「選手会長」「第3捕手」「背番号4」として。楽天・岡島豪郎外野手に課された使命

パ・リーグ インサイト

2017.12.14(木) 00:00

きりりとした特徴的な眉毛と大きな口。一見強面で声も大きいが、お化けが怖くて1人でお風呂に入れなかったり、抱き枕に名前を付けて愛用していたり、「超」が付くほどの甘党であることは、楽天ファンにとっては周知の事実だろう。今オフ、楽天の岡島豪郎外野手が、8代目の選手会長に就任することが決まった。「若い選手が多いチーム。中心となって引っ張ってほしい」と、前任の銀次選手から指名を受けた形だ。

岡島選手は、群馬県出身の28歳。関東学園大学附属高校時代に甲子園出場経験はないが、関甲新学生リーグに所属する白鴎大学進学後、めきめきと頭角を現す。1年時からリーグ戦に出場すると、捕手あるいは外野手として2年春から4季連続となるベストナインを受賞し、2011年、ドラフト4位で楽天に入団。1年目から同期の釜田投手とバッテリーを組み、シーズン2本のサヨナラ打、同じく同期の島内選手とアベック弾を放つなど、攻守で新人らしからぬ活躍。早速、正捕手・嶋選手の立場を脅かしかねない存在感を見せ付けた。

しかし、チームがリーグ優勝・日本一を経験することになる2013年。シーズンの折り返し地点における岡島選手の立ち位置は複雑だった。開幕前の怪我もあって嶋選手との正捕手争いに敗れ、2番手捕手、代走、代打としての試合出場が主。ただ、持ち前の打力・走力は相変わらず捕手としては突出していた。そしてそのことは、首脳陣の頭にもあったのだろう。決起集会の場で米村外野守備走塁コーチに促され、「僕を外野で使ってください」と当時の星野監督に直談判したことで、「外野手・岡島豪郎」の野球人生がスタートすることになる。

「たられば」の話だが、岡島選手は捕手としても将来を嘱望されるだけの才能は持っていた。それでも慣れ親しんだマスクを置いて両翼を守り、規定打席未到達ながら打率.323、出塁率.405を誇るリードオフマンに定着。結果的に、球団創設初の栄光に大きく貢献した。

それから4年が経過した今季。楽天はシーズン中盤まで、4年前を彷彿とさせる強さで首位を走っていた。岡島選手も長きにわたって打率3割台を維持し、チームの快進撃を支える。しかし、7月23日のオリックス戦、右翼守備の際にファウルゾーンに滑り込み、左肩を亜脱臼。戦線離脱を余儀なくされた。約1カ月後に復帰したが、チームは大型連敗を経験して優勝争いから脱落。岡島選手自身は、111試合342打数89安打3本塁打32打点、打率.260という成績で6年目のシーズンを終えた。

12月7日、契約更改に臨んだ岡島選手は、その後の記者会見で「せっかく立場をもらったので、球団とも話して、選手とも話して、よりよい方向へいくように進めていきたい」と、新・選手会長としての決意表明。もともとベンチでの声出しや明るい振る舞いで、チームを鼓舞してきたムードメーカーだ。怪我でチームを離れていた時期は、指揮官やエースから「早く戻ってきてほしい」「ベンチにいるだけで違う」と復帰を熱望されていた。肩書きが与えられたことで、今後はさらなるリーダーシップを発揮してくれるだろう。

また、秋季キャンプでは約2年ぶりに捕手としてブルペンに入り、投手のボールを受けた。来季はベンチ入り捕手が2人になる可能性があり、有事の際のバックアップとして白羽の矢が立った形だ。7年目の来季は、最早がむしゃらな若手としてではなく、「新・選手会長」としても「第3捕手」としても、グラウンド内外でチームをけん引することが求められる。

奇しくも岡島選手の背番号「4」を、楽天の創設時に背負った高須洋介氏が、来季から一軍打撃コーチに就任する。現役時代の同氏は2代目の選手会長も務め、勝負強い打撃で「必殺仕事人」と呼ばれた。ただ現状に甘んじてチャンスを待つばかりではなく、自ら声を上げて「外野手・岡島豪郎」の道を切り開いた4年前のように。「選手会長・岡島豪郎」の誕生が岡島選手自身にとってもチームにとっても、さらなる躍進の契機となることを期待する。

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