東京時代を知る数少ない人物、本拠地移転に尽力
季節外れの光景だった。シーズン開幕前の札幌ドーム。23日東京ヤクルト戦の練習開始前、北海道日本ハムの常務取締役球団代表を退任した島田利正氏が、選手たちの手によって5回宙に舞った。
「怖かった。恨みを持っている人がいるとか、声が聞こえたから。落とすなよ、お前らって」。通訳として球団に入って39年。最初で最後の胴上げについて感想を求められると、そう言って毒づいたが、その顔は心底うれしそうだった。
球団内では東京時代を知る数少ない人物だ。東京で観客動員に苦戦し、チームも低迷していた頃、本拠地移転を声高に訴えた。「この球団はこれではダメ、こうしなきゃいけないという話を、当時の大社義規オーナーが拾ってくれた」と懐かしそうに振り返る。2002年に移転準備室に配属となり、チーム統括本部長、球団代表として、チーム新生ファイターズの礎を築いてきた。
選手に全力疾走と最後まで諦めない姿勢を求め、手を抜く選手がいれば、容赦なく叱った。トレードや戦力外を通告する立場でもあった。この日集まった選手たちには「この中にはきついことを言った選手もいる。皆さんのため、チームのためと思ってしたこと。勘弁してください」とあいさつした。
原点は通訳「通訳って、語学力じゃないよ」
選手への思いの原点は、通訳時代に遡る。どうしたら選手が活躍をできるかを最優先に考え、親身になって外国人選手の公私に渡る相談に乗った。今でも歴代の通訳たちには「通訳って、語学力じゃないよ」と最初に説くという。
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に選手会が不参加を表明した2012年には、NPBの国際関係委員長として、米国側との交渉役を務めた。「大変な時代でしたね。それはそれで楽しかったですけど。1つできたのは、侍ジャパンを立ち上げられたのかな」と振り返る。
NPBでの仕事については「本当に変えられなかったことが心残り」とも漏らした。それは競技人口減少という野球界が抱える難問への取り組みを指している。「アマチュアの皆さんは競技人口が減っていることを直に感じ、危機感が強かった。逆にプロは観客動員が増えていて、そのギャップがあった。もっと危機感を持たせられたんじゃないかな」。自戒を込めて口にした課題は、次の世代に引き継がれる。
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