昨年222三振を奪い、4年連続でパ・リーグ奪三振王に輝いた楽天の則本昂大投手。これは1993年の野茂英雄氏以来、24年ぶり4人目の快挙だった。そこでここでは、則本投手より以前にこの大記録を打ち立てた大投手に焦点を当て、その足跡を振り返っていきたい。
・江夏豊氏
「江夏の21球」で知られる江夏氏。記録にも記憶にも残る数々の名場面を生み出してきた大投手だが、1年目から6年連続でリーグ最多奪三振に輝いたこともそのうちのひとつだ。シーズン401奪三振というアンタッチャブルレコードを樹立したほか、史上唯一の延長戦ノーヒットノーランや、同じく史上唯一となるオールスターゲーム9者連続三振といった多くの伝説を打ち立てている。
病気のために長いイニングを投げられなくなり南海にトレードされると、野村克也監督の説得を受け、当時は一般的ではなかった中継ぎ専任投手へ転向。投手の分業制につながる「中継ぎ」のパイオニアとなった。以降は広島、日本ハムなどを渡り歩きながら活躍を続け、「優勝請負人」の異名を取る。西武で迎えた1984年、通算3000奪三振まであと13、史上初の通算200勝・200セーブ達成まであと7に迫りながら現役を退いた。
・鈴木啓示氏
江夏氏と同じ年から全く同じ期間、6年連続で奪三振王となったのが、同じく大阪の球団で活躍していた鈴木氏だった。入団当初強豪ではなかった近鉄のエースとして、奪三振王8回、23試合連続完投、シーズン20勝以上8回、ノーヒットノーラン2回など、枚挙に暇がないほどの大記録を残している。
日本記録となる通算560本の本塁打を浴びているが、史上4人しか達成していない通算3000奪三振、史上4番目の多さとなる317勝を挙げる活躍で、球史に残る投手のひとりとなった。史上6人しかいない300勝投手は、鈴木氏の引退から30年以上が経った現在も、まだひとりも現れていない。
・野茂英雄氏
パ・リーグで最多奪三振のタイトルが制定された1989年以降に、4年連続の最多奪三振を達成した初めての投手が野茂氏である。身体を大きく捻る「トルネード投法」から繰り出す剛球と大きく落ちるフォークを武器に強打者を翻弄。1年目の1990年から最多勝・最優秀防御率・最高勝率・最多奪三振の投手四冠に輝くとともに、リーグMVP、新人王、そして沢村賞も受賞するという歴史的なルーキーイヤーを送った。
1995年にドジャースに入団したが、その剛球は世界最高峰の舞台でも存分に威力を発揮し、奪三振王と新人王を受賞。さらに翌年には気圧の低い高地に位置し、打者有利の球場として知られるクアーズ・フィールドでノーヒットノーランを達成する。レッドソックスに移った2001年には、同じく打者有利といわれるオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズにて、自身二度目のノーヒットノーラン。ア・リーグ、ナ・リーグの双方でのノーヒッターは、史上4人目となる快挙だった。
MLBでの14年間で123勝、1918奪三振を記録し、史上初めて日米通算200勝を達成した日本人投手にもなった野茂氏。日米通算3122奪三振という数は、NPB通算にあてはめると鈴木啓示氏を上回って歴代4位に相当する数だ。また野茂氏は、今日メジャーリーグを夢見る全ての日本人選手に、そのための道を切り拓いたパイオニアとも言える存在である。
則本投手はルーキーイヤーから5年連続2桁勝利、今世紀初の4年連続200奪三振という記録を持つだけでなく、野茂氏が持っていた6試合連続2桁奪三振という記録を塗り替え、MLB記録に並ぶ8試合連続にまでその数字を伸ばしてみせた。
上述の3氏はいずれも球史に残る大記録を残してきた伝説的な投手たちだが、則本投手も伝説の投手として語り継がれるような圧倒的な存在になれるだろうか。リーグを代表する大エースの、今後の投球に要注目だ。
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