が残っていた。2014年。開幕戦こそ2年連続開幕戦延長サヨナラ負けというタフなスタートだったが、4月を19勝8敗で乗り切り、交流戦も貯金をして終えようとしていた。6月18日の巨人戦。森脇氏はシーズンに於いて快進撃を続けるのに大きなターニングポイントとなるものだったと振り返る。この試合の解説者は勿論、野村氏。翌日のスポーツ紙には「ノムラの考え」で詳しく評論されていた。この試合は9安打6得点での快勝だったが野村氏の称賛の言葉はなく、攻守に動き過ぎと批判に近いものだったという。

 最終的に2014年シーズンは福岡ソフトバンクとの「10・2」決戦で敗れ2位に終わったが、Bクラス常連になりかけていたオリックスが死闘の1年を乗り越えて見せた変化は大きかった。

 時が経ち野村さんと時間を共有する機会があった森脇氏は「あの時のオリックスはかつてのホークスの選手の変化のスピードを上回っていましたよ。本当に尊いものでした」と伝えた時に野村氏から返ってきた言葉が忘れられないという。

「選手、チームの変化こそ我々の冥利の一つや」

 滅多に褒めることなく辛口で知られる野村氏からの言葉に“指揮官”としての喜びを再確認させれた。

「野球界の中で一度は野村さんの元でも学びたかった」

 野村氏が残した功績は教え子や関わった指導者たちに今後も受け継がれていく。1点を守り抜く、1点をもぎ取る、弱者が強者に勝つ、創意工夫、勇気ある決断、強靭な忍耐力なくしては成しえない等の野球観が重なる野村氏への思いは森脇も今も心の中に強く残っている。

「情報社会となり、グローバル化が進む時代背景の中、賢い若者は数多い。私も多くの若者と向き合って改めて強く感じることだ。一方で自立、自発性、創意工夫する能力、そして我慢する力が少し不足していることにも気付く。野村監督からの発信、存在こそが賢い若者から逞しい大人への育成に直結すると確信するだけに残念でならない。

 今、福岡工業大学の部員から多くの気付き、学びを頂きながら心理学を学んでいる。『野球界の中で一度は野村さんの元でも学びたかった』という願いは叶わなかったが、今後もアマ野球界を含め指導に力を注いでいきたい」

◇森脇浩司(もりわき・ひろし)

1960年8月6日、兵庫・西脇市出身。現役時代は近鉄、広島、南海でプレー。福岡ダイエー、福岡ソフトバンクでコーチや2軍監督を歴任し、06年には胃がんの手術を受けた王監督の代行を務めた。11年に巨人の2軍内野守備走塁コーチ。12年からオリックスでチーフ野手兼内野守備走塁コーチを務め、同年9月に岡田監督の休養に伴い代行監督として指揮し、翌年に監督就任。14年には福岡ソフトバンクと優勝争いを演じVの行方を左右する「10・2」決戦で惜しくも涙を飲んだ。17年に中日の1軍内野守備走塁コーチに就任し18年まで1軍コーチを務めた。球界でも有数の読書家として知られる。現在は福岡六大学野球の福岡工大の特別コーチを務め、心理カウンセラーの資格を取得中。178センチ、78キロ。右投右打。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

記事提供:Full-Count

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