「お客さんがすごかった」地元も驚く田中将大、闘将のいた東北楽天久米島キャンプ

Full-Count 広尾晃

2019.2.10(日) 08:30

現在はヤンキースで活躍する田中将大※写真提供:Full-Count(写真:Getty Images)
現在はヤンキースで活躍する田中将大※写真提供:Full-Count(写真:Getty Images)

施設として不十分だった球団初年度のキャンプ

 NPBで最も新しいチーム、東北楽天ゴールデンイーグルスは2005年2月、沖縄県久米島町の久米島町営仲里野球場でキャンプインした。

 プロ野球の春季キャンプは当時から、少なくとも数千人規模が収容できるメイングラウンドと、内野守備練習ができる屋内練習場、ブルペン、サブグラウンドがあるのが前提だったが、仲里野球場は常設のスタンドやバックスクリーン、スコアボードがなかった。また、屋内練習場は普通の体育館であり、更衣室もなく選手は仮設のコンテナなどで着替えをすることになった。

 しかも1、2軍合同だったため、狭い施設に70人の選手がひしめくこととなった。立地は観光地として有名なイーフビーチの近くであり、周囲にはリゾートホテルがあったが、当時の田尾安志監督以下、草創期の指導者は設備が整っていないことに愕然としたという。

 東北楽天の春季キャンプの誘致に成功した久米島町は、仲里野球場の両翼を広げたり、観客席を設けたりしたが、1軍キャンプの施設としては不十分だったために、この年、久米島飛行場にも近い鳥島清水地区に新球場の建設に着工、翌2006年のキャンプに何とか間に合わせた。さらに2007年には観客席やバックスクリーンが整備された。現在では大型の屋内練習場の久米島ホタルドーム、ブルペン、サブグラウンドなどが完備され、1軍の高度な練習にも耐えうるキャンプ施設となった。

「一番、お客が来たのはマー君(田中将大投手)がエースの時代だね」

 タクシーの運転手は語る。田中がエースと浸透してきた2010年はタクシーが何台も連なって、キャンプ地に向かうこともあった。2011年に星野仙一監督が就任してからは、取材陣の数も増えたという。

空港ロビーにはグッズも、今では東北楽天第2のホームタウンに

 今年で15シーズン目。久米島町は東北楽天ゴールデンイーグルスの第2のホームタウンになった。久米島空港の1階ロビーには、チームリーダーの嶋基宏捕手の装備一式が飾られている。また東北楽天の選手のサインやユニフォームも展示されている。今年から展示スペースが変更になったが、久米島空港のイーグルスコーナーは、名所になっている。

 久米島球場の周辺は一面のさとうきび畑。緑の中にグラウンドが浮かんでいるように見える。1軍は久米島球場に移ったが、2軍は依然、仲里球場でキャンプを続けている。最近は、熱心なファンが仲里球場まで押し掛けるようになった。

 実は、2002年3月まで、仲里球場と久米島球場のあるエリアは別の自治体に属していた。仲里球場のあるエリアは仲里村(なかざとそん)、久米島球場のあるエリアは具志川村(ぐしかわそん)。同じ島でも2つの村は琉球王国時代から別の文化と歴史を持ち、対抗意識があった。人口もほぼ同じくらい。平成の大合併の一環で合併の話が出た時も、合併後の新庁舎の位置をめぐり対立が起こったくらいだ。合併後3年目に東北楽天の春季キャンプが始まった。

 久米島町中心街にある飲食店の店主は「東北楽天がキャンプに来てくれたので、両村の人が一緒になって応援することができた」と語る。図らずもイーグルスは、新生久米島町の融和に貢献していたのだ。

 2月8日を最後に、東北楽天の1軍は、二次キャンプのため、沖縄本島の金武町(きんちょう)に移動した。久米島球場には仲里球場から2軍が移ってくる。ファンや報道陣は減るが、地元の人々は2軍にも変わらず熱い声援を送っている。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

記事提供:Full-Count

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