特定のポジションに固定されずとも、レギュラーとして出場を続けるという概念
「スーパーユーティリティ」という言葉をご存知だろうか。特定のポジションに固定されず、複数のポジションをこなしながらレギュラーとして出場する選手のことを指す言葉で、現在のMLBにはベン・ゾブリスト選手(カブス)、マーウィン・ゴンザレス選手(ツインズ)、クリス・テイラー選手やエンリケ・ヘルナンデス選手(共にドジャース)といった、内外野を兼務しながら打撃でもチームに貢献する選手が少なからず存在している。
NPBにおいてこういった役割を担った選手は決して多くなかったが、今シーズンは千葉ロッテの鈴木大地選手が複数のポジションで躍動を見せている。鈴木選手は2016年までは遊撃手、2017年は二塁手、2018年は三塁手とポジションを移りながら定位置を確保し、2013年からの6シーズンで欠場したのは1試合のみと主力として不動の地位を築いていた。
しかし、2018年オフにブランドン・レアード選手が加入したことで状況は大きく変化することに。本塁打王獲得経験もある大砲の加入で三塁争いは一気に熾烈となった上、内野の残り3つのポジションも既に埋まっている状況だった。鈴木選手もオープン戦で打率.310を記録してアピールしたが、開幕スタメンの座を勝ち取ったのはレアード選手。この試合でライバルが決勝の逆転3ランを放ってヒーローになった一方で、鈴木選手には最後まで出場機会が訪れなかった。
しかし、鈴木選手はこの苦境にもめげることなく、複数ポジションに対応するための準備と鍛錬を重ねた。すると、開幕から「4番・一塁」として起用されていた井上晴哉選手が極度の不振に陥ったことで、新たに一塁手として出場する機会が増加。その後は中村奨吾選手の負傷に伴い二塁手を務めたり、井上選手の復調と角中勝也選手の離脱を受けて交流戦からは左翼手としても出場したりと、必要に応じてチームの穴を埋める活躍を披露している。
今季は一塁、二塁、三塁、遊撃、外野の全てで守備機会を記録し、6月18日の広島戦では慣れない左翼の守備でホームラン性の打球を好捕。打撃面でも本塁打は既に自己最多の数字を記録しており、他の部門でもキャリアハイを更新する勢い。まさに「スーパーユーティリティ」と呼ぶに相応しい活躍を続けている。
数こそ多くはないものの、過去には今季の鈴木選手のように複数のポジションをこなしながら、シーズンを通して主力として活躍した選手がNPBにも存在してきた。そこで、今回は5年以上前に同一シーズン中に内外野にまたがって複数ポジションを兼任しながら活躍した、懐かしの選手たちを紹介していきたい。
真弓明信氏(元太平洋・クラウン・阪神)
真弓氏は内野手として、1972年のドラフト3位で太平洋クラブライオンズ(現・埼玉西武)に入団。1977年から2年連続で116試合以上に出場するなどライオンズの主力に定着しつつあったが、1978年オフに「世紀のトレード」の一つとされる大型トレードによって阪神に移籍。新天地でも打力に優れた遊撃手として4シーズンにわたって躍動を続けていたが、移籍5年目の1983年に見せた大活躍はまさに出色と言えるものだった。
この年は遊撃手のレギュラーとして開幕を迎えたが、時には右翼や中堅、一塁での先発出場も経験。後半戦に入ってからは二塁手としての出場が大半となる目まぐるしいシーズンだったが、守備位置の変遷が打撃に影響することはなく、打率.353、23本塁打、77打点と素晴らしい打撃成績を残して、自身唯一の打撃タイトルとなる首位打者にも輝いている。
翌年はほぼ二塁手に固定されていたが、1985年に右翼手へとコンバート。ほぼ年間を通じて「1番・ライト」として出場し、打率.322、34本塁打、84打点と猛打を振るった。クリーンアップに匹敵する長打力を持つ「恐怖の一番打者」としてチームの日本一にも大きく貢献し、ランディ・バース氏、掛布雅之氏、岡田彰布氏らと共に、リーグ屈指の強打者として一時代を築いた。
五十嵐章人氏(元千葉ロッテ・オリックス・近鉄)
1990年にロッテオリオンズ(現・千葉ロッテ)でプロのキャリアをスタートさせた五十嵐氏は、球史に残るユーティリティプレーヤーとも形容できる存在だ。プロ入り1年目の1991年は外野手として先発出場を重ねたが、97試合で打率.281と活躍した1994年には二遊間でのスタメン起用が大半に。1995年には内野の全ポジションで先発出場を経験して101試合に出場し、本職がいなくなる緊急事態を受けて捕手を務めた試合もあった。
1996年には一塁、遊撃、左翼、右翼と内外野の4ポジションでスタメン出場し、キャリア最多の114試合に出場して打率.271と奮闘した。1998年にオリックスに移籍してからもその万能性は変わらず、同年には一塁、二塁、三塁、左翼、右翼の5つの守備位置で先発出場。2000年には捕手と中堅手以外の6ポジションで先発出場を果たしただけでなく、大差で負けていた試合で投手としても登板。1イニングを無失点に抑え、NPB史上2人目となる全ポジション出場という偉業を成し遂げた。
類まれなユーティリティ性を誇った五十嵐氏は、全ポジション出場に加えてもう一つの快挙も記録している。近鉄時代の2002年に「8番・セカンド」として起用された試合で本塁打を放ち、全打順での本塁打を達成。シーズン最多が4本、通算26本塁打で達成という数字は、いずれも達成者11人の中で最少の数字。どのポジションにも対応できる生粋の職人は、ここ一番での勝負強さも兼ね備えた稀有な存在でもあった。
森野将彦氏(元中日)
森野氏は2010年に3番打者として22本塁打、84打点、打率.327、OPS.936と大活躍してリーグ優勝に貢献するなど、主力打者として2000年代中盤から2010年代初頭にかけての中日黄金期を支える存在だった。安定感と長打力を兼ね備えた打撃もさることながら、状況に応じて様々なポジションに対応する高いユーティリティ性でもチームに貢献していた。
1997年のプロ入り時は遊撃手だったが、2006年には主に三塁手を務めてリーグ優勝に貢献。2007年は左翼手のレギュラーとして開幕を迎えたものの、5月下旬からは二塁手や三塁手としてのスタメン出場が増えていく。福留孝介選手の離脱後は右翼手としての出場も増加し、時には中堅を守る試合も。打撃でも主に5番打者として打率.294、18本塁打、97打点と勝負強さを見せ、攻守に存在感を発揮してチームの日本一にも貢献を果たした。
翌2008年は主に中堅手としてスタメン出場しながら、試合終盤は守備固めとして三塁に移るケースも多く、引き続きマルチな才能を発揮していた。2009年からは三塁手に専念していたが、2013年には一塁手や二塁手としての先発機会が増加し、久々にマルチな才能を発揮していた。通算1581安打を放った打撃もさることながら、現役生活を通じてバッテリーを除く7つのポジションを経験した守備面での活躍も特筆ものだった。
木村拓也氏(元日本ハム・広島・巨人)
捕手としてドラフト外で日本ハム(現・北海道日本ハム)に入団し、1994年オフにトレードで広島に移籍した木村氏は、出場機会を求めて内外野の守備に挑戦したことで徐々に出番を増やしていく。代打・代走・守備固めの全てをこなせるスーパーサブとして一軍に定着し、投手を除くすべてのポジションを守れるユーティリティプレーヤーとして、チームに欠かせない存在へと成長していった。
2000年にはチーム状況に応じて二塁手と中堅手を守りながら主にトップバッターを務め、全136試合に出場。最多安打まであと3本に迫る165安打を放ち、打率.288、10本塁打、30打点、17盗塁という数字を残し、切り込み隊長として活躍した。2002年には二塁、三塁、遊撃、中堅、右翼の5ポジションで先発しながらレギュラーを守っており、2003年まで4年続けて130試合以上に出場して規定打席にも到達。まさに「スーパーユーティリティ」のお手本と呼べる大活躍を見せていた。
2006年途中の巨人移籍後は30代後半という年齢面もあってか、スタメンを与えられる時は経験が豊富なセカンドとしての出場が大半に。しかし、2008年には一塁、二塁、三塁、外野でそれぞれ守備機会を記録するなど、有事には複数のポジションをこなせる万能性はベテランの域に入っても衰えず。現役最終年となった2009年、延長12回の試合で急造捕手として出場し、1イニングを無失点に抑えた場面は今なお語り草となっている。
リック・ショート氏(元千葉ロッテ・楽天)
2003年に千葉ロッテに入団したショート氏は、三塁と左翼を兼任しながら127試合に出場し、打率.303、12本塁打、58打点と来日1年目から活躍を見せる。しかし、ボビー・バレンタイン監督の復帰に伴い助っ人の顔ぶれが大きく入れ替わったこともあり、在籍はこの1年限りに。その後は米国でプレーを続けていたが、2006年に楽天に入団してNPBに復帰。新天地では登録名を「リック」に改め、再びその巧打とユーティリティ性を発揮していく。
3年ぶりの日本球界挑戦となった2006年は一塁、二塁、三塁、左翼と4つのポジションをこなしながら、打率.314と安定した打撃を披露。球団創設直後の極めて選手層が薄かったチームを、マルチな働きで懸命に支えた。翌2007年も一塁、三塁、左翼の3ポジションで115試合に出場し、打率.330とさらに成績を上げて首位打者争いを演じた。左翼手としての出場が大半となった2008年は134試合で打率.332と前年同様の快打を見せ、球団史上初となる首位打者のタイトルにも輝いた。
多くの打順に対応して安打を量産した打撃のみならず、決して名手とは言えなかったものの、チーム状況に応じて様々なポジションを務めた守備でもチームに貢献。厳しい戦いが続いた球団の黎明期を主力として支えた、まさに優良助っ人といえる存在だった。ちなみに、内外野問わず複数のポジションを務めてきたショート氏だったが、その名前に反してNPBで遊撃手(ショート)を守ったことは1度もなかった。
草野大輔氏(元楽天)
草野氏は社会人野球時代には日本代表としても活躍するなどアマチュア屈指の好打者として鳴らし、2005年のドラフトで楽天から指名を受けてプロ入り。29歳と遅いプロ入りながら、攻守の両面で器用さを発揮。プロ2年目の2007年には二塁、三塁、遊撃の3ポジションで先発出場を経験し、規定打席未満ながら119試合で打率.320の好成績をマーク。31歳にして主力の座に定着すると、その後も社会人野球での実績が伊達ではなかったことを証明していく。
2009年には二塁、三塁、左翼、右翼と内外野の4ポジションで先発出場し、122試合に出場して自身初となる規定打席にも到達。打率.305、7本塁打、54打点と活躍し、創設以来初となるチームのAクラス入りにも大きく貢献した。2007年から2010年まで4年連続で110試合以上に出場し、先述のリック・ショート氏と同様に、発足後間もない時期のチームを主力野手として支えた。
2011年のシーズンも一塁、三塁、左翼の3ポジションで先発して計92試合に出場するなど、34歳となっても変わらぬユーティリティ性を発揮し、現役生活を通じて捕手と中堅手を除く野手の6ポジションで先発出場を経験。30歳を目前にしてのプロ入りということもあり実働期間は7年間にとどまったが、その天性の打撃センスと多くのポジションに対応する汎用性は、選手層の薄い当時のチームにとっては欠かせないものだった。
鈴木大地選手以外にも、「スーパーユーティリティ」となりうる選手たちが……
昨年までの貢献度の高さに加えて、開幕時に一旦は定位置を失いながらも献身的な姿勢で再び主力の座へと這い上がったというストーリー性もあり、今季の鈴木大地選手は多くのファンからこれまで以上に熱い声援を受けている。このまま活躍を続けて自身初の打率3割やキャリアハイの成績を達成できるかに注目が集まるところだが、パ・リーグには鈴木選手以外にも、チーム状況によっては「スーパーユーティリティ」となれるだけのポテンシャルを秘めた選手たちが存在している。
昨年でいえば、外崎修汰選手(埼玉西武)や大城滉二選手(オリックス)、ジュリスベル・グラシアル選手(福岡ソフトバンク)といった面々が、内外野の複数ポジションをこなしながら主力として出場を続けた実績を持っている。鈴木選手も含め、高い打撃力と守備面での万能性の双方でチームに大きく貢献する好選手たちの存在は、チームにとっても不測の事態を解決するための助けとなりうる、非常に重要なものとなっているはずだ。
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