2018年、北海道日本ハムのAクラス入りは100パーセント?

パ・リーグ インサイト

2018.3.5(月) 17:51

北海道日本ハムファイターズ・渡邉諒選手(C)パーソル パ・リーグTV
北海道日本ハムファイターズ・渡邉諒選手(C)パーソル パ・リーグTV

10年ぶりの日本一から一転、昨年はリーグ5位に終わった北海道日本ハム。今オフは投手と野手の二刀流・大谷翔平選手がエンゼルスへ移籍し、正捕手だった大野奨太選手が中日、抑えの増井浩俊投手がオリックス、さらにセットアッパーのマーティン投手もメジャーの舞台に挑戦するなど、主力選手の移籍が相次いだ。

主力選手の多くが移籍し心配な部分もあるが、その不安をかき消すようなデータがある。それは北海道日本ハムが北海道に移転後、2年連続でBクラスを経験していないことだ。

札幌ドーム移転後の北海道日本ハムの成績

2004年 3位 66勝65敗2分
2005年 5位 62勝71敗3分
2006年 1位 82勝54敗0分
2007年 1位 79勝60敗5分
2008年 3位 73勝69敗2分
2009年 1位 82勝60敗2分
2010年 4位 74勝67敗3分
2011年 2位 72勝65敗7分
2012年 1位 74勝59敗11分 
2013年 6位 64勝78敗2分
2014年 3位 73勝68敗3分
2015年 2位 79勝62敗2分
2016年 1位 87勝53敗3分
2017年 5位 60勝83敗0分

2005年は北海道に移転後、初めてBクラスとなる5位に終わるも、翌2006年はリーグ優勝、日本一。2010年も4位だったが、翌2011年は2位。2013年は最下位に終わるも、2014年は3位だった。

Aクラスに返り咲いた年の共通点とは?

Bクラスに終わった翌年の2006年、2011年、2014年の北海道日本ハムをみると、若手野手が一本立ちしたケースが多い。

2006年でいえば森本稀哲選手、田中賢介選手が当てはまる。この2人は同年の開幕戦のスターティングメンバーに名を連ねておらず、少ないチャンスをモノにし、レギュラーの座をつかみ取った。

6月頃からは森本選手、田中賢選手の1、2番コンビが形成され、森本選手は打率.285をマークし、田中賢選手はリーグ最多の34犠打を記録。ちなみに森本選手、田中賢選手ともに初めて規定打席に到達した。

2011年は陽岱鋼選手と中田翔選手がそうだ。前年の2010年に109試合に出場し一軍に定着した陽選手は、11年は開幕から右翼で出場。1番や2番といった打順を任され、クリーンアップにつなぐ役割を果たした陽選手は、プロ入り後初めて規定打席に到達し打率.274をマーク。2番打者としてチームトップの38犠打を記録した。

前年にプロ初本塁打を含む9本塁打を記録した中田選手も、2011年は開幕から左翼のレギュラーとして出場。開幕から19打席無安打と苦しんだが、その後は調子を取り戻し18本塁打、91打点の成績を残すなど、大きく飛躍を遂げたシーズンとなった。

絶大な人気を誇る2人もBクラス脱出に貢献した。では今年は…?

そして、2014年は西川遥輝選手と中島卓也選手の2人。2013年に一軍で85試合に出場し22盗塁を記録した西川選手は翌2014年、一塁、二塁、外野とポジションが固定されなかったが143試合に出場。持ち前の俊足を生かしてリーグトップの43盗塁をマークし、盗塁王に輝いた。

中島卓選手は2012年から2年連続で100試合以上に出場するも、そのほとんどが代走、守備固めだった。2014年は春先からスタメンで出場し、8月以降は2番打者に定着。西川選手とともに、自身初となる規定打席に到達した。

このジンクスを継続させるためにも、若手野手の成長がカギを握る。今の北海道日本ハムにはドラフト1位で入団した清宮幸太郎選手をはじめ、横尾俊建選手、石井一成選手、森山恵佑選手など期待の若手が多い。

この中からレギュラーをつかむ選手が何人も現れれば、Bクラスの翌年はAクラス100パーセントの記録は継続できそうだ。

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