2004年の日本シリーズでは埼玉西武の優勝投手 巨人、広島でも活躍した豊田清氏
現在、パ・リーグで最多の登板数を誇るのが埼玉西武のセットアッパー・平井克典投手。すでに50登板を超え、このままならば、1961年に西鉄・稲尾和久氏が記録した78試合のパ・リーグ記録を超えるのは時間の問題(セ・リーグは07年、阪神・久保田の90登板)。埼玉西武ファンの中では“平井投げすぎ問題”が起こるなど、登板過多を心配する声も多いが、ここまで起用される平井の魅力とは何か。元埼玉西武のクローザーで野球解説者の豊田清が解説する。
平井はどんなしんどい場面でもベンチの期待に応える投球を続けている。昨年まで巨人の1軍投手コーチを務めていた豊田氏は、このような起用法になっているのは、埼玉西武の攻撃のカラーも関係していると説明する。
「勝っていても、負けていても行ってくれる。すごく頼もしいというか、今のライオンズのスタイルは打って勝つ。1点くらい負けていても、平井投手がマウンドに上がって、点差が開かなければ、あの打線なら取り返せる。いろんなところで使える投手」
勝利の方程式と言われる救援陣は、ある程度のベンチ内の取り決めがある。しかし、この埼玉西武の強力打線なら、負けていても“まだひっくり返せる”という雰囲気がある。勝つために平井を投入するため、登板数は自然に増えている。
さらに技術の向上によって、登板機会が増えていると豊田氏は分析する。
「特に左打者の外に逃げていくフォークが有効になっているのかなと思います。昨年も今年も左打者への被打率が少ない。右のサイドハンドということで左打者からすると、ボールが見やすく、すごく打ちやすいのですが、左打者を苦にせず、フォークを投げられている。そのフォークを生かすために、インサイドの直球やカットボール、スライダーを使えているので、対左打者に使いづらいということもない」
フォークボールの精度が一段階、上がってきたため、より一層使い勝手のいい投手になったと説明する。
登板方の中で気を付けていくべきことは…「問題は体調面」
「サイドハンドで投げるタイプは、どちらかといえば走者がいる時に出て行ってほしい。最初は私も平井投手を、ゲッツーを取ってもらいたい時にゴロを打たせる投手かなと見ていたけど、フライを打たせるのもうまい」
どんな場面でも頼りたくなる投手に成長した。登板過多を防ぐには、首脳陣がどれだけ我慢できるかになりそうだが、平井自身、どのような点を気を付けていくべきか。02、03年と埼玉西武で最優秀救援投手となるなどブルペンを支えてきた豊田氏。平井のペースほどではないが、1年間、肩を作って準備をし続けた。
「打者を抑える、打たれるという部分は仕事なので、抑える工夫をしていくしかない。問題は体調面。僕も70試合とかは経験ないですが、大変だったのは夏場。食事量が落ちて、体重も減る。寝ることには一番、気を使いました。試合後は、神経が高ぶって眠れないし、寝付けないこともありました。頭の中が、動いている感じがして、寝ていたとしても、寝た気にならないですし、疲れも取れませんでした」
夜が明ければ、次の日、試合は来る。寝られる時間があれば、とにかく睡眠に時間を使ってほしいと願う。これからが本当の戦いになってくる。
最後に平井投手への期待を語ってもらった。
「これまで通り、しっかりとマウンドに立ってくれれば結果は出る。平井のような投手が順位を左右すると思っています。登板が多くて、大変だと思いますが、報われる時は、日本シリーズで結果出した時。そこまでやってほしいですね」
プロフィール
豊田清(とよだ・きよし)1971年2月2日、三重県亀山市出身。48歳。鈴鹿高、同朋大から92年埼玉西武にドラフト3位で入団。2000年まで先発、2001年からは抑えで活躍。02年、03年は最優秀救援投手。04年は日本シリーズで胴上げ投手となった。05年オフに巨人へFA移籍し、抑え、中継ぎで活躍。09年は46登板で防御率1.99を記録し、チームの日本一に大きく貢献。11年に広島に移籍し、現役引退。12年から昨年まで巨人のコーチとして多くの救援陣を指導し、1軍のマウンドに送り出した。プロ19年で通算66勝50敗157セーブ。今季からは文化放送ライオンズナイター、テレビ埼玉などで野球解説者。その他、野球教室や講演など、野球振興に携わる。
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