11月30日、オリックス公式サイトより、山崎福投手の背番号が「17」から「0」に変更になることが発表された。増井投手がチームに新加入する影響を受けた形だが、山崎福投手は「珍しい番号なので(自分で)選びました」「背番号の横に1をつけられるぐらい、勝てるようにしたい」と、明るく来季への展望を語った。
山崎福投手と言えば、188センチの長身を生かして、ドロンと大きく落ちるカーブを武器とする左腕だ。球団関係者から「(ファンサービスを)やんわり断る術を身につけてほしい」と注意されるほどのサービス精神と甘いマスクを兼ね備え、女性ファンの支持を集めている。
実父は巨人、日本ハムでプレーした元プロ野球選手。兄も甲子園出場経験があり、まさに野球一家で育った。山崎福投手も早いうちから才能を開花させ、名門・日大三高に進学。しかしその前年に受けた全身検査で、約4センチの脳腫瘍が見つかる。「小児延髄上衣腫」。生存率は10パーセント。プロ野球選手を志している15歳の少年には、あまりにも過酷な現実だった。だが6時間に及ぶ手術に耐えて、2008年の春、腫瘍の全摘出に成功する。
その後は医師が驚くほどのスピードで回復し、日大三高から明治大学と、野球のエリート街道を突き進んだ。2014年のドラフトでオリックスから1位指名を受けると、1年目から開幕一軍入りを果たし、6月5日の中日戦でプロ初勝利。初打席初安打も記録して、奇しくも当時監督代行だった福良監督に公式戦初勝利を届けた。
3年目の今季は、開幕から中継ぎとして起用された。5月20日の北海道日本ハム戦で今季初先発を務めたものの、4回5失点(自責3)。同26日の千葉ロッテ戦でも3回途中4失点と結果を残せず。降板後は試合中にも関わらず1人大阪に帰ることを命じられ、そのまま、約1カ月間のファーム調整に入った。
山崎福投手が一軍のマウンドに戻ってきたのは、7月10日、京セラドーム大阪で行われた北海道日本ハム戦。先発を任され、初回こそ制球に苦しむものの、2回からは立ち直った。相手打線に付け入る隙を与えず志願して最後までマウンドを守り抜くと、打線の援護にも恵まれ、被安打7、与四球1、奪三振8でプロ初完投・完封勝利を決める。
まだまだ若手とはいえ、アマチュア時代の輝かしい実績により、「即戦力」「左のエース」として期待を寄せられていた山崎福投手。プロ入りしてからの2年間はその大きな期待に応えられているとは言えず、本人にとっても苦しい日々だったと思われる。しかしこの日の完封勝利は、25歳の大器の片鱗を見せ付ける価値ある1勝となったことだろう。最終的な今季成績は、15試合2勝5敗、防御率4.40。
増井投手に背番号「17」を譲り、来季は「0」を背負うことになる。オリックスの投手が「0」をつけるのは、1991年の川畑泰博氏以来27年ぶりだ。山崎福投手はそれについて「そんなに落ち込んでいるとかはありません。心機一転、プロ野球の歴史に名前を刻みます!」と前向きに笑った。特に先発に右腕が多いオリックス。左腕の山崎福投手がシーズンを通してポテンシャルを発揮することができれば、大きな力となることは間違いないだろう。
今年9月、阪神の横田選手が脳腫瘍を患っていたことが判明。山崎福投手は「横田選手とは偶然、街で会って話をしたことがあって、本当に良い子だなと思った。なんであの子がこんな目に遭わなければいけないのか」と自身の体験と重ね合わせ「いつか交流戦か日本シリーズで戦いたい」とエールを送った。
人の苦しみに寄り添える心と、「ポワーンとしている」「天然」と言われ、愛される人柄。プロ野球選手の仕事が「野球をすること」「野球をすることで勇気や感動を与えること」であるならば、大病を乗り越え、マウンドで躍動する山崎福投手の姿が、それを見ている人の胸にもたらすものは多いはずだ。3年間の経験とこの背番号変更が、山崎福投手の飛躍の材料となることを願っている。
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