【オリックス】「稲尾に並んだ男」山田修義引退 18年に月間18試合登板のプロ野球タイ記録 座右の銘「日々前進」貫いた17年間

スポーツ報知

オリックスの山田修義

 オリックス・山田修義投手(35)が今季限りで現役を引退することが20日、分かった。球団側にも意思を伝え、近日中に発表される予定だ。左肘のトミー・ジョン手術や育成契約を乗り越え、18年8月には月間18試合登板のプロ野球タイ記録を達成。プロ17年間で通算328試合に登板した。平野佳寿投手兼投手コーチ(42)に続き、生え抜きのリリーバーがユニホームを脱ぐことを決めた。

 静かに覚悟を固めていた。オリックス・山田が決断した。プロ17年目の今季は14試合で防御率1・13。8月6日の楽天戦(京セラD)を最後に1軍を離れ、現実を受け止めてきた。一番の理由は直球で空振り、ファウルを奪えなくなったこと。第一線にふさわしい姿を知るからこそ、現役引退に悔いはなかった。

 敦賀気比で名を上げた。「一喜一憂せずに、謙虚でいなさい」と熱心に指導してくれたのが東哲平監督。高校時代の教えを守り、厳しいプロの世界を生きてきた。14年に左肘のトミー・ジョン手術。育成契約を乗り越え、7年目の16年に先発で初勝利をつかんだ。

 2年後の18年には、リリーフで能力が開花した。8月だけで18試合に登板し、月間最多登板のプロ野球タイ記録。西鉄で56年の9月に達成した「稲尾に並んだ男」として注目された。「あのシーズンがなければ、今の僕はありません」と感謝したのが当時の福良淳一監督(現GM)。たゆまぬ努力で向上を求めてきた。

 21年は25年ぶりのリーグ優勝に貢献。22年オフにはショートアームに取り組んだ。中垣征一郎巡回ヘッドコーチ(当時)と二人三脚で完成させた新フォーム。「自分のやれることをやれば大丈夫」と心身ともにサポートしてくれた恩人だ。3連覇した23年は32試合で防御率1・15。貴重な左の救援として、24年に初めて50試合登板をクリアした。

 ファーム暮らしが長くなったここ2年も、誠実に野球と向き合ってきた。「1軍の戦力になるためには、練習するしかない」。残り7試合となったファーム・リーグも出番に備えるつもり。球団側は功労者に対し、本拠地最終戦にあたる26日の日本ハム戦(京セラD)で花道を用意する方向で調整中だ。座右の銘「日々前進」を貫いた17年間。妻、2男1女と最愛の家族に支えられ、誰からも愛された「ノブさん」が、オリックスひと筋のプロ野球人生に幕を下ろす。

 ◆山田 修義(やまだ・のぶよし)1991年9月19日、福井市生まれ。35歳。福井・敦賀気比では1年秋からベンチ入りし、2年春、3年夏に甲子園出場。09年のドラフト3位でオリックス入団。プロ5年目の14年に左肘内側側副靱帯再建術(通称トミー・ジョン手術)を受け、同年オフに育成再契約。25年7月に支配下復帰し、16年7月27日のロッテ戦(ほっと神戸)でプロ初勝利。18年8月にはリリーフとして球団新記録、プロ野球タイ記録の月間18試合に登板。通算328試合で14勝24敗、78ホールド、防御率3・72。185センチ、95キロ。左投左打。年俸5500万円(推定)。

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