開幕戦のスタメンマスクを告げられたのは、当日の打撃練習が終わってからだった
壮絶な幕開けとなった。2013年、千葉ロッテマリーンズは開幕戦から延長12回を戦った。3月29日のバファローズ戦(当時QVCマリン)。12回表に1点を許し万事休すかと思われたが、その裏に劇的なドラマが待っていた。
1死満塁から押し出し四球で同点に追い付くと、最後は2番に入っていた角中勝也外野手がセンターへフライを打ち上げ、これが犠飛となりサヨナラ。18時16分に始まった試合は22時59分に決着がついた。新生伊東マリーンズにとって劇的なスタートだった。
お立ち台に導かれたのはサヨナラの立役者である角中。しかし、この試合には隠れたヒーローがいた。それは初めて開幕スタメンマスクを被り、見事に大役を務めた金澤岳捕手だ。12回まで8人の投手を巧みにリードし、2失点に抑えこんだ。
「自分にとっても、現役時代に一番思い出に残っている試合を一つ挙げろと言われたらこの試合になりますね。最後までマスクを被れて勝てたわけですから」
今季限りで現役引退を決めた端正なマスクの金澤は、懐かしそうに当時を振り返る。スタメンは突然、言い渡された。正捕手の里崎智也は故障のため二軍。首脳陣は3月にスワローズからトレードで獲得した川本良平か金澤かの二択に迫られていた。ギリギリまで議論は続いた。一時は新戦力の川本スタメンの方向に傾いたが、最後の最後に決断は覆った。
「投手陣を熟知している金澤でいく」と、監督室で頭を悩ませていた伊東勤監督は腰を上げた。トレードで加入したばかりでまだ投手陣を把握しきれていない川本ではなく、実績こそ少ないものの投手の信頼が厚い金澤を起用することが決まった。現役時代に捕手として一時代を築いた指揮官は、コミュニケーションを重要視し決断した。本人に伝えられたのは、開幕当日の打撃練習が終わったタイミングだった。
「開幕は特別な日。緊張しました。でも、もちろんチャンスが巡ってくる可能性はあると思って、ずっと心の準備をしていたので、あとはやってやるぞという感じでした」と、金澤は気合を入れて出陣した。
「気持ちよく投げてもらうこと」を信条に、懸命なリードで8人の投手を操った
ブルペンで受けた開幕投手・成瀬善久のボールは鋭かった。「ビシバシきていましたね」と金澤。ミットでボールを受けるたびに、成瀬のこの試合に賭ける強い想いが伝わってくるようだった。
「ブルペンでは調子のいい球を見極めて配球のイメージを固める。あの日の成瀬はストレートのキレが良かったので、ストレートを軸に組み立てることができると思っていた。やっぱり先発の基本はストレート。ストレートがあるから変化球が生きる。変化球だけでのかわす投球はやっぱり2巡もしたら相手打線につかまります。ストレートがあれだけキレがあったので、だいぶ手ごたえを感じて試合に入る事ができました」
金澤の捕手としての哲学は「投手に気持ちよく投げてもらうこと」。そのためにも意識するのは、その試合で調子が悪い球種を楽な場面で投げさせることだ。
「この球種は調子が悪いから、使いませんというわけにはいかない。相手が絶対に打ってこない場面などカウント有利な場面でうまく織り交ぜてあげることで打者の頭に残像を残しておきたいし、使ってあげることで状態がよくなる可能性もあると思っている」
この試合もキレキレのストレートを気持ちよく投げさせながらも今一つだったカーブなども効果的に織り交ぜ、エースを乗せていった。結果的に成瀬は打球を体に当て5回途中でマウンドを降りるが、4安打、1失点。最少失点に抑え、試合を作った。
エース降板後も緊迫した試合は続いた。投手は次から次へと変わった。延長12回までまったく異なるタイプと性格を持つ8人の投手の球を操り、失点を抑えていった。1点の勝ち越しを許し迎えた延長12回。1死2塁から金澤も四球で粘り出塁。結果的にこの出塁が貴重なサヨナラのランナーとなる。
「勝ててホッとしました。最高の試合でした。なによりもキャッチャーとして最後までマスクを被れた。それが嬉しかったです」
打っても3打数2安打。バファローズのエース・金子千尋から放った2安打は「リードに頭が一杯で、逆に打撃は無意識でいけたのかもしれないですね」と笑った。2013年はシーズン3位。クライマックスシリーズファイナルステージまでチームは勝ち進む。その起点となったのは開幕のサヨナラ発進。金澤の懸命なリードだった。
「気が付いたもん勝ち」の世界だからこそ、コーチとしてできることがある
月日は流れた。2018年シーズン後に金澤は現役を引退し、二軍バッテリーコーチに就任をした。捕手として現役時代に大事にしてきたのは投手とのコミュニケーション。「投手と捕手は18.44メートルの距離を挟んで指のサイン一つで会話をしないといけない。しっかりと理解し合うにはやっぱり日ごろからの会話が大事。だから、ボクは会話を大事にしていた。練習の時もイニングの合間も積極的に話をした」と金澤は振り返る。
だから、コーチに就任してすぐに若い捕手たちを集めると「まずは投手とコミュニケーションをしっかりとっていこう」と話した。そして、会話の大切さはコーチと選手も一緒だ。
「捕手と投手の関係と一緒で、コーチと選手もコミュニケーション。ボクの考えを押し付けることはしたくない。お互い話し合いながら、いいものを作っていきたい。コミュニケーションが一番大事」
会話を繰り返しながら選手の事を理解し、逆に考えを分かってもらう。その中で、もし選手たちに発見があれば嬉しいことだ。
「ほら、この世界って気が付いたもん勝ちじゃないですか。だから自分の思ったことや知っていることを伝えることで、若い選手に気が付いてもらえたら嬉しいですよね」
マリーンズ一筋、プロ16年間で通算177試合に出場。いぶし銀の活躍でチームに尽くしてきた男は、これからコーチとして若い捕手に英才教育を施す。アドバイスを押し付けるのではなく、会話を繰り返すことで気付かせる。プロ野球は気付いたものが勝つ世界。だから、押し付けるのではなく気付かせるのだ。
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