今季限りで現役引退を宣言、プロ20年目がついに開幕
北海道日本ハムの田中賢介内野手のラストイヤーが始まった。現役引退を宣言して挑む2019年シーズン。北海道の象徴のような男は何を思い、フィールドに立っているのだろうか。
「正直、最後の1打席がどこになるかわからない。もしかして開幕して最初の打席になってしまうかもしれない。そういう意味ではやれることすべてやろう、という気持ちが強いですね」
今月6日。千葉・鎌ケ谷市内のファイターズタウンで千葉ロッテとのオープン戦が行われていた。試合前の打撃練習、背番号3が打席に入ると、それまでとは異なる空気感が漂った。打撃投手の球をしっかりとコンタクトした打球。そのほとんどは鋭いライナーで、計ったようにショートの頭上を超えていく。ティー打撃をする若手選手の中には、自らのスイングを止めてベテランの打撃練習を見つめる者もいた。
「もう大ベテランと言える年齢だし、ここから飛距離を伸ばそうと求めても無理ですからね。できることは確実性を高めること。投球に対してしっかりバットを当てて、できるだけ強い打球を打つ。投手からショートの頭へ打ち返すことはいつも意識しています」
プロ20年目のベテランの打撃をケージ裏で見守る城石憲之打撃コーチは、こう答える。
「対応力、コンタクトのうまさはずば抜けていますよね。チーム内はもちろん、NPB全体を見回してもあれだけうまく打つ選手はいない。本人も意識しているようだけど、ショートの頭上方面へ打つのは芸術的とも言える。そうかと思えば、鋭く身体を回転させて、引っ張ったら本塁打だって打てる。飛距離を伸ばすのは無理? いやいや飛距離を伸ばさなくても、今の技術があれば十二分ですよ」
「よくベテランの経験が必要というけど、彼の場合は経験もだけど、その技術が手本になる。バットコントロールはもちろん、練習方法1つとっても若手には参考になっている。仮に現在は田中の真似をするのは難しくても、技術が上がってくればわかってくることもあると思う」
多くを語らずともプレーをすることが影響力を持つ。田中賢に対するコーチ陣の信頼は厚い。
野球ができることの喜びを確認したアメリカ生活
「試合に出られないのは今でも悔しい。その気持ちは変わらない。でも若い頃に比べると我慢できるようになったというか。それもアメリカでの経験が大きかったのかな。耐える、ということをたくさん学べたような気がする」
北海道日本ハムの主力だった田中賢が海を渡ったのは2013年。「アメリカに骨を埋めるつもり」と語ってジャイアンツ入りも、そのほとんどはマイナー暮らし。翌14年にはレンジャース移籍も7月に自由契約となった。実質メジャー生活1年で15試合34打席での出場に終わった。
NPB時代は二塁の名手として鳴らしたが、アメリカでは外野手も経験した。加えてマイナーで結果を出しても契約内容の弱さなどからメジャー昇格できなかったこともあった。
「まあ、それも含めてのアメリカ野球ですから。当時はやりきれない気持ちが強かったですけど、やっぱり少しは我慢強くなれたのかな。日本に帰って来た時に、本当に新鮮に野球に取り組むこともできた。そういう意味では良かったと思いますよ」
ジャイアンツ時代、3A本拠地のフレズノからサンフランシスコまでは車で約3時間の距離。鎌ケ谷から札幌までに比べればはるかに近いが、その距離はとてつもなく遠く感じたことだろう。
ラストイヤーにやるべきことは1つだけ
北海道日本ハム復帰してから5年、ついに19年限りでユニホームを脱ぐ決断をした。最後の目標は優勝、そして再び日本一になることだ。
「それしかないですね。そのために考えているのはコンディションをしっかり保つこと。そのうえで自分に与えられた役割を全うして結果を残していきたい」
代打などどんな役回りでも全うする考えだが、周囲はそうでもないようだ。城石コーチはそれ以上の存在であるという。
「本人はどう思っているかわからないけど、代打だけじゃなく先発出場というのも十分にあると思う。技術的には超一流なわけだし、相手からしてもあれだけの実績がある選手が先発なら絶対に嫌だと思う。もちろん140試合すべて先発というのは現実的ではない。でも、スポット的に絶対にここは先発で出てほしいという時もある。そのためにも本人、そして周囲がしっかりとコンディションなどを見極める必要がある」
実際、試合に出れば結果を残している。18年は67試合に出場して打率.295。しかも、スタメン出場14試合では3割後半の高打率を残している。
「今、考えているのはとにかく開幕に合わせること。そこで最高のパフォーマンスを発揮できるように試行錯誤している。もしかすると、そこでうまく波に乗れてシーズンにはいっていけるかもしれない。だからこそ開幕スタメンを目指しています」
引退イヤー特有の寂しさなど微塵も感じさせない。戦力の一員として頂点を目指す戦士の姿がそこにはあった。建設が決まった新球場で、その勇姿をみることはできない。しかし北海道移転後、数々の輝かしい歴史を刻んできた札幌ドームこそ最後にふさわしい場所かもしれない。田中賢の勇姿を見られる19年開幕はもうすぐだ。
(山岡則夫 / Norio Yamaoka)
山岡則夫 プロフィール
1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌Ballpark Time!を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、製作するほか、多くの雑誌やホームページに寄稿している。最新刊は「岩隈久志のピッチングバイブル」、「躍進する広島カープを支える選手たち」(株式会社舵社)。Ballpark Time!オフィシャルページにて取材日記を定期的に更新中。
記事提供: