指名打者制度の有無が、記録達成の難易度にも大きく影響?
4月20日、楽天の島内宏明選手が史上11人目の全打順本塁打を達成した。達成人数を見てもわかるとおり、この記録は70年以上の歴史を誇るNPBにおいてもかなり希少な部類に入るものだ。
そして、この記録を達成した選手たちの経歴を確認してみると、興味深い事実が見えてきた。11人全員がパ・リーグ球団への在籍歴があり、福岡ソフトバンクへの移籍前に記録を達成した吉村裕基選手を除く全員がパ・リーグ球団在籍時に記録を達成しているのだ。
ここまでの偏りがある背景としては、やはりパ・リーグが指名打者制度を採用していることが影響していると考えるのが自然だろう。稀に「8番・投手」という打順を採用したチームこそあるが、指名打者制度のないセ・リーグでは9番に投手以外の選手が入ることは少ない。そのため、セ・リーグのチームに所属している選手は、交流戦におけるビジターゲーム等の限られた機会でしか「9番での本塁打」を達成するチャンスがないのが現状だ。
そして、達成者の顔ぶれを見ていくと、それ以外にもさまざまな傾向が見えてきた。そこで、今回は全打順本塁打を達成した11人の選手たちの通算成績と球歴を振り返り、この記録を達成するためには何が必要となってくるのかについて考察していきたい。
記録達成者は長きにわたって球界で活躍した実力者ばかり
古屋英夫氏(日本ハム→阪神)
通算成績:実働15年 1521試合 1406安打 180本塁打 686打点 122盗塁 打率.273
日本ハム(現・北海道日本ハム)で三塁手のレギュラーを務めた古屋氏は、勝負強い打撃と4度のゴールデングラブ賞に輝いた守備力を武器に、13年間にわたって活躍を続けた。1981年のリーグ優勝にも主力として貢献し、その年から4年連続で全試合出場も達成。1985年には33本塁打、96打点、打率.300の活躍で、最多勝利打点のタイトルも獲得した。高い打撃力に加えて通算122盗塁を記録した俊足も兼ね備え、「ボンバー」の愛称で親しまれた名選手だった。
松永浩美氏(阪急・オリックス→阪神→ダイエー)
通算成績:実働17年 1816試合 1904安打 203本塁打 855打点 239盗塁 打率.293
松永氏は1985年に38盗塁で盗塁王に輝いた俊足、通算7度の打率.300超えに加えて僅差で首位打者を逃すシーズンが2度もあった高い打撃技術、左右両打席本塁打を6度記録し、10年連続2桁本塁打を放った長打力といった要素を兼ね備えた万能選手だった。わずか4人しか達成していない2度のサイクル安打という偉業も成し遂げ、守備でも三塁手として4度のゴールデングラブ賞を獲得。走攻守の全てに優れた存在として一時代を築き、NPB史上屈指のスイッチヒッターとして躍動した。
田中幸雄氏(日本ハム・北海道日本ハム)
通算成績:実働22年 2238試合 2012安打 287本塁打 1026打点 40盗塁 打率.262
田中氏は通算13度の二桁本塁打を記録し1995年には打点王も受賞した打撃と、5度のゴールデングラブ賞に輝いた守備を武器に、リーグを代表する大型遊撃手として活躍した。多くのケガを乗り越え、苦戦の続いた東京時代のチームを大黒柱として支えた田中氏は、いつしか「ミスターファイターズ」と呼ばれる存在に。チームの顔として9度のオールスター出場を果たし、通算2000本安打と通算1000打点も共に達成。ファイターズ一筋、22年間の現役生活を全うした。
堀幸一氏(ロッテ・千葉ロッテ)
通算成績:実働21年 2064試合 1827安打 183本塁打 810打点 133盗塁 打率.269
堀氏はプロ3年目の1991年に初めて規定打席へ到達すると、そこから15年以上にわたって主力として活躍。メインの二塁以外にもチーム事情に応じて複数のポジションをこなし、1995年にはイチロー氏に次ぐリーグ2位の打率を記録した。芸術的な流し打ちはベテランの域に入っても健在で、2005年には自身3度目の打率.300超えを記録してリーグ優勝と日本一にも貢献した。21年間の現役生活をロッテ一筋で過ごし、東京時代を知る「最後のオリオンズ戦士」として長きにわたってチームを支え続けた。
小川博文氏(オリックス→横浜)
通算成績:実働15年 1720試合 1406安打 100本塁打 597打点 64盗塁 打率.266
小川氏はルーキーイヤーの1989年に早くも遊撃手の定位置を掴むと、そこから12年間にわたって内野のレギュラーとして活躍した。1994年には打率.303の好成績を残し、続く1995年からのリーグ2連覇、1996年の日本一にも主力として貢献。通算168犠打、54犠飛と小技もそつなくこなし、打線の潤滑油として機能した。決して派手な役回りではないながらもチームに欠かせない存在であったことは、オリックスが小川氏が入団した1989年から11年連続でAクラス入りを果たしているという事実からもうかがえよう。
五十嵐章人氏(ロッテ・千葉ロッテ→オリックス→近鉄)
通算成績:実働13年 870試合 422安打 26本塁打 171打点 5盗塁 打率.234
打撃成績こそ目立つものではなかったが、五十嵐氏は球史に残るユーティリティプレーヤーとして2つの希少な記録を達成した存在だ。内外野の7ポジションに柔軟に適応してチームの穴を埋め、1995年には退場で捕手が不在となったことを受けてマスクを被ったことも。そして、2000年にはなんと投手としてもマウンドを踏んだことにより、史上2人目の全ポジション出場を達成。「全打順本塁打」と「全ポジション出場」の両方を成し遂げたのは、長い日本プロ野球の歴史においても五十嵐氏ただ1人だけだ。
井口資仁氏(ダイエー→米大リーグ→千葉ロッテ)
通算成績:実働17年 1915試合 1760安打 251本塁打 1017打点 176盗塁 打率.270
井口氏は広い福岡ドーム(当時)を本拠地としながら年間30本塁打を放った長打力、2度の盗塁王に輝いた俊足、二塁手として3度のゴールデングラブ賞を受賞した守備と、走攻守の全てを高いレベルで備えたリーグを代表する名二塁手として活躍。2003年には打率.340、27本塁打109打点という素晴らしい成績を残し、米球界に挑戦した2005年にはホワイトソックスの一員として世界一にも輝いた。帰国後に加入した千葉ロッテでも精神的支柱として2010年の日本一に貢献し、現在は同チームの監督を務めている。
吉村裕基選手(横浜・横浜DeNA→福岡ソフトバンク)
通算成績:実働14年 968試合 759安打 131本塁打 419打点 35盗塁 打率.253
吉村選手はプロ4年目の2006年に打率.311、26本塁打、66打点の好成績を残してブレイクし、そこから3年連続で24本塁打以上を放つ活躍で若き主砲として存在感を示した。しかし、2010年以降は深刻な不振に陥って主力の座から外れてしまい、2012年オフにトレードで地元球団でもある福岡ソフトバンクへ移籍。2014年には64試合で打率.296、5本塁打、29打点と、かつての快打を思い起こさせる活躍を見せて故障者の穴を柔軟に埋め、リーグ優勝と日本一にも貢献している。
後藤光尊氏(オリックス→楽天)
通算成績:実働15年 1361試合 1265安打 95本塁打 476打点 83盗塁 打率.269
後藤氏は2001年のドラフト10巡目での入団と決して前評判の高い存在ではなかったが、プロの舞台でその実力を発揮し、攻守に華のあるプレーを見せてチームの主力へと成長していく。球団合併後も熾烈な二遊間の争いを勝ち抜いて出場機会を確保して、2010年には主に3番として自身初の全試合出場を達成し、打率.295、16本塁打、73打点と活躍を見せる。続く2011年には統一球導入の影響で球界全体の打撃成績が下降する中でリーグ3位の打率.312を記録する活躍を見せるなど、12年間にわたってオリックスの力となり続けた。
浅村栄斗選手(埼玉西武→楽天)
通算成績:実働9年 1113試合 1178安打 147本塁打 645打点 68盗塁 打率.287(2018年終了時点)
浅村選手はプロ3年目の2011年に台頭を見せて早くも規定打席に到達すると、2013年には4番として打率.317、27本塁打、110打点を記録して打点王を受賞。その後もレギュラーとして活躍を続け、2016年から3年連続で全試合に出場して不動の地位を築く。2018年には打率.310、32本塁打、127打点の大活躍で2度目の打点王に輝き、埼玉西武のリーグ優勝にも大きく貢献。オフにはFA権を行使して楽天に移籍し、新天地でも「3番・セカンド」として存在感を放っている。
島内宏明選手(楽天)
通算成績:実働8年 589試合 525安打 44本塁打 220打点 42盗塁 打率.274(2018年終了時点)
島内選手はプロ2年目の2013年に97試合で打率.284という数字を残し、下位打線から上位につなぐ役回りとしてチームのリーグ優勝にも貢献。この年の終盤に負ったケガの影響もあってか、そこから2年間は不振に陥ったが、2016年に114試合で打率.287と復活。2017年からは2年連続で規定打席に到達して2桁本塁打を記録し、完全に主力の座へと定着。今季は開幕から4番を任され、チームの軸のひとりとして奮闘を続けている。
本塁打が絡む記録ながら、達成に必要なのは長打力だけではなく……
以上の顔ぶれから傾向としてうかがえるのが、通算5盗塁の五十嵐氏を除いたすべての選手が一定の脚力を備えているという点だ。この中では盗塁数の少ない吉村選手も2009年に13盗塁を記録した俊足を備え、田中氏も動きの激しい遊撃手として長年活躍してきた実績を持つ。1番や2番として起用される選手には走力が求められるケースが多いことを考えれば、足の速さは全打順本塁打を達成するために必要な資質のひとつと言えそうだ。
また、本塁打が絡む記録なだけに当然の話ではあるが、今回取り上げた11人中8人が通算100本塁打以上を記録した強打者である。3番目に少ない本塁打数の後藤氏も95本塁打とそのボーダーに近い数字であり、五十嵐氏(26本)と島内選手(昨季終了時点で44本)はこの中では異質な存在と言えそうだ。
一方で、通算打率.234の五十嵐氏を除いた10人は打率.250台以上の通算打率を記録しており、通算1000本安打以上の選手が8人、通算1400本安打以上が6人と、本塁打の記録にもかかわらず「振り回すだけ」の選手は皆無といっていい。ここにはやはり、確実性の低い打者には上位打線を任せづらいという首脳陣の心理が働いていると考えるのが自然だろうか。
そして、現役の島内選手と浅村選手を除くすべての選手が、実働13年以上と息の長い現役生活を送っていることも注目すべき点だ。若手時代、全盛期、キャリアの終盤と、自身のチーム内での立場が変わるにつれて、任される役割もまた変わってくるもの。絶不調でもない限りはチームの主力が8番や9番を打つことは現実的ではないだけに、役割に伴い打順も変遷を重ねていくのが自然だ。達成者の中にキャリアの長い選手が多い理由は、そういったところにもあるのではないだろうか。
特定の傾向が見えるのは打撃面に限った話ではなく、守備力に優れた選手が多いということも一つの特徴と言えそうだ。守備が良ければ打撃不振に目をつぶって下位で先発起用されたり、若手時代にスタメンに抜擢されるチャンスが増えることにもつながる。そのため、下位打線でホームランを記録するためには、長い現役生活を送ることと同様に、守備能力の高さも大きな要素となっているのかもしれない。
達成者にチームの主力を務めた選手が多いのも、総合力の高さが不可欠な証左か
以上の要素を総合すると、長打力はもちろんのこと、俊足、確実性、守備力、継続性といった、プロ野球選手にとって重要な才能を数多く兼ね備えていないと「全打順本塁打」の達成は難しいと結論できそうだ。達成者のほとんどがチームの主力として活躍した好選手であるという事実も、そのハードルの高さを示す証左かもしれない。
走攻守の全てを備えた選手は現在の球界にも多く存在するが、彼らの中から史上12人目の全打順本塁打を達成する選手は生まれるだろうか。令和の時代に入ってから初めてこの記録を達成する選手は、いったい誰になるのか。チームを長年支えた証ともいえる、全打順本塁打という“隠れた偉業”に、あらためて注目してみてはいかがだろうか。
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