唯一無二の変則右腕の前途を祝して。多田野数人氏が札幌ドームで引退セレモニー

パ・リーグ インサイト 望月遼太

2018.3.2(金) 20:22

3月1日、札幌ドーム。北海道日本ハムとLamigoの国際交流試合の開始前に、元・北海道日本ハムの多田野数人氏のNPB引退セレモニーが催された。

その野球人生は、まさに波乱万丈そのものだった

八千代松陰高校でエースとして活躍し、決して強豪ではなかった同校を甲子園まで導いた多田野氏は、進学した立教大学でも出色の投球を見せる。早稲田大学の和田投手(現・福岡ソフトバンク)とよきライバル関係を築き、「右の多田野」「左の和田」と並び称された。

大学卒業後は米球界への挑戦を選択し、2004年にインディアンスからメジャーに昇格して初勝利も飾っている。しかしその後はMLBにおいては満足のいく出場機会を得られず。2007年ドラフトで北海道日本ハムから1位指名を受け、日本球界入りを果たすことになる。

“逆輸入右腕”として注目を集めた北海道日本ハム時代

多田野氏は、NPB1年目の2008年に19試合7勝7敗、防御率4.78という成績を残すと、翌年の7月10日の千葉ロッテ戦では、9回2死まで相手打線を無安打に抑える快投を披露。結果的にこの年は5勝を記録し、チームのリーグ優勝にも貢献している。

2012年には先発ローテーションの一角に食い込み、2度目のリーグ優勝を経験。巨人との日本シリーズでは史上初となる危険球退場処分を受けてしまったものの、キャリアハイと呼べるシーズンを過ごした。

2014年に自由契約となり、BCリーグの石川ミリオンスターズで投手兼任コーチに就任。昨年末に現役引退を表明し、古巣・北海道日本ハムのチーム統轄本部プロスカウトへと転身することが発表されていた。

多田野氏のNPB通算成績は、80試合18勝20敗2ホールド、防御率4.43。これは、プロ野球選手として大成功を収めたと言える数字ではないかもしれない。

それでも、ギクシャクした独特のフォームから繰り出す切れ味鋭いスライダーやフォークに加え、「イーファスピッチ」とも呼ばれる超スローボールを投じる変幻自在のスタイルで、大いに球場を沸かせてくれた多田野氏。

北海道日本ハム時代のファンフェスティバルでも、的当てゲームでイーファスピッチを披露し、記録を認めるか否かを賭けたじゃんけんに勝利すると「正義は勝つ」と発言して周囲の笑いを誘うなど、チームに溶け込み多くのファンから人気を博した。

エンターテイナーでもあった右腕。最後はやはり…

そして、3月1日に催された引退式。「アメリカで5年、ファイターズで7年、石川で3年の15年プレーしてきましたが、北海道のファンの声援が一番強く印象に残っています」と、懐かしいユニホーム姿でスピーチした多田野投手は、ラストピッチとして4年ぶりに札幌ドームのマウンドへ。

鶴岡慎也選手のミットめがけて投じたのは、もちろん代名詞の超スローボールだった。

これからは日米で培ってきた経験を糧に、スコアラーやスカウトとして活動するという。独特のフォームや超遅球を生み出した創意工夫と独創性は、セカンドキャリアにおいてもきっと生かされるはず。新たな人生の第一歩を踏み出した多田野氏の活躍を祈念している。

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パ・リーグ インサイト 望月遼太

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