親友の鶴岡は守りだけだったが「僕が見たいといいました」
■オリックス 5-1 北海道日本ハム(27日・札幌ドーム)
北海道日本ハムの田中賢介内野手が27日、本拠地オリックス戦で引退試合に臨んだ。「2番・DH」で先発出場し、6回には右前打、8回の最終打席は号泣しながら右翼フェンス直撃の適時打を放ち、日本通算1499安打で日米20年間のプロ生活にピリオドを打った。
5点ビハインドで迎えた8回2死一、二塁、打席に向かう田中賢の視界が涙でぼやけていった。「ずっと我慢していましたけど、この打席で最後だと思うといろいろな思い出が込み上げてきて。満員のファンの中で最後できて幸せでした」。野球人生最後の賢介コールを聞くと、涙腺は決壊した。指で目頭を押さえ、さらにはユニホームの右袖で涙を拭った。
最高勝率のタイトルを懸けてマウンドに上がっていた山岡の直球を1球見送った後の2球目。「涙が止まらず、ボールのことも打ち方も忘れて無我夢中で来た球を打ちました」と140キロ直球を鋭く振り抜いた打球は右翼フェンスを直撃した。完封負け目前、北海道移転後の黄金時代を築いた主役が最後の打席で見せた意地の得点シーンに、球場内は感動に包まれた。
「1イニングだけ守りたい」という希望通り、最終回は二塁の守備に就いた。ベストナインを6度、ゴールデングラブを5度受賞したポジション。守備機会は巡って来なかったが「景色は良かったですね。ここが自分の場所だなと思いました。一生の思い出になりました」とピンク色に染まった札幌ドームの景色を目に焼き付けた。
引退試合にあたり、リクエストはもう一つあった。高校時代から付き合いのある親友の鶴岡慎也バッテリーコーチ兼捕手の打席だ。「ツルは守りだけの予定でしたが、僕が見たいと言いました」。8回1死走者なしで代打で登場した鶴岡は中前打を放ち、一塁ベース上でベンチに向かって両手を突き上げると、田中賢は自分のことのように喜んだ。「まだまだあいつはできますね」と満面の笑みで盟友にエールを送った。
日米通算1507安打、NPB通算は1499安打「いつもちょっと足りない野球人生」
日米通算では1507安打を重ねたものの、日本通算では1500安打にあと1本届かない1499安打で終わった。20年間を振り返った田中賢は「いつもちょっと足りない野球人生。1499本だし、ヒットの数や打率も2番目だった」と苦笑いした。10年は193安打を放ち、打率.335の好成績を残したが、いずれも千葉ロッテの西岡に次ぐ2位の成績で打撃タイトルには届かなかった。
それは献身的なプレーでチームを支えてきた証でもある。犠打はもちろん巧みなバットコントールでつなぎ役に徹してきた。08~10年には862打席連続無併殺打をマークしたが、これは今でもパリーグ2位の記録だ。06~10年には620試合連続出場し、08年には全イニングに出場と体の強さも抜群だった。
自身の個人成績について問われると「あまり誇れる数字はないですね。悪くはないですけど、特別良くもないと思います」と笑った。「ただ自分がレギュラーで出ているシーズンはずっと優勝争いできたことはすごく誇りには思っています」。北海道移転後の5度のリーグ優勝と2度の日本一の全てにレギュラーとして関わった唯一の選手はそう言って胸を張った。
真っすぐに信念を貫く男だ。13年からの2年間は、夢だったアメリカで過ごした。メジャーリーグでの通算成績は15試合に出場して30打数8安打2打点。「あの2年間行かなきゃ良かったのにという人はたくさんいますし、日本で2000本を目指すという道もありました。でも苦しい道に行くことを自分で決断したので後悔はしていません。アメリカで失敗したことはこの先に人生に生きると思っています」と語る。
昨年12月に今季限りでの引退を発表して過ごしたラストイヤーはリーグ5位に終わった。黄金時代を支えた38歳は「強いファイターズを取り戻してほしい。それだけの力を持った選手がいるので、どうやったら勝てるのか感じてやってほしいですね」と後輩たちにエールを送った。
引退セレモニーでは「少しでも北海道、そしてファイターズの力になれるように、これからも北海道でみんなと一緒に生きています」とファンに力強く約束した。北海道移転後の一時代を築いた男は最後までファンを魅了して、背番号「3」のユニホームに別れを告げた。
(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)
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