【私が野球を好きになった日2】野球美女の坪井ミサトさんが負けた「甘い誘惑」

Full-Count

2020.4.23(木) 11:18

タレントでスポーツ女子の坪井ミサトさん※写真提供:Full-Count(photo:Ryoma Kanoh hair&make:Hoshina Sumi)
タレントでスポーツ女子の坪井ミサトさん※写真提供:Full-Count(photo:Ryoma Kanoh hair&make:Hoshina Sumi)

「ポケモンカード」「遊園地」…甘~い誘惑に負けたから今がある

 大好きな野球が見られない。Full-Countでは選手や文化人、タレントら野球を心から愛し、一日でも早い事態の収束を願う方々を取材。野球愛、原点の思い出をファンの皆さんと共感してもらう企画を用意した。題して「私が野球を好きになった日」――。第2回はモデルで野球女子の坪井ミサトさん。今、野球に携わる仕事ができるのも、小学1年生の時からやっていた少年野球があったからと感謝する。

 NPBの始球式に“登板”する機会はこれまで5度あった。見事な投球フォームから投げられたボールに驚いたファンも多いだろう。これまでも東京ヤクルトの公認サポーターや千葉ロッテキャンプ中継のリポーターなどを務めた坪井さんは小学校1年生の時に5歳違いの兄がやっていた少年野球チームに入ったことが野球との出会いだった。

「土日と祝日はお兄ちゃんの野球の練習に家族で出かけていっていました。そこで、コーチや、同い年の子と遊んでいたので(少年野球チームは)楽しいというイメージしかなかったんです。そこで、お兄ちゃんに“誘惑”されたんです。『ポケモンのカードをあげるから、入ろうよ』と。くれるんだったら入る……という感じで、練習に参加しました」

 自宅では、少年野球のコーチだった父は、プロ野球をテレビでよく見ていた。映っていたのは巨人戦。坪井さん自身は特定の好きなチームはなかったが、隣でよく見ていた。野球を純粋に楽しむ小学生だった。

「お父さんが巨人ファンで、特に清原和博さんのファンでした。家では巨人の試合がずっと流れていましたね。阪神が勝つと、お父さんの機嫌が悪かったです……(苦笑)」

 一度だけ、野球を辞めたくなったのは、兄が中学に進学することになり、チームを引退することになった時。小学2年生になった坪井さんは、半年くらいチームから遠ざかった。

「寂しくなってしまったんですよね……。でも監督が、わざわざ家まで来てくれて、年1回の親睦会に誘っていただき、遊園地に行くということになりました。それまで休日に遊園地なんて行ったことがなかったので、うれしくて。そのために、また練習へ行こうという気持ちになりました。また誘惑されたんですよ……」

中学生まで野球に打ち込んだ「バッティングが大好きでした」

 それ以降、中学3年生まで野球に打ち込んだ。内野手、外野手、それから捕手とあらゆるところを守れる万能選手だった。ただ、どこよりも好きだったのがバッターボックス。小学校の時に撮った打席の写真を見るといつも思うのが、バットはかなり短めに持っているが、打ちたい気持ちが前のめりになっている、ということだ。

「バッティングが大好きでした。(試合では早く)バッターボックスに入りたかったです(笑)。投げてくるボールが怖い、打席が怖いという意識はなかったですね。どちらかというと『打ちたい』という気持ちばかりです。初ホームランは小学校3年生の時。レフトの頭上を超えたランニングホームランでした」。

 写真は野球が大好きなことを証明している。

 芸能界に入り、初めてのテレビ出演は野球に関する仕事だった。4年ぶりにボールを握ったのだが、野球の魅力にまた目覚めた。

「今では野球をやっていて、本当に良かったと思いました。私は、野球を伝えるという仕事もさせていただいているので、野球のこと、勉強をして、(自身の)ウェブサイトなどでも届けていければいいなと思っています」

 野球を見ることも、草野球でプレーすることも大好きな坪井さん。この未曾有の事態に活動も制限されているが、この時間を新しいことにチャレンジする時間に充てて、SNSやホームぺージなどで発信していくという。

「私を見て、下がっている気分を少しでも上げてもらえればうれしいですし、元気になってほしいなと思います」

 野球少女だったから、特に野球をやっている女子たちに元気を失わないでもらいたいという思いも強い。必ず今の経験が「野球をやっていて、本当に良かった」と思える日が来ることを信じてほしい。そう願っている。

記事提供:Full-Count

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