元鷹・摂津正氏が振り返る、後悔なきプロ人生 引退は「野球人生の寿命だった」

Full-Count

2019.7.29(月) 18:43

現役時代、福岡ソフトバンクで活躍した摂津正氏※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)
現役時代、福岡ソフトバンクで活躍した摂津正氏※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)

昨季限りで現役を引退したホークスの元エース、引退して「開放された」

 元福岡ソフトバンクの摂津正氏は昨季限りで現役を引退し、今年は野球解説者を務めるだけでなく、釣りのラジオ番組を受け持つなど、活躍の幅を広げている。現役時打は通算282試合登板(140先発)で79勝49敗1セーブ73ホールド、防御率2.98の好成績をマーク。しかし、2016年からは3年連続7試合登板に終わり、ユニホームを脱いだ。Full-Countのインタビューに応じた右腕は、引退については「野球人生の寿命だった」と後悔の気持ちは全くなかったことを明かし、現役生活で最も誇れるものとして「大きな怪我をしなかったこと」を挙げた。

 現役生活を終え、野球を外から見るようになった摂津氏。解説者としての役割を「やっぱり視聴者の皆さんにわかりやすく話さないといけない。何事もそうですけど。ラジオもそうです。いろんな幅の人が見たり聞いたりしてくれている。そういう人たちも理解しやすいように話さなきゃいけないなと感じます」と説明する。投手として“求道者”のイメージが強いが、解説者としては同業の投手だけでなく、試合全体の流れなどに面白さを感じているという。

「本当に専門的な細かいことまで言うときは言いますし、逆に分かりづらいプレーだったらわかりすく解説したほうがいいかなとか、そういうふうには思いますね。意外と守備位置とか、打順のめぐり合わせとか、この回だったらここに回ってきそうだなとか、そういうのは面白いですよね。(守備の)ポジションがこうなってる、とか。そこはすごく自分の感覚と行われているプレーと違うこともあるし、そういう作戦とかもあるんだなと感じますね」

 福岡ソフトバンクのエースとして活躍していたときは、対外的には寡黙なキャラクターを貫いた。ただ、引退後は笑顔が目立つ。「現役って自分のことを優先して、自分のことだけを基本的に突き詰めていくじゃないですか。今は自分は何もそういうことがないので、開放されたというか、そういうのが本当に強いです」。真摯に野球に向き合い、すべてを捧げてきたからこそ、プロ野球選手としてやり残したこと、現役生活への未練や悔いはなかった。

「意外ともっと悔いが残って、歯がゆい感じで終わるのかなと思ったんですけど…」

「別に適当に野球をやってたわけじゃないんですけどね。あまりそういうのがなくて。全然まだできたとも思わないですし、自分の中でも野球人生の寿命だなというのは思いましたよ。意外ともっと悔いが残って、歯がゆい感じで終わるのかなと思ったんですけど、全くそういうのがないし、逆に新しいことができるので、楽しさというか、ワクワクするというか。また一からスタートするという方が面白いかなと感じますね。

 自分のやり方は貫き通したというか、納得できて辞められたかなと思いますね。やっぱりもやもやした感じではないので。そこが第一の目安というか。あとは身体もしんどかったので。動けない状態でしたし。夏場とかは、朝起きて歩くのもきつい感じでしたし、自分の中で限界も感じてました」

 昨年、福岡ソフトバンクから翌年以降の契約を結ばない旨を告げられた摂津氏は、現役続行の意思を示してフェニックスリーグにも参加。結局、他球団からのオファーは届かずに引退した。ただ、実はもっと前に気持ちの整理はついていたという。

「自分の中ではやっぱりファームに落ちたときですかね。『もう無理だ。辞めよう』と思いましたね。色々考えて、家族もそうですし、周りの人間と喋って、続けることも難しいんだよって言われて、ちょっと考えて『どこか(オファーが)あればやります』という話はしましたけど」

 摂津氏は昨年7月29日に登録を抹消され、その後は1軍に上がることはなかった。この段階で「気持ちは折れていた」と振り返る。だからこそ、実際にオファーが届いて、今年もユニホームを着ていたとしても、活躍は難しかったと考えている。

「その時点で自分の気持が折れてるから、成績は出せなかったと思います。だから、もしかしたら(オファーは)なくてよかったかなと思います」

現役生活で「貫き通せた」こと、最も誇りに思うことは…

 入団1年目の2009年、2年目の2010年に最優秀中継ぎ投手に輝いた摂津氏。翌2011年からは先発に転向し、2012年には17勝5敗、防御率1.91の好成績で沢村賞にも輝いた。ホールドポイント数が最も多い選手が表彰される最優秀中継ぎ投手が制定されたのは1996年だが、この2つのタイトル、表彰を両方受けたのは、現在までに摂津氏のみだ。

 ただ、本人は「そう言ってもらうとありがたいですね。でも、自分の中ではそういうのってないんですよね。無頓着というか、そういうのは後からついてくるとずっと思ってましたし。なので、辞めてそういうふうに言われると嬉しいですよね」と笑う。むしろ、現役生活で最も誇りに思うこととして真っ先に口から出てきたのは、「大きな怪我をしなかったこと」だ。

「小さい怪我とかはありましたけど『もう全然できません』というのはなかったので。ヘルニアにもなりましたし、色んなことはあったんですけど、それを無理したわけじゃないですけど、自分の中では動けるうちはケガじゃないと思っていたので。(体の状態を)維持するには自分で体調管理もしなきゃいけないですし、個人的に身体のケアも病院とかで見てもらったこともありますし、すごく気を使っていました。そういう部分ではそこを貫き通せたのがいいのかなと」

 誰よりも体のケアに気を使い、プロとしてコンディション管理を行ってきた。それでも、晩年は「歩くのもきつい」状態になるほど体は悲鳴を上げていた。そこまでやりきったからこそ、1つの悔いもなく現役生活に別れを告げられた。そして、今は解説者の仕事に加えて趣味の釣りやゴルフを精力的にこなすなど、次の道に進むことができている。

 球史に名前を刻んだ摂津氏。“求道者”の第二の人生での活躍にも注目が集まる。

(Full-Count編集部)

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