福岡ソフトバンクの古谷優人投手が、「胸郭出口症候群」と診断された。北海道の江陵高校出身の18歳。最速154キロを誇る道産子左腕として注目され、2016年のドラフトで福岡ソフトバンクから2位指名を受けると「球団を代表する選手になる」ことを目標に、2017年は充実したルーキーイヤーを送っていた。
三軍で15試合6勝2敗、防御率1.67という好成績を残し、登板機会こそなかったものの、シーズン最終戦だった10月8日には一軍昇格を果たす。その後ポストシーズンを見据えた紅白戦が行われると、チームの主力打者6人から3三振を奪う快投で2イニングスを完璧に抑え、高卒ルーキーながら来季以降の大きな飛躍を予感させた。
しかし、11月、思わぬ事態が古谷投手を襲う。高校時代から感じていた左手の痺れが強くなって精密検査を受けた結果、血行障害の一種である「胸郭出口症候群」と診断されたのだ。指先まで血が通っておらず、手術に踏み切れば全治3カ月を要する。手術を受けたとしても、完治する保証はない。結果的に投薬治療を選択したが、大きな不安を抱えたまま2年目以降のシーズンに臨むことになってしまった。
難しい状況に置かれることになった古谷投手だが、北海道の寒さを乗り越えてきた左腕には、逆境を跳ね除け、プロとして生き抜いてきたある投手との意外な縁があった。その姓が示す通り、千葉ロッテで活躍した古谷拓哉氏は古谷投手にとって親戚にあたる存在。奇しくも古谷投手がプロ入りした昨年のオフに、入れ替わりで拓哉氏はユニホームを脱いでいる。
速球が武器の優人投手に対して、投球術と間合いを武器に36歳まで現役を続けた拓哉氏。打撃投手への転向を通告されていた2010年、中継ぎとしてチームの日本一に貢献し、2013年には先発として再ブレイクを果たした。タイプこそ違えども同じ左腕で、現役生活の岐路に立たされるたび、試行錯誤を重ねて苦難に打ち勝ってきた拓哉氏の野球人生は、病の克服を目指す優人投手にとっても参考となるかもしれない。
身近な存在である入来祐作三軍コーチも血行障害に悩まされたひとりであり、「寒い時期の過ごし方が大切」と、古谷投手にあたたかくアドバイスを送る。また、古谷投手が背負う「49」は、巨人から福岡ダイエー(現・福岡ソフトバンク)へのトレードを機に、中継ぎ左腕として開花し、2度の最多ホールドを受賞した吉田修司氏が背負ったもの。若き左腕は先達と同じように逆境を跳ね除け、目標とする「球団を代表する選手」に成長できるだろうか。
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